チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

引き際が大切

 

 

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近くの市場で、卵1個が12,3円する。3割ほど高くなった

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おかずやさん、家で作らず買うのが普通

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烏賊の丸焼き、1本160円前後

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ブアさん宅のバナナ

 

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ラムヤイの花、いい匂いがする

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パパイヤもなっていた


引き際が大切

■書きも書いたり
ブログを書き始めたのは2006年4月のことである。その後、ウズベクから日本へ帰国していた約10カ月を除き、週2回のアップ、16年で1300本余りとなった。ウズで暮らしたのは2008年3月までの2年間、初めての海外長期滞在だったせいか、見るもの聞くもの珍しく、毎日、退屈することはなかった。なんでだろう、どうしてだろう、日本人の自分がおかしいのか、と考え込んだこともある。仕事も初めてのパーマネントの教職ということで、緊張もしたけれど可愛い学生さんに恵まれて刺激的かつ楽しい生活であった。

ブログを始めるにあたって友人から忠告を受けた。ブログの長さは新聞のコラムと同じく1回800字程度に収めるように、長いと読者がうんざりする。でも言語抽象能力が不足しているのか短く纏めきれず、ついつい1回1850字、400字詰原稿用紙にして4枚半、友人の忠告にも拘らず、その後もこの冗長ブログが継続している。時には10回、20回と書き続けるシリーズものもある。特に旅行記はとても1本や2本のブログに収めることはできない。ダラダラと書き続けて、自分でももうこのテーマは打ち切り、他のことを書かなくちゃ、などと思うこともある。

■若い人を立てる
「継続は力なり」というが、ブログを続けて何か力が付いたという気は全然ない。継続は力なり、といった人は誰か。諸説あるが、住岡夜晃という浄土宗の坊さんの「讃嘆の詩」にその言葉があるらしい。『「念願は人格を決定す 継続は力なり」真の強さは正しい念願を貫くにある』という文脈にある。

そうか、継続が力になるためにはまず、「念願」が必要だ。念願というほどではないが、テニスは、もう少しうまくなりたい、程度の希望はある。チェンライに来た当初より、少しはラケットに球が当たるようになっている。リターンはすべてホームラン、ダブルフォールトを4回続けていたロバートも、今はラリーが続く。彼を見ると継続は力なり、を実感する。念願も大切だが時間の要素は大きい。

まあ、10年以上テニスを続けてきて、全然進歩がないのでは、それはテニスをなめていることになる。60を過ぎて始めたテニスだから、そんなに上達しないものの、70を過ぎた今でもまだ発展途上にあるように思う。でも気が付いてみればコート仲間で最長老は自分となっている。技術向上に体力が追いつかない。まだ、勝ったり、負けたりしているうちはいいが、そのうち、ナカと組むと必ず負けるよなー、と言われるときが来ると思う。そうなる前に、静かにコートを去りたいと思っている。曽野綾子さんも、老人は若い人を立て、落ち葉が若葉を育てるように自然と身を引きなさいと書いておられる。

■イミグレでテニス仲間に
イミグレに行くと待合室で顔見知りに会う。たまたま、テニス仲間だったジョージが来た。マスクをしていたせいか自分を全く認識していなかった。彼は窓口に行くと、ビザが切れたのだが何とかならないか、と訴えている。
ジョージは我々兄弟がチェンライに来た時、テニスに付き合ってくれた。こっちは下手だから、彼らに追いつけるのは何時のことか、とわが運動能力の欠如に暗い気持ちになったこともある。当時の彼は、ジャンプして強烈なサーブを決めていた。でも80を越え、テニスが下手になってきた。イラつくことも多くなり、カウントを自分が有利なように間違うことが再々、また、ライン上の球は自分の有利なようにコールする。タイ人は苦笑しながらも「マイペンライ(問題ない)」と笑顔で受け入れる。それでも勝てなくなって、コートに来てもゲームには参加せず、別の場所で有料のコーチとラリーをしていた。でもその姿を見なくなって久しい。

久し振りにみるジョージは昔のヒール(悪役)の面影はなく、痩せてしょぼくれて見えた。「ドクターが、ビザが切れる前後の日を目の検査日に指定したものだから、忘れてしまったのだ」などとクドクドと言い訳をしている。ビザが切れて20日以上経っている。形の上では不法滞在、国外退去を求められても仕方がない。女性係官も持て余して、「メーサイの本事務所で確認してください」と追い返していた。
コートでは遅くやってきて順番を待っているタイ人を尻目に、ゲームに割り込む。傲岸な米国人を絵にかいたようなジョージだったが、イミグレで憐れみを乞う彼を見て心が痛んだ。ずっとヒールでいてほしかったのに。

自分ももうすぐああなるに違いない。ブログが書けなくなったら、球に追いつけなくなったら、静かに身を引かなくては、心からそう思った。

 

フォルツァ350その後

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昨秋の日展から

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同上

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背景の鬼火が緊張感を高める

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着物姿はやはりいい

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老若の女性二人

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同上


フォルツァ350その後

■転倒事故
初めて家からフォルツァに乗って10分もしないうちに空港バイパスで転倒事故を起こした。衝突、或いは接触していたらお陀仏にならないまでも、体に相当なダメージ受けたであろう。猛スピードで突っ込んできた車はスピードを緩めることなく通り過ぎた。道路中央に倒れた後、手足を少しずつ動かし、骨折がないことを確かめた。スクータを起こしに来てくれたタイ人は、なんかこの人,ピクピクしているけど大丈夫かしら、と思ったことだろう。救助の人が立ち去った後、道路際のスクータの横に腰を下ろし、しばし反省。信号が赤でも突っ込んでくる車をよく見かけている。いつもなら右を確かめて発進するのに、新車に浮かれてそれを怠った。自分のミスである。でもスクータは動くし、自分の体も動く。これくらいで済んでよかったのだ、と考えを改めた。すぐには帰宅せず、友人宅に行って事故の顛末を話し、気分が落ち着いたところで家に戻った。

車と自分の傷を見て、ブアさんが大騒ぎ、「傷害保険が使えるから病院に行こう」。70歳を過ぎてタイの疾病保険に入れなくなったが、傷害保険だけは継続していた。昨年、掛け金を振り込んだ領収書を持って、チェンライ・インターという私立病院に行った。救急医療室で医師の診断を受け、両足と右肘のレントゲン写真を撮る。レントゲン室のベッドに横たわる時、右肘で体を支えたため、激痛が走った。転倒の時、肘で衝撃を受けとめたらしい。
もちろん、骨には異常がなく、傷にヨーチンを塗ってもらい、痛み止めの薬を貰って帰った。保険が効いたのか治療費の請求はなかった。

■取り換え修理
フォルツァの右前面カバーは割れて、かなりの擦り傷が付いた。人間の打撲傷は日にち薬で自然治癒するが、バイクの傷は自然には治らない。ホンダの店員があきれていたが、カバーを交換することにした。代金は作業料も含め、日本円で4千円ほど、これくらいの出費は仕方ない。車検証もないのだからバイクの任意保険には当然入っていない。バイクの任意保険は対人、対物が主で、車両保険は全壊に近い時しか保障されなかったと思う。バイクが全壊ならば搭乗者が保険金を受け取れるとは限らない。

自分が新型フォルツァを購入したことを聞きつけたNさんから、数日の日程でミャンマーとの国境の街、メ―ソートにツーリングしないか、とのお誘いを受けた。Nさんはラオス縦断ツーリングを共にしたバイク仲間である。バイクでしか走れない山道を走り、そこから徒歩で1時間ほど登ると、素晴らしい景観の滝があるとのこと。もちろん雨期に入れば誰も近づけない。よくそんな場所を見つけてくるものだと思ったが、今はネットの時代、俺は行ったという報告をネットで読んだとのこと。

近所のカフェで打ち合わせをしたが、まだ車検証もナンバープレートもないとわかって、話は流れた。ナンバープレートのないバイクに対する警察のお目こぼしは県内のみらしい。パヤオ県、チェンマイ県、ターク県の3県を走破するメ―ソート行きは危険が大きい。それに強制保険もないから事故を起こしたら面倒である。
フォルツァ350は手許にあり、その後、おっかなびっくりの試乗を続けている。車検証、ナンバーが届くのは購入後1月以上かかるらしい。ツーリングに出るのは3月中旬以降となりそうだ。

■取り換えのきかない体
傷がついたフォルツァの右前部カバーは取り換えであっさり問題解決であったが、人間の傷は中々癒えない。痛みはなかったが右太もも外側に10センチほどの内出血があった。これが日に日に広がって太もも全体、掌を広げたほどの紫あざになってしまった。誰も見ない場所だし、これは自然と色が薄くなっていくだろう。打撲した両脹脛は3週間たっても痛みがある。右肘も就寝するとき、うっかり右肘で体を支えて、イテテ、となる。

更に、右胸、アバラ骨が咳をすると強烈に痛む。転倒した時にアバラにひびが入ったに違いない。このように傷病兵のような体だが、不思議なことに週5日のテニスには全く影響がない。ラケットを振り回しても足腰、アバラに痛みはでない。先週は6ゲーム先取のダブルスを毎日2セットやったが、5日で戦績は9勝1敗だった。相棒が上手な人だった、ともいえるが多少は自分も勝利に貢献しているのではないかと思う。

それにしても打撲の痛みが1月経っても取れないということは、年のせいで回復力が落ちているということだろう。まあ仕方ないか。

1年ビザが取れた

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チェンライ花祭りから

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同上

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同上

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同上

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同上

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同上

 

1年ビザが取れた

■2回もメーサイへ
ビザとは入国許可証としての役割を果たすもので、査証ともいわれる。旅券があれば、出国はできるが、渡航先の国のビザがないと、そのまま日本に送還ということになる。日本の旅券では世界約70ヵ国にビザなしで入国できる。これは世界一で日本人が海外で信用されている、という証左である。タイにもビザなしで入国できるが期間は30日、それ以上滞在するためにはビザ取得が必要である。観光が目的であればトータル60日の観光ビザ、ロングステイで長期滞在するには1年ビザ、他に留学生や駐在員向けのビザがある。

自分の場合、退職ビザと呼ばれる1年有効のビザを繰り返し更新して、タイに滞在してきた。感染症騒ぎで日本での長期滞在を余儀なくされ、その間にビザは失効していた。チェンライに戻っての最大の懸案事項は1年ビザの再取得であった。
メーサイにある出入国管理事務所(イミグレ)に出向き、まず30日の滞在許可延長、更に90日の延長をした。この90日の許可が切れる45日前から、1年ビザの申請ができる。メーサイはチェンライ市内から70キロ離れている。形の上では新規のビザ申請であるから、本事務所のメーサイに3回目の訪問を覚悟していた。

■出張所で
90日以上、継続してタイにいる外国人はすべて、3カ月ごとにイミグレーションへ出頭し、現住所を知らせる必要がある。11月に入国したので2月のある日、90日届を出しにチェンライのイミグレ出張所に出向いた。すると、旅券を見た係官が90日届は1年ビザ申請と同時にできる,またメーサイの本事務所まで行かなくてもこの出張所でビザ申請ができると言う。えっ、70キロ往復しないで済むの?何度も確かめた。

数日後、書類を揃えてチェンライのイミグレへ、1時間ほどかかったがどうやら申請手続きが終わった。「サインをする偉い人が来ていないから、明日の午後またおいで」。旅券と預金通帳を預けたまま帰宅した。タイにいると何かと疑り深くなっていて、旅券と通帳を無くされたらどうしよう、などと考えていた。でも翌日、1年ビザのついた旅券が返納された。万歳! 懸案解決、これで1年タイに滞在できる。

嬉しいにはもう一つ理由がある。最初に1年ビザを取得したのは日本だった。外務省や警視庁、駐日タイ大使館など廻ってやっと手に入れた。このビザはO-Aビザという。多くの人はこんな苦労をせずにタイに入国してから1年ビザを申請する。これはOビザと呼ばれる。3年前にタイ政府はO-Aビザの更新にタイの健康保険の付保を義務付けた。民間保険であるから掛け金は最低でも年間2万B(約7万円)だ。ところが自分の場合、日本にいる間にO-Aビザが失効し、新たにOビザを申請したため、保険が必要なかった。要するに2万B助かったということだ。

■付保条件変更の噂
テニス仲間にスイス人のロバートとジョンがいる。ロバートはずっとOビザ、ジョンは最初のビザをスイスで取ったのでO-Aビザだ。まだ俺は保険が要らないんだ、と得意そうな顔をするロバートに、ジョンは「毎日、ただでテニスをさせてもらっているのだから、2万Bくらい払うよ」と悔しそうに言っていた。自分もジョンと同じような負け惜しみを言わずに済むと思うと嬉しい。

保険の付保無しにO-Aビザの更新はできないか。実はできる。バンコクにある業者に手数料を払い、旅券を送るとビザ更新の済んだ旅券が送り返されてくる。ルールがあっても抜け道がある、はタイでは常識か。この抜け道の問題点は、かかる手数料が保険代とほぼ同額ということである。同じ金額を出すなら病気になった時の補償がある保険のほうがいいかもしれない。

タイ妻のいる人の中には、付保の必要のない「家族ビザ」に切り替えている人もいる。家族ビザは婚姻証明であるとか、奥さんとのツーショット写真等が要求され、結構面倒と聞くが保険が必要なく、80万B以上の預金証明というO-A、Oビザに要求される条件も半額に減額される。タイ人の奥さんがいても、誰もが正式に婚姻届を出しているとは限らない。事実婚はどうやらイミグレは認めてくれないようだ。

同じ1年ビザでも付保が必要なビザと免除のビザがあるのはおかしい。実は保険付保の話があった時から、そのうちOビザも付保が必要になるという話はあったが、どうやら感染症騒ぎで一時的に沙汰やみになっているらしい。噂では保険の補償額を今の10倍に引き上げるという話もある。そうなればタイにLSできない退職者も出てくるだろう。

かといって保険を避けるために籍を入れて、というのもおかしな話になる。そもそも相手がいない。

新型フォルツァ購入(2)

 

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新型フォルツァ350

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転倒した時についたキズ
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割れてしまった

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すべてデジタル、カギは不要

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荷物室は広い、ヘルメットが2つ入る

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まだナンバープレートはない

 


新型フォルツァ購入(2)

■我がバイク小史
社会人になって大型二輪車の免許を取った。当時は普通免許を持っていると最低、5時間の実地講習で二輪免許が交付された。250㏄までの限定などない時代、750㏄の大型バイクにも乗れる。独身時代は250㏄や350㏄のバイクに乗って、一人で海に行ったり、多摩川べりを走ったりした。東京から宮城、岩手、そして青森の手前を西に向かって秋田に入り、山形、新潟、富山、石川と南下して、その後、長野、山梨を通って東京に戻るという単独ツーリングをしたこともある。結婚後は、カミさんにバイクは反家庭的な乗り物という烙印を押され、その後、しばらく乗ることはなかった。40代になって50㏄とか80㏄の中古バイクを手に入れ、土曜になると築地の魚河岸に買い出しに行った。まあ自転車代り、ツーリングなど考えもしなかった。

チェンライに来て、独身時代の思い出がよみがえった。多少の余裕はあるし、独身に戻っていたからバイク購入に反対する人がいない。2014年にフォルツァ300を購入したのだが「シェレ―ピンが桜の園を買ったときと同じ喜び」とブログに書いているから、よっぽど嬉しかったのだろう。
チェンライではツーリング仲間にも恵まれて、ラオス縦断、チュンポン鷹の渡り見物3千キロなど長期ツーリングも経験した。

■日本では未販売
フォルツァ300を8年所持、5万3千キロ走破しているが、ここ2年近く自分では乗っていないから、年間1万キロ弱走っていたことになる。思えばラオスの山奥に迷い込んだり、ブレーキが効かなくなって崖から転落しそうになった。ベトナムディエンビエンフーの手前まで行った。転倒したから車体には多少の傷があるが、それなりの愛着があった。フォルツァは丈夫でも、こっちの体がいつまでもつかわからない。残り少ない人生、新しいスクータに乗り換えてもバチは当たるまい。乗れるうちに、買えるうちに新しいバイクにしよう。

丁度、ホンダがタイでフォルツァ350という新型を出すことを知った。フォルツァシリーズは20年目に入っていて欧州ではフォルツァ750という大型スクータもあるようだ。フォルツァ350も欧州市場向けで日本国内では販売されていない。でもタイでは昨年に販売が開始された。日本では乗れないスクータか。いいじゃないか。

■あわや激突
購入決定から2カ月、やっとチェンライホンダにフォルツァ350が入荷。まだ車検証もナンバープレートもない車に乗って家に帰った。昼食後、ちょっと試し乗り、側道から片側3車線の空港バイパスを横切ろうとした。信号が青になったことを確認して、スクータを直進させたときだった。突然、右側から猛スピードで突っ込んでくる白い乗用車が視界に入った。ああ、ぶつかる、これで人生お終いか、血も凍るような瞬間とはあのことだ。冷蔵庫を投げ落としたような音が響いて道路に横たわっていた。右足の上にスクータが乗っていて動かせない。左足は動く、首も大丈夫、3車線道路の真ん中でひっくり返っている。数人のタイ人が集まってきてスクータを起こして道路際に運んでくれた。体は何とか動く。助け起こされてよろよろと立ち上がった。

そのまま突っ込んでいれば衝突、或いは接触して跳ね飛ばされていただろう。とっさにブレーキをかけたが体勢を立て直せず、右に転倒したらしい。タイ人が立ち去った後、スクータの横に座ってぼんやりしていた。赤信号でも突っ込んでくるのがタイの交差点、いつもは右を確認するのに、新バイクで浮かれていたのか。サングラスをしていたことも視界を狭めていたのだろう。ヘルメットにも擦り傷が付いていた。肘、右足の外側、左足踝の内側に打撲と同時にできた擦り傷があった。次第に痛くなる。血は出ていないが腫れている。スクータの右側フロントカバーが割れて、擦り傷ができている。購入後3時間で事故車だ。

でも考えようだ。右から車が突っ込んできた時、死ぬと思った。体に擦り傷ができたが骨は折れていないし、頭も打っていない。スクータの右カバーは割れたが取り換えれば済むことだ。エンジンはかかる。これだけで済んだ、ということはついている。神のご加護がまだある。倒れたバイクは厄落とし、こいつは春から縁起がいい。

3時間前、ホンダへ送ってくれた友人宅へ行った。現場からほど遠くない。えー、もう事故ったの? あきれていたがさすが友人、大した怪我、損傷がないことを喜んでくれた。30分ほどお邪魔して、心が落ち着いたところで帰宅。

早速、ブアさんに車の傷を見つけられた。足や肘の傷を見て大騒ぎ、そのまま、病院に行く羽目になった。

 

老人の覚悟(3)

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昨秋の院展から

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同上

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足の描き方がいい

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写実的ではないが

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何処の民俗衣装だろう

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背景の文字は?

 

 

老人の覚悟(3)

■「戒老録」曽野綾子著より(6)
「同じ年頃とつき合うことが、老後を充実させる原動力である」

老人は、どうしてか新しい友人を作りたがらない。 友人ができない理由は、
1)他人に対する本当の関心がないこと、
2) 多少、みえっぱりで自分をさらせ出せないこと、 
3) 不寛容などがあげられる。

若者は忙しいのである。 老人にとって、本当に相手になれる相手は老人しかない。(引用終り)

若い人は若い人の生活があって、何も年寄りと付き合う必要はない。若者同士つるんでいる方が楽しい。自分が若い時を思い起こしても年寄りと一緒にいて気分が落ち着くとか楽しかったという記憶はあまりない。逆に年上の人を前にすると妙に緊張していたように思う。サマセット・モームは「若者が老人に近づいてくるのは何か下心があるからだ」と皮肉っているが、オレオレ詐欺はこの典型か。

チェンライ日本人会は平均年齢73歳というから、自分の相手に相応しい年齢の人ばかりだ。職場ではないのだから気の合わない人とは付き合わなくてもいい。気の合う人と昭和の話に打ち興じる。悪くはない。もう70を超せば、学歴、職歴、ムショ歴など何も関係なくなる。要するに見栄を張る必要がない。タイ語のできない年寄りがつるんでいる、と冷ややかに見る人もいるが、それでもいいではないか、と現役の頃より寛容になっている自分に気づく。

■「戒老録」曽野綾子著より(7)
「 一人で遊ぶ癖をつけること」

 年を取ると、友人も一人一人減っていく。 いてもどこか体が悪くなったりして、共に遊べる人は減ってしまう。
 誰は居なくとも、ある日、見知らぬ町を一人で見に行くような孤独に強い人間になっていなければならない。(引用終り)

同年齢の人と付き合え、と言いながら一方では曽野さんは「孤独に強くなれ」と諭している。親を見送り、兄弟、学友も減っていくという年代である。まだ遊べるときはいい、足腰が痛くなればテニスにも行けなくなる。こうして人と接する機会は減っていく。気が付いてみたら周りはご同輩ばかりの老人施設にいた、ということもあろうが、何時になろうと孤独であろうと楽しみはある。幸い、今はPCという道具がある。「世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我は勝れる」。良寛の先例に学びたい。

■「戒老録」曽野綾子著より(8)
「墓のことなど心配しないこと」 

墓は残された者の配慮すべきことで、死んで行くものの口を出すことではない。
死のたった一つのよさは、何事も感じなくなることであろう。
私の骨がどこにどうなっていようと、もはや、何の疼痛も感じないと言うことなのである。 死後のことを心配することは、生きている人への圧迫になる。(引用終り)

けちで一筋で一代で身代を築いた赤螺屋吝兵衛(あかにしや・けちべえ)さん。落ちているものは何でも拾い、くれる物は何でももらう。道で会った男がけちべえさんをからかい、屁(へ)をあげるという。けちべえさん両手に屁を入れ家に帰り菜畑の上で手を開け、「ただの風よりましだろう」
三人の息子の誰に跡を継がせるか、けちべえさんの葬式の出し方を聞いて了見を知ろうとする。
吝兵衛さんでも死んだ後では片棒は担げない、がオチの落語「片棒」である。弔いは残された人の仕事で、死ぬ本人があれこれ心配しても始まらない。

先頃亡くなった石原慎太郎氏は「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記した。これだけでも氏が単なる保守ではないことを窺わせる。但し、葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開くという。オレの言う通りにしなかったな、と慎太郎氏は苦笑しているだろうが、死後のことは本人には何もできない。

時節柄、法事も葬式も少なく、家族葬が一般的になりつつある。お寺で大々的に葬儀を営む、はこれから少なくなっていくのだろう。自分の場合はどうなるか。エンディングノートには葬儀はさっぱりとタイ式に遺骨をメコンに撒いて欲しいと書いたが、自分で撒きに行くわけにもいかず、どうなるかわからない。

曽野さんは、60を過ぎたら、その人は人間として良い処は既に生きたのだ。 70を過ぎたら、その人はもっと余分に良い処は生きたのだ。だから、その後どれだけ長く生きたかと言うことは、大した問題ではない、と言っている。自分も70を過ぎ、余分に良い処を十分に生きた、と思っている。あれこれ心配するより、いろいろと人様にお世話になって、そう悪くない人生だった、と思ってその日を迎えたいが、思い通りになるとは限らない。

新型フォルツァを購入

新型フォルツァフォルツァ

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家の前で、後ろはカリビア

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フォルツァ350

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同上

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同上

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フォルツァ300


新型フォルツァを購入


■スクータ買換えを決心
ホンダのフォルツァ300を購入したのは2014年のことだった。8年で5万3千キロを走破、思えばラオスに何度も行ったし、バンコク、プラチュアップキリカーン、ホアヒン、スコタイ、カンチャナブリを共に走破した。1日で680キロ走ったこともある。これは我が1日のバイク長距離走行記録でもう破られることはないだろう。

昨年、チェンライに戻って、フォルツァの新型が出たことを知った。ネットで見ると排気量はフォルツァ300が279㏄であるのに対し、新型は330㏄で最高速度、加速性能もアップ、タンク容量は11.5Lと340キロ以上の航続距離を実現している。現有フォルツアはで走行200キロを超えるとガソリンスタンドを探す必要があった。

新しいものはいい。年を考えるともうバイクに乗れる時間はあまり残されていない。8年落ちのバイクで辛抱するか、それとも新型フォルツァにするか。昨年12月に市内のホンダショップを訪れた。フォルツァ350の入荷は2022年の1月中旬になるという。チェンライに2台の割り当てがあるようなことをいう。乗っていったフォルツァの下取り価格を聞いてみると、車検証と走行距離を携帯で撮って、待つこと3 分、「3万5千バーツ(12万円強)です」。高いのか安いのかわからないが、新車を買うときの下取りだから妥当なのかもしれない。日本だったら中古バイクとしては殆ど値段が付かないのではないか。

フォルツァ300を手放す
ブアさんに新しいスクータを買うと言ったら、ケーレオ(年寄りなのに)と大反対。彼女は旧社会党と同じで何でも人のやることに反対する。いうことを聞いていたらテニスにも行けず、タンブンに出かける以外は家に籠りっきりになる。古いフォルツァはどうするのか、と聞くので下取りに出すと答えた。彼女はホンダの店員と同じく、車検証と走行距離を携帯で撮ってあちこちに連絡した。フォルツァラオスの山道で転倒したことがあり、少しキズが付いている。タイでは中古車売買に関してそれほど外観は考慮されないと見える。

ブアさんの村の人がフォルツァを欲しいという。見に来ていないのだが4万バーツ(14万円)払います、とのこと。1月の20日に、フォルツァ購入希望の男性がやってきた。年は30代後半か、我がスクータを見るなり、「買います」。2,3日前に車検を済ませ、1年の任意保険に入っていたことも心証を良くしたようだ。彼はそのままフォルツァに乗ると100キロ離れたパヤオに行ってしまった。残った奥さんが4万バーツプラス保険代を現金で払ってくれた。車検証は自分名義になっているのだが、所有権の移転はどうなるのだろう。その後、ブアさんの携帯にフォルツァに跨る買主の写真が何枚も送られてきた。手放すには心残りがあったが、新しい所有者に可愛がってもらってフォルツァも幸せだ。

■1月遅れで入荷
1月中旬に入荷するはずのフォルツァ350は1月下旬になってもホンダに来なかった。2月になってやっと入荷の知らせがあった。2週間以上、バイクがなくて不便な思いをした。ちょっと出かけるとき、車でもいいのだがバイクだと気楽、バイクならどこにでも停められる。

車体のカラーは黒を希望していたのだが、入荷したフォルツァは黒と青のツートンカラー、ちょっとどうかと思ったが、黒車体の入荷は2カ月後になるという。そんなに待てない。即決で購入することにした。
全額を即金でホンダに支払った。店員は「じゃ、乗っていく?」。乗用車を買った時もそうだったが支払いが済めば、そのまま乗って帰れる。陸運局への登録手続きは1週間後、それまでナンバープレート無しで走行できる。警察もああ、新車だ、と見逃してくれる。

翌日に友人の車でホンダショップへ。運転、操作方法をざっと聞いてフォルツァ350に跨った。ガソリンはサービスしてくれないのでまずはガソリンスタンドへ。ガソリンのサービスはないが、フルフェイスのヘルメット1個とTシャツを呉れた。登録費用も店負担のようだ。
家に戻ったらブアさんに散々文句を言われた。年寄りは年寄りらしく、という。こっちは老い先短いんだ。好きなことさせてくれよ。ウジウジとやっぱり新型フォルツァを買えばよかったかな、と後悔の日々をおくる必要もない。ツーリングを楽しむ古希越え老人、日本では顰蹙を買うかもしれないが、こちらではブアさん以外に関心を持つ人はいない。

ナンバープレートも車検証もないフォルツァの試乗を始めてすぐのことだった。危うく死にかけるという事故に遭遇する。好事魔多し・・・。(続く)

 

老人の覚悟(2)

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市内公園の花祭り

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蘭のアーチ

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一般的な蘭

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これもどこにでもある種類

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すっきりしているので好み

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北タイを強調するための山岳民族か

 

 

老人の覚悟(2)


■「戒老録」曽野綾子著より(3)
「若さに嫉妬しないこと。 若い人を立てること」

 日本の森は、世界でも特殊な照葉樹林を形成しているという。 森の匂いというのは確かに一種独特のものである。 それは、朽ちかけた落葉の体臭である。

 私は森が好きである。 そこに一人立つと、人間の運命を思う。 声もなく、ひそやかに生きる厳しさを思う。若葉が芽吹き、それが木を成長させる力となる。 葉はやがて散ってもなお土となって、若葉を、木自身を育てる。人間には二つの時期がある。 育てられる時代と、育てる時代と。 

 まだ老境の入り口にある人は、自分より高齢の人を立て、年をとるにしたがって、若い人にその場を譲る気持ちを持つのが自然である。私は、そのような行為の美しさを、実際に何人もの先輩から教えたれたのである。大人の美学は、大局に立って他人にとっていいことのために、自分を少々犠牲にして、さりげなくしていることである。(引用終り)

社会の中で暮らす個人は森の中の木に例えられる。永遠に生きることはなく後代に道を譲っていく。育てられる時代と育てる時代、と曽野さんは言っている。でも老年になっても若さを追求し、俺は、私は若いと思って、飲む、打つ、買うの生活を続ける。即ち、薬を飲む、注射を打つ、サプリを買うの生活だ。健康の衰えは年のせい、テニスだって、3ゲームやりたいと思っても、若い人が待っていれば2ゲームで我慢する。一方、遅れてコートに来たのに、待っているタイ人を押しのけて自分が先にプレーするファランがいる。そういう老人に限って、若いものに負けてたまるか、と全身サーブを繰り出す。でも技量は落ちる一方だ。若さを競うのではなく、実力の範囲で楽しむ、これができない年寄りはいる。曽野さんの戒めをコートでも実感するくらいだから、生活の上で自分も一歩下がって若い人を立てているのか、と心配になる。

■「戒老録」曽野綾子著より(4)
「若い世代の将来には、ある程度、冷酷になること」

年寄りになればなる程、今よりももっと、深く絶望すればいいのである。決して思い通りにはならなかった一生に絶望し、人間の創り上げたあらゆる制度の不備に絶望し、人間の知恵の限度に絶望し、あらゆることに深く絶望したいのである。

そうなってこそ、初めて、死ぬ楽しみもできるというものである。その絶望の足りない人が、まだ半煮えの希望をこの世につないで、いろいろなことに口を出す。若い者が、ばかをしでかしてもそれはそれでいい。 自業自得を体験することも、若者にとっては大切な資産である。(引用終り)

心の中はそうでなくても、外見だけは明るくすること。明るくふるまうことは礼儀、と曽野さんは言っているが、誰も心の中には絶望を抱いている、どうしてあの時、こうしなかったのだろう、こんな伴侶でよかったのだろうか、ムリしてもあっちの学校、こっちの仕事についていれば・・・。自分も寝る前に若い時のことを思い出して舌を噛み切りたくなることがある。あー、と声が出てしまうこともある。でも、こうしてで飢えず、凍えず、曲がりなりにも口に糊する身分なのだから、と思い直して眠りにつく。朝になって舌がちぎれていたということはまだない。

でも日本が劣化していくことに耐えられない気持ちがあるということは、まだ絶望が足りないのか。

■「戒老録」曽野綾子著より(5)
「生活の淋しさは、誰にも救えない。 あくまで自分で自分を救済するしかほかはない」

淋しさは、老人にとって共通の運命であり、最大の苦痛であろう。老年というものは、いつか肉体がだめになることだ。眼が悪くなった場合、耳が聞こえなくなった場合、歩けなくなった場合を予測するのだ。 

そして、ついに何もできなくなっても、それで自然だと思うことだ。自分の責任でそうなったのではないことには、気を楽にする癖を、初老と言われる年までにつけておくと、便利だろう。(引用終り)

病院に行くと医師は、正直に「年のせいだから仕方ないね」とは言わない。何か適当な病名をつける。それで年寄りは納得する。病気なら薬を飲むと治るかと思って飲む。飲んでも病気が治らないと医者を恨む。散弾銃はぶっ放す人も出てくる。

年を取れば友人も年賀状も少なくなる。これは当たり前、淋しく思うことはない。年を取ればあらゆる面で衰えるけれど、自分の責任ではない。そう思うことは大切だ。尚、認知症になれば淋しさを感じないで済む。認知症は、神様がくれる最後のご褒美というが、ご褒美を貰える僥倖は2割しかない。