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クラシックと劣等感
■憎悪か向上心か
劣等感を感じたことのない人はいるのだろうか。劣等感は誰にもある暗い情念ではあるが、それが発奮の源泉となることもある。ナポレオンもヒットラーも背が低かった、毛沢東やポルポトは正式な高等教育を受けていないという負い目を持っていた。習近平主席も16歳から22歳まで陝西省の片田舎に下放され、青春時代を教養とは全く関係ない生活を送っていた。
劣等感が恵まれたものへ対する憎悪、あるいは人並外れた向上心につながることはあるのだろう。
自分のような小市民は劣等感の塊である。でも人を羨んだり、憎んだりすることは少ないと思うし、かといって人生を変えようという発奮の材料ともなっていない。そこが小市民である所以だろう。
若いときは、モーパッサンやO・ヘンリーといった外国小説や家にあった文学全集を片端から読んでいた。読書量がつまらぬ自負の根源ではなかったかと思う。今となっては恥ずかしい。
■音楽に対する劣等感
音楽的な家庭環境で育ったわけではなく、それほど興味もなかったのでクラシックとかジャズは聴いたことがなかった。音楽といえば旧御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)の歌謡曲を聴く程度。高校2年の時に友人に誘われ、新宿の厚生年金会館で欧州から凱旋した、まだ20代だった小澤征爾指揮の交響曲を聴いたことがある。でも曲目は全然覚えていない。
小説や歴史、美術などは本からの知識で多少はカバーできるが、音楽だけは聞いたことがないと話題についていけない。当時、クラシックに詳しい女の子に「今度、レクイエムを聞きに行くの。毎年行くのよ」といわれたが、レクイエムが何かわからなかった。彼女とはうまくいかなかった。多分、会話が成り立たないと愛想をつかされたのだろう。
■アバドの思い出
出張でフィラデルフィアにいた。夕方散歩していたらオペラハウスの前に人だかりがしている。新進の指揮者、クラウディオ・アバドがロンドン響を率いてのコンサートという。当日券はかなり高かったが迷わず購入した。アバドはこのとき40代半ば、晩年のがんに侵された姿とは違って精力的で溌溂としていた。曲目は忘れたが、終わると拍手もせずに半分ほどの観客が出口に向かったのには驚いた。自分の隣には足の不自由な年配の女性が座っていた。彼女は自分の杖を転がしてしまった。それを見ていたら「ピック・イット・アップ(拾え)」と命令された。能楽の「張良」のように杖を渡した途端に、クラシックの奥義に目覚めた、とはならなかったが、クラシックに親しむようになったのはその後、自分が40から50代になってからではないかと思う。
■辻井さんのピアノ
ウズベクではタシケントのナボイ劇場でオペラや交響楽を楽しんだ。その頃にはネットで世界の名曲を聴けるようになっていた。だだっ広い居間の机で音楽を聴きながら授業の準備をしたものだ。当時よりPCの機能も向上している。先月、PCを買い替えた。音質が格段に良いことを実感している。
最近、辻井伸行さんのピアノをよく聴いている。彼が2015年にウィーンフィルとプロコフィエフのピアノ協奏曲の演奏を終えた後、アンコールに応えてリストの「ラ・カンパネラ」を弾いた。初めてこの演奏を聞いた時、感動のあまり涙が流れた。自分だけではない。辻井さんのピアノに感泣する人は少なくない。
辻井さんは2009年のヴァン・クライバーン・ピアノコンテストで優勝している。その時の模様をヴァン・クライバーン財団理事長、リチャード・ロジンスキー氏はこう語っている。「ハーレンベルグ・シティセンターで行われた最終選考会で目にしたことない光景を目にしました。総ての審査員が立ち上って拍手をしていました。そしてその目には涙が光っていました。審査員は普通、決して立ち上がることも、喝采を送ることもしないのです。彼らは打ちのめされるほどに感動したのです」。
■涙もろい
それにしてもピアノを聴いて涙を流すようになるとは思わなかった。もともと涙もろいほうではあった。寝床で森鴎外の「即興詩人」を読み、薄幸の歌姫アヌンチャタに涙する姿をカミさんにバカにされたことがある。時代劇でも家老が幼君に「殿、もはやこれまで、落城にござりまする」と告げる場面でも泣く。
ブックオフではあるが辻井さんのCDを2枚買った。また、辻井伸行オンライン・サロンコンサートの視聴チケットも買った。会場に足を運べば7500円はする演奏が1800円、決して高いとは思わない。クラシックに対する劣等感と失恋の思い出は感動の涙と共に薄れてきたように思う。辻井さんに感謝、である。
辻井さんのラ・カンパネラはこちらから