チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラームカムヘーン碑文

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赤木先生著、「タイのかたち」表紙

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同、裏表紙、碑文の邦訳がびっしり書かれている。

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赤木先生と田中忠治先生の本

 

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鎌倉円覚寺

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同上

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同上

 

 

ラームカムヘーン碑文


■観光案内以外のタイ図書
公益財団法人日本タイ協会という団体がある。大倉喜七郎のシャム国訪問を契機に、昭和2年に設立された暹羅協会(総裁秩父宮殿下、会長近衛文麿)がその沿革というから、100年近い歴史がある。日本・タイ両国の親交増進、文化交流ならびに経済関係の助長を図ることを目的とし、各種の活動を行っている。

友人から日本タイ協会の発行している「タイ国情報」という図書の恵送を受けた。タイの政治、経済、また文化についての論文、エッセイが掲載されている。その中に元駐タイ日本大使、小島誠二氏の「タイを学びなおす」があった。「その37、二人のタイ学者の足跡をたどる(下)」となっており、長らく続くシリーズのようだ。

二人のタイ学者とは東京外国語大学田中忠治先生、大阪外国語大学学長を務められた赤木攻先生である。田中先生の著書「タイ、歴史と文化」はチェンライの家にもある。ロングステイ初心者にタイ文化を紹介するときのアンチョコである。論文には田中先生の著書も参考文献として紹介されている。他にも多くのタイ関連の書籍があることを索引で知った。時間はあるし、とそれらを図書館のネットで検索したがほとんどヒットしない。前述の田中先生の著書と赤木先生の「タイのかたち」を何とか見つけることができた。書店にも中国や半島の本は溢れているが、タイに関する本は観光案内を除けばほとんどない。やはりタイは観光だけの国か。

■観光案内書から
スコタイはバンコクから北に440キロ離れた中部に位置する古都である。スコタイ、「幸福の夜明け」を意味するその名のとおり、1238年ここにタイ族による最初の王朝が開かれた。強力な軍事力と「スコータイは美しい国ぞ、水に魚棲み、田に稲穂実る」と当時の碑文が謳ったような豊穣な大地を誇り、第三代王ラームカムヘーンの時代にはその勢力が絶大なものになった。

近隣諸国はもちろん中国などとも積極的に関係を結び、また仏教の普及にも尽力して多くの寺院を建造、そこからタイの文化芸術の古典様式が花開き、タイの文字や文学が生み出されるなど現在のタイの礎を築きあげた。

世界遺産の中核をなすスコタイ歴史公園の王宮跡とされる遺構からは、玉座と最古のタイ文字が記された石碑が発見された。碑文は、ラームカムヘーン王が刻ませたといわれている。ラームカムヘーン王と言えばタイ文字の発明と「水に魚棲み、田に稲穂実る」のラームカムヘーン碑文で知られている。ガイドブックには必ず出てくるし、20B札にもその肖像が印刷されている。日本の聖徳太子みたいな人だ。ところが、である。

■タイ国の行方
赤木先生の「タイのかたち」の表紙、裏表紙はラームカムヘーン碑文の邦訳が細かい活字でびっしり印刷されている。ユニークなつくりだ。更にユニーク、と驚くことがある。それは、ラームカムヘーン碑文はフェイクという学説の紹介だ。碑文はチャクリー朝ラーマ4世(映画、「王様と私」でユル・ブリンナーがやってた)によって1883年に発見されたとされているが、実は国を統一するためラーマ4世が碑文を作らせたという。

そもそも、スコタイ朝の存在は19世紀にはほとんど知られていなかった。現チャクリー朝は14世紀から栄えたアユタヤ朝がいったん滅びた後、1787年ラーマ1世が再興した王朝である。スコタイは400年ほど前に滅びていたから、スコタイのことなど誰も知らなかった。

しかし、19世紀から20世紀にかけてシャムは英仏など帝国主義国の圧迫を受ける。領土の割譲も余儀なくされた。そこで、実はシャムは白人国に匹敵するほどの歴史と文化を持つすばらしい国であると外国に示すとともに、国民にはシャムの国家意識を醸成する必要が出てきた。それが人々の豊かな暮らし、通商の自由、公平な裁き、慈悲に溢れた父なる王が存在する幸せの国、スコタイであり、そのスコタイを継承する王朝がチャクリー朝である、という神話である。

半島の「檀君5千年神話」とか異民族による植民地の歴史でありながら「漢民族5千年の歴史」に比べれば可愛いものであるが、当時、タイが直面していた植民地化への危機に対応するには効果があったと言える。以来、「民族、仏教、国王」の三位一体説は前国王プミポン、ラーマ9世まで続く。

スコタイからアユタヤ、アユタヤから現チャクリー朝の単線歴史はフェイクで、スコタイは現タイ国家の起源ではない、という新学説は、タイの歴史に多少興味を持つ自分としてはショックであった。国王の尊厳が揺らいでいる今、新しい国、タイがどう変化していくのか注目される。