ブックスマート、女高生でも可愛げがない
同上、田舎の高校生、自分の世代と重なる
ホモ映画その1 エルトン・ジョン
ホモ映画その2 フレディ・マーキュリー
LGBT花盛り
■青春映画に吃驚
小説、映画、ドラマは自分の知らなかった人生を見せてくれる。こういう人もいるんだ、と感心もするし、感動もする。もちろんプラスの面だけではなく、マイナスの面でビックリすることもある。
ハリウッド映画の刑事ものはいつも白人と黒人のペアが出てきて不愉快だ、という人がいた。ポリコレが怖いから差別と言われないよう忖度しているのだろう。
「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」はガリ勉の女子高生コンビが、ハメを外して卒業パーティー参加に奔走する姿を描いている。ブックスマートとは「学識があり、高い教育を受けているが常識が欠けている」ことを意味し、日本語の「ガリ勉」に近い。イエール大学に進学が決まっているモリ―は、トイレで男子生徒が自分の噂をしていることに気づき、ドアを開けて抗議する。米国の高校ではトイレは男女共用となっている。米国の男女差別撤廃はここまで来ている。調べてみるとトイレ共用になってから性暴力事件が増加しているという。当たり前だ。
優等生コンビのモリ―とエイミーは、イメチェンで高校生活最期を楽しもうといくつもの卒業パーティをめぐるのだが、そのパーティがめちゃくちゃ、酒はもちろん大麻、覚せい剤、コカイン、それにセックス、それもノーマルなセックスならまだしも、ホモ、ゲイ、レスビアン何でもありだ。裸の女高生がシャワー室の床で絡み合い、「あ、そこの穴、違うみたい・・・」、なんでこんな映画見なきゃならんのだ、と爺さんは怒りましたね。
カナダ在住だった友人に聞いてみるとカナダの高校卒業パーティも同様のハジケようだという。
この映画の前に1992年大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」という1960年代終りの香川観音寺を舞台にした青春ドラマを見ていただけに、あっちは獰猛な肉食恐竜の世界、こっちはほのぼのとしたタンポポの世界といった日米高校生の落差に感慨深いものがあった。
■ホモ・ゲイ・レズ
「オンザロック」は、ニューヨークの街を背景に、自らの結婚生活に疑問を感じる女性が、彼女の夫の様子に疑念を抱く父親とコンビを組んで夫の尾行を開始する、というコメディー。
まず、夫は黒人、妻は白人、浮気の相手ではないかと思われる女性秘書がアジア系と白黒黄とバランスをとっている。結局、疑惑は晴れ、ハッピーエンドに終わる。でも、どういうわけか女性秘書はレスビアンらしいし、夫婦が食事する隣の席で男が二人誕生日を祝っている(間違いなくホモ)場面が出てくる。LGBTご推薦の映画ではないか。
エルトン・ジョンの生涯を描いた「ロケットマン」、イギリスのロックバンド、クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラプソディ」は2人ともゲイであるから、自分にとっては過激なシーンがある。例えば男同士のベロチュー場面があって、それには顔をそむけた。いやなものはいやなのだ。
■ 日本はまだ健全
「経済産業省勤務の性同一性障害職員のトイレ使用訴訟、二審で逆転敗訴 制限の違法性認めず」、5月27日付ハフポストから。
経済産業省に勤務する性同一性障害の女性職員が、戸籍上の性別が男性であることを理由に女性用トイレの利用や人事異動を制限するなどしたのは違法だとして国を訴えていた裁判の控訴審判決が5月27日、東京高裁であった。
北澤純一裁判長は原告側の訴えを棄却し、職員の逆転敗訴となった。
原告の職員は戸籍上男性で、現在は女性として生活している。健康上の理由で、性別適合手術を受けていない。(以下略)
同じ階で働く女性は原告が元男性であったことを知っているので、女性トイレに彼が入ってくるのはイヤ、だから(彼が男性とは知らない人が多い)他の階の女性トイレに行ってほしい、それだけの話でごく真っ当な判決だと思う。
私の心は女ですから、と言って女装したら自分でも女子トイレに入れるのだろうか。銭湯の女湯で時折、女装の男性が捕まるが、性同一性障害と言えば許してもらえるのか。いちいち、人権だ、差別だとうるさいから米国ではトイレが男女共用となったのだろう。
米国のある州で「性同一性障害」と名乗る男性が女子陸上競技に出場し、メダルを総なめにした。米国はかの悪法、禁酒法を実施した国だ。「人権尊重、差別禁止」はますます過激になっていくに違いない。
半世紀以上前、授業中「昔はお国の為、と聞くと背中がぞわぞわした、今は世界の平和、と聞くと同じようにぞわぞわする」と哲学の教授が言っていた。実は「人権、差別」と聞くとぞわぞわする。男同士のベロチューは気持ち悪い、それはヘイトだと非難される日が日本にも来るのだろうか。