チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

弘法大師の霊跡(5)

f:id:hidenaka24:20210413165329j:plain

石段下から本堂を臨む

f:id:hidenaka24:20210413165432j:plain

本堂内の絵馬、ぼけ封じも

f:id:hidenaka24:20210413165506j:plain

本堂

f:id:hidenaka24:20210413165526j:plain

幕末建立の多宝塔

f:id:hidenaka24:20210413173622j:plain

 舎心ヶ嶽入への道、ここは傾斜はあまりない

f:id:hidenaka24:20210413173955j:plain

 東を向く大師様

 

弘法大師の霊跡(5)

■西の高野
「西の高野」と称するお寺は四国霊場第二十一番札所、太龍寺の他に、つがる市弘法寺五島列島大宝寺平戸市最教寺長門湯本温泉の大寧寺などが知られている。中には真言宗でないお寺もあるが、厳かな古刹の佇まいが高野山を思わせるのだろう。

さて、太龍寺四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。

以下、太龍寺ロープウェイのパンフから。
延暦12年(793)19歳の弘法大師空海が、太龍嶽(舎心嶽)の上で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法」を修法なされたことは、大師24歳の時に著された「三教指帰」の中に「阿国太龍嶽にのぼりよじ土州室戸崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」と記されている。つまり、太龍寺室戸岬は青年期の大師の思想形成に重要な役割を果した修行地であることがうかがわれる。  その後、桓武天皇の命を受けた阿波国司藤原朝臣文山が伽藍整備を行い、以来歴代藩主の手厚い保護を受け、虚空蔵求聞持根法本道場・虚空蔵十三詣り等、真言宗の寺院の中でも、ひときわ輝かしい法灯を維持してきた。  太龍寺の寺領は、霊山の名にふさわしく、樹齢数百年を算する巨杉・大桧に覆われ、本堂・大師堂・多宝塔・求聞持堂・鐘楼門・本坊・護摩堂・六角経蔵等が点在し、四国霊場の中でも群を抜く壮大なスケールを誇る。

 ケーブルカーを降りると、本堂を仰ぎ見る形で石段が目の前に迫る。車で八十八ヵ所をめぐることが出来るが、車を降りるとそこが本堂、という寺ばかりではない。このように石段や坂道を登って辿り着く寺もある。車で回るにしても5年後はムリかもしれない。

■ぼけ封じ
人気のない本堂でジャラジャラと鈴を鳴らし、賽銭をチャリンと投げ入れる。鈴を鳴らすのは、神様とか仏様に「お参りに来ましたよ」とお知らせする意味がある。祈願して詮無いことながら、スマホとの再会を祈った。本堂内には交通安全、学業成就と並んで「ぼけ封じ」の絵馬があった。絵馬を上げてももう遅いか。

本堂から弁財天を左に見て多宝塔へ向かう。高さ18メートルの二重の塔であるが、丘の上にあるので大きく見える、1861年に阿波城主により建立されたとある。多宝塔右手の石段を下りて大師堂へ向かう。大師堂から本坊へ下る石段の途中に鐘楼門があって、綱を引くと鐘を撞くことが出来る。あとで知ったがお遍路では鐘を撞く回数は1回のみ、と決められているそうだ。時間つぶしに何度も鐘を撞いてしまった。

本坊あたりでお遍路さんをちらほら見かける。ここでお遍路さんは納経をし、人によっては写経を行う。仁王門の方から旧い遍路道を登ってきた「歩き遍路」を見た。年の頃は30半ばか、こんにちは、と挨拶を交わしただけだが、車やバスのお遍路さんと雰囲気がまるで違う。テカテカに日焼けしているし、身のこなしがきびきびしている。ベンチに座ってバッグから取り出したポリビンから喉を鳴らして水を飲む様子もサマになっている。本坊前の桜は蕾がピンクに染まっていて、2つ3つ、花がほころび始めていた。歩き遍路と花の写真を撮っておけばよかったなあ。

舎心ヶ嶽
2時間ほど太龍寺をゆっくり散策した後、ロープウェイの山頂駅へ。駅の右手に「舎心ヶ嶽まで600m」の案内板があった。遥か遠くの岩頭に大師様のブロンズ像が小さく見える。2時間に1本のバスに乗るには25分後のロープウェイに乗らなければきつい。逡巡したものの、通常1000メートルは15分で歩ける、600メートルならば上り道でも10分ちょっと、そして下ってくる時間を5分として、20分以内には駅まで戻れるはず、と舎心ヶ嶽へと向かった。

右にミニ八十八ヵ所の石仏が並ぶ石だらけの道を登る。時間がないから速歩だ。やがて石仏が途切れ、舗装道になったがその道を見て絶句、30度以上の急勾配だ。「ここからはお大師様がサポートして下さいます」という札があったが信用できない。ここで引き返すのも癪だ。ゼーゼー、ハーハー、2年前に入れた冠動脈のステントが外れるのではないかと思うほど鼓動が激しくなる。7キロのリュックが重い。汗でシャツが体に張り付く。息も絶え絶えで「求聞持修行大師像」のブロンズ像にたどりつく。ゆっくりしていられない。すぐ引き返す。山道は登りより降りが危ない。道は杉の落ち葉に覆われていて歩きにくい。滑って転んだら後頭部を石に打ち付けて硬膜下出血、白装束でもないのに倒れ遍路となる。

駅にゴールインしたのは発車数分前、事前調査をしなかったために、静、動、落差の激しい参拝となった。