チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

参議院ODA調査団

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参議院ODA調査団

参議院議員6名および事務局3名からなるODA調査団が8月17日から21日の日程でウズベキスタンに来られた。議員さんは皆、衆参ODA特別委員会のメンバーである。大切な税金の使途であるODAが如何なる効果を挙げているかの現地視察だ。衆参ODA特別委員会ではメンバーを4班に分けて、世界各国を視察しているとのこと。
国会議員の海外視察というと、昔の報道の影響もあり、現地で大使とゴルフをしたり、ラスベガスで大散財したりと悪いイメージを持つ人もいるかも知れないが、実際には皆さん仕事熱心で決してそのようなことはない。17日の午前4時過ぎに到着され、その日の昼から、ウ国の関係先訪問、視察を分刻みでこなされた。もちろんJICA、日本センターは視察先に入っているのであるが、お忙しい中、JICA専門家、シニアボランティア、海外協力隊員と個別に懇談会、食事会を設けていただき、JICA事業の現実を直接お話しできる機会を得た。

やはり、実際に政策を担当される方々であり、我々が話すことがウ国のODA の予算に関係してくる可能性がある。事前にSV、隊員に招集がかけられた。JICA事務所で所長から6名の議員のプロフィールや留意事項、懇談に当たっての注意事項などを聞いた。昔は質問事項や発言内容のリハーサルなどをしたこともあったそうだが、「隊員はサンダル履きできたりしないように」といったごく常識的な注意があったくらいで、30分足らずで終了。「皆さんの良識を信じています」という所長の言葉ではあったが、何を言い出すかわからないSVに気を使っているようにも思えた、

我々、都合のついたシニアボランティア5名は大使公邸に集合し、大使夫妻と雑談しながら一行のおいでをお待ちした。SV懇談会の前にJICAで行われた協力隊員との質疑応答が白熱して、皆さんがおいでになったのは予定時刻を30分ほど過ぎた頃だった。


ウ国の在留邦人は130名弱、両国の貿易額はわずか150億円、ウ国を訪れる日本人は年間3,4千人、ウ国から日本に行くウズベク人は年間千人程度だ。それもODA関係の留学生、訪問学生が大半を占める。在留邦人3万5千名、渡航日本人数、年間100万人以上というタイとは比べようもないが、その小国ウズベクに日本は14年の間に1200億円の援助をしている。そのうち800億円が円借款だ。もちろん中央アジアでは最大の被援助国である。

美味しい日本食と日本酒でSVも先生方も口が滑らかになる。団長の阿部正俊議員、またホスト役の楠本大使の質問の引き出し方、話題提供のタイミングなどさすが、外交、政策立案のプロ、と感嘆するものがあった。

20年以上も前になるだろうか、「誰も書かなかったXX」という本が相次いで出版されたことがある。著者の多くはその国に滞在して1年前後の人が多かった。1年まではどうしても日本とその国の相違が目に付いて、何でも「おかしい」と文句を言いたくなるものだ。SV、隊員はちょうどこの時期にあたる人が多い。ワイロ、密告、不正徴税、人権蹂躙、機能していない金融システム、国家予算の3割を使っていながらハードだけでソフトはおざなりの教育システム・・・・。
SVとの懇談会を10時に終えた一行は、更にホテルで待ち受ける隊員たちと12時まで話し合ったという。話が弾むほどに、ウ国の余りの実態に先生方も驚かれたことと思う。

「外国への資金援助とは、最低限の見返りとして、その国 が将来、日本の脅威にならないため、負担にならないほどの友好国となるための投資である」と、先般亡くなられた杉本信行前上海領事がその著書『大地の咆哮』で書いておられる。また、ルイ14世に仕えたフランソワ・カリエールの「外交談判法」という本がある。
幕末、維新に活躍した英国外交官アーネスト・サトウが「政治的叡智の宝庫」(a mine of political wisdom)と絶賛していて、現在でも世界の外交官必読の書といわれる。(本書を紹介してくれた畏友、ハーバード大学シニアフェロー、栗原潤氏に感謝)カリエールは、外交には継続性が必要なこと、誠心、誠意をもって相手に接し、うそつきという評判こそ交渉術の中で致命的欠点となること、また、すべての国々は相互関係の上に成り立っており、たとえ小国といえどもその動きが大国に大きく影響してくる、といったことを繰り返し説いている。

幸い、ウ国は日本を感謝と敬愛の眼で見てくれる数少ない国のひとつだ。それは連綿と続いた援助、それに誠意を持って一生懸命尽くした関係者の努力あってのことである。またその淵源は、ウ国の人の前に初めて多くの日本人が姿を現したシベリア抑留にある。2万3千名もの若者の真摯な労働が、ウ国民の日本人観形成に大きな影響を与えたことを今の我々は感謝の念を持って思い起こすべきだろう。

発展途上国の仕事には問題があるのは事実だ。一朝一夕に解決しないことも多い。しかし、戦後61年、途切れることなく続いた日本の誠意が、ウ国始め多くの国の人々の歴史認識となってきていると思うし、その努力を継続していくことが、日本の国益と世界の平和に寄与していくことになるのだと、ODA調査団の先生と共に信じたい。


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