チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

時間割

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時間割から眼が離せない

9月の新学期から「ベンチャー論」の授業をやることになっている。週6-8時間教えてほしいというカレッジ側の要請であるが、大学で教えているSVの忠告を参考に4クラス各週1回、4時間ではどうかという打診をしておいた。日本センターや大学に出講する話もあり、はじめから目一杯の負担は避けたかった。
それを申し出たのが4月で、あとは何も音沙汰がない。8月も中旬となってきて、さすがに心配になってベク君に催促するのだが新学期の1週間前に話がありますから大丈夫です、と鷹揚に構えている。やはり日本人はせっかちなんだろうかと思っていたら、8月24日に学生部長に呼び出された。起業論を4クラス持ってほしい。いいですよ。3年生は11,12月に銀行実習があるので、9,10月は集中講義になる。週に1クラス3時間教える、従って週12時間授業。そういうシステムなら仕方がない。11,12月はまったく授業がないというのも気が抜けるから、学期を通して2年性の経営論を1クラス受け持つことにした。これで忙しい時は80分授業を週13時間。

パーマネントの教職についたことがないので週13時間がどの程度大変なのか見当がつかない。大学教授の友人の話では90分授業の準備をするのに3時間かかるという。そうすると週に4つの出し物を演じるとすると4コマX3時間、12時間も準備にかかる。通訳がつくからその半分でいいとして6時間か。まあまあだろうとは思うが、心配だ。次の日からJICAに日参して、パワーポイントやグラフのコピーを取る作業に追われた。1クラス30名、5クラス分となるとコピーの量も半端でない。学校では通訳のベク君がPCに向かって自分の講義案を英語からウズベク語に翻訳するという頭脳労働に没頭し、自分はコピー取りの肉体労働に励む、という作業分担で数日を過ごした。

そして8月30日に時間割が発表になった。学年ごとにホールに張り出される。この日は教員が集まって壁に貼られた時間割を見て自分がいつ何時間の授業を持つのか確認する。ホールは紙とペンを持った先生でごった返す。みんなに時間割のコピーを作って渡せばいいじゃん、といったら、コピーは貴重ですからそんなむだなことを学校はしませんとベク君が言う。ロシア語でナカニシと書いてある時間をベク君にメモしてもらった。

研究室で確認してみると、3クラス、週2時間ずつ合計6時間だ。どうしてこうなったのか判らないが、予定より授業時間が半減している。これは楽勝、と思わず顔がほころぶ。でもここ3,4日、JICAのコピー機をフル稼働させて作った資料が3割がた無駄になるではないか。かといって時間割が判ってからコピーを始めたのでは間に合わなくなることも考えられるわけで、これは仕方がない。

3年生は全員午後からの授業だ。これはどうして、と聞くと今年は1年生を定員700名のところ、840名も入学させたため教室が足りなくなり、一種の2部授業になったという。国立の学校で定員を変えてしまうのはどうかと思うが、その分、学校の幹部と関係省庁の幹部は受験生からの袖の下で潤うので問題がないのですという。なるほどとにわかには首肯しかねるが、この国ではよくある話である。

9月から新学期であるが1日は独立記念日国民の休日、2日(土)が正式な授業開始日である。
土曜に1クラスある。実質的な授業はしないまでも初めての顔合わせだ。緊張感を持って、教室に行ってみた。ところが生徒が一人も来ない。ベク君は休日に挟まれた土曜日ですから皆来ないのです、と暢気なことを言っている。記念すべき初授業は完全な脱力状態で自然休講となった。

4日月曜は授業がないのだが登校してみる。相変わらず時間割の前は黒山の人だかりだ。その日にならないとどこの教室で授業があるかわからないのだそうだ。
時間割を改めて眺めてみると、自分の授業時間が増えているように思う。ベク君に確認させると、週6時間のはずが9時間に増えている。3クラスに週3時間ずつ合計9時間になっている。それも2時間ぶっ続けで同じクラスに講義とか土曜の5時40分から7時までといった生徒が確実に集まらない時間に授業が組まれている。どうなっているのか。まさに朝令暮改、ベク君が時間帯を変えてくれるよう抗議してくれたが、5割負担増は変わりないらしい。もう授業が始まっているのに、ころころ時間割が変わるとは、やはりここはウズベクだなあと感心する思いだ。しばらく時間割から眼が離せない。