チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

南房総の旅

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孝女お仙之碑

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おせんころがしの崖

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誕生寺

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誕生寺仁王門から

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亀岩の洞窟

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濃溝の滝からのボードウォーク


南房総の旅

 

■おせんころがし
おせんころがしは、千葉県勝浦市の西端から鴨川市にまたがる約4kmの崖の通称である。古くは交通の難所であったが、現在は新国道128号線を通って守谷海水浴場から車で数分の距離だ。

昔、この崖の近くの豪族・古仙家にいた、お仙という一人娘が名称の由来とされている。お仙は、村人を苦しめる強欲非道な父親を改心させようとしたが、改心は無理と悟り、この崖から身を投げたといわれている[2]。具体的には、豊作に託つけて年貢の取り分を増やそうとした強欲な領主(お仙の父親)に激怒した村人たちが領主殺害を決意し、父を諌めることに失敗したお仙が、やむなく父の服を着て成りすまし、夜襲をかけた村人達に崖から投げおとされた。朝になって崖下を確認した村人達は、自分達が投げおとしたのが実はお仙だったと知り嘆き悲しんだ、という悲話である。

これではあまりにも痛ましいというのであろう、勝浦商工会議所のHPには、おせんをわが物にしようとした代官が病身の父親をむしろ巻きにして引っ立てようとした、おせんは父を助け、身代わりになろうと自らむしろを体に巻いた、そうとは知らぬ代官の家来はおせんを崖から突き落とした、なげき悲しんだ村人たちは「孝女おせんの碑」をつくり、野の花を供え続けている、という話が載っている。

■心霊並びにパワースポット
国道から200Mほど海方向に歩くと「孝女お仙之碑」と書かれた墓碑がある。この碑の左手をよじ登ると、眼下20Mに岩に打ち寄せる白浪が見える。足場が悪く、柵もないので足が竦む。このあたりの子供は「悪いことをするとおせんころがしに連れて行くよ」と脅かされて育つそうだ。この場所で1952年、母子3人が殺害された「おせんころがし殺人事件」という凶悪事件が起こっている。
そのせいもあっておせんころがしは「千葉最凶の心霊スポット」と呼ばれている。辺鄙な場所ながら観光客が次々にやってきて墓碑を携帯で写しては戻っていく。自分も写真を撮ったが特に変わったものは写っていなかった。

ともあれ、次に千葉県最大のパワースポット、日蓮宗大本山小湊誕生寺のお参りし、心身を清める。誕生寺は文字通り日蓮聖人が生まれた場所である。日蓮が亡くなった寺は池上の本門寺、我が家に近いので何度か行っている。また晩年に建てた身延山久遠寺に詣でたこともある。日蓮は父母の眠る安房を懐かしがり、著書、「消息」に「さすがに恋しくて、吹く風、立つ雲までも東の方からといえば、庵室を出て身にふれ、庭に立ってみるほど」と書き、身延山の頂上に「奥之院思親閣」という父母を回向するお堂を作っている。情の深い人だったのだろう。

誕生寺は地震津波、大火等の災害で、創建当時の建物はないが、堂塔二十有余、境内2万坪、大本山の名にふさわしい風格を備えている。境内に漂う線香と近くの海岸から来る磯風のかおりは環境省認定 『かおり風景百選』にも選ばれているという。かおり風景というお上認定の言葉があることを今回初めて知った。

■人気拡大中「亀岩の洞窟、濃溝(のうみぞ)の滝」
折角、千葉に来たんだからと友人が案内してくれたのが濃溝の滝である。千葉県君津市の清水渓流広場内にあるこの滝は、季節や時間帯によって雰囲気や姿を変える、ジブリの世界のような神秘的で幻想的な光景を楽しめるということで有名になった。インスタ映えするので若い人に人気とか、最寄りの駅はなく車が便利。

土曜ということで駐車場は満杯、感染症何するものぞ、だ。渓流に下り立つと若い人ばかり、岩をくりぬいた洞窟から清流が流れる。タイと違って小川の水が澄んでいて気持ちがいい。ハヤだろうか2,3センチの小魚の群れが見える。洞窟後方から陽が差すとき、水面に反射する光がハート型に輝き、神秘的な絶景となるという。でもこの風景を撮るには早朝、長靴持参で行かないといけないらしい。せせらぎの深さはせいぜい10センチ、川に入って撮影ポイントを探すのだろう。川には入らなかったが渓流に被さる木々や岩を零れ落ちる白い流れを見て大いに心癒された。タイにも滝はあるがこのような繊細さ、奥床しさはない。

清流から駐車場まで板張りの道を戻る。道に沿って小川が流れており、季節には蛍が飛び交うらしい。駐車場から通ってきた板張りの道を見下ろした。もみじの緑がグラデーションとなって道と湿地帯を彩っていた。秋の紅葉も人気らしい。タイにも渓流はあるが緑は単色で、濃溝の滝のような濃淡はない。何かというとチェンライと比べて、やはり日本はいい、という結論に落ちつく。