チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイに戻る日は

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タイ首相プラユット氏、この人次第

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秋の院展から

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同上

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顔の部分を望遠で

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眼の下が気になる

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シミではないようだ

 

タイに戻る日は

■日本の現状
感染者が激減している。このところ東京の感染者数は1日100人を下回っている。8月には1日5千人以上だったことを思えば、収束に向かっていると言っていいと思う。これが2カ月前だったら菅首相もやめないで済んだのではないか。菅さんもツキがなかったなあ。

五輪を開催したら感染爆発と言っていた政党やマスコミは今、沈黙している。鎮静化した理由も言ってくれない。8月に第5波が来て一時は全国で1日2万5千人を越える感染者が出た。あの時、どうして感染者数が増加したかの説明はなかったように思う。その後、盛り場への人出は増え続けたのに、感染者数が減ったがその説明はない。
現在の感染者数は全国で1日数百人である。これだけ少ないと第6波が来ると言う警告もほんとかなーと疑いたくなる。

表面上、深刻そうに心配してみせて、心の中では感染拡大を願っていた勢力は確かに存在していた。玉川徹とか立民が言う「ゼロコロナ」を聞いたときは反射的に「ゼロ交通事故死」を目指して車走行厳禁とか「ゼロ不倫」を目指して、ラブホの全面営業停止などを連想した。国民を全員家に閉じ込めて人流を断てばすべて実現できる。でもできないことを言って政権を貶める、これが彼らのやり方だ。

感染症を通して分かったことは、世にいう「識者」がいかに無責任ででたらめであったかということだろう。これは政府の専門家委員会についても言える。

■タイの現状
東京暮らしも1年7カ月に及ぶ。日本の素晴らしさを再認識した一方で、だらけたチェンライの生活が恋しくなることもある。本妻と暮らしていると妾宅が恋しくなるようなものかなあ、と兄に言ったら「渋沢栄一は奥さんとお妾さんを一緒に住まわせていたんだよ」。ウーン、それとちょっと違うと思うけれど。
プラユット首相が、10月中旬からワクチンパスポートを持つ外国人に対して隔離措置なしの入国を認める、というロイター電が9月に流れた。タイのことであるからあまり期待してはいなかった。でもバンコクポスト、インバウンド総合ニュースサイト「訪日ラボ」で次のような報道があった。以下、訪日ラボから。

「プラユット首相は10月11日の20時30分(現地時間)に「Television Pool of Thailand」で放送された国民への演説で、入国者に課していた入国時の隔離措置について、11月1日より取りやめる方針を明らかにしました。
対象となるのは「低リスク」と判断されているイギリス、シンガポール、ドイツ、中国、アメリカなど10か国からの入国者です。現在、日本が含まれるかについては明らかになっていません。
上記の国からの入国者については、自国を出発する前にワクチン接種済みであること、PCR検査の陰性などを条件として入国時の隔離措置が免除されます。
また、12月1日までに上記の対象国を拡大し、1月1日をめどにさらに対象国を拡大する予定であるということです」

これから低リスク国を拡大していくというが、今のところ日本からタイ入国を敢行すると7日間のホテル隔離措置を受ける。ムリをしてチェンライに戻る必要はないか。

相互主義
タイの武漢肺炎感染者はこのところ1日1万人前後である。8月の同時期の2万2千人、9月の1万6千人に比べれば漸減傾向とは言え、まだ感染者数は少なくない。感染者累計と死亡者累計はほぼ日本と同数、ということは人口比で日本の倍である。それでも入国緩和措置を認めたのは外国人観光客の落とすお金がタイのGDPの15%を占めているからだろう。日本の場合、平成21年度の観光庁調査によると国内観光市場規模は名目GDP 比で2%程度、そのうち外国人観光客の寄与率は5%、金額にして約1.2兆円とGDPから見ればネグリジブルだ。感染者数もインバウンドも数字を確かめないとマスコミの「大変だ、大変だ、報道」に惑わされてしまう。

ともあれ、観光収入はタイ経済にとって重要であり、鎖国をしていては経済低迷、プラユット政権の浮沈にも関わってくる。訪タイ外国人数の4位を占める日本人の入国規制緩和も近いのではないか。

感染者数が激減しているのにどうしてタイが日本を低リスク国に入れていないのか。国際関係は相互主義が重視される。現在、日本はタイからの入国者に対して実質10日の待機期間を求めているし、査証免除措置も停止している。日本が入国管理措置を緩和しないのにタイが無条件で日本人を受け入れることは難しいということだろう。

水際作戦が大切であることはわかるが、日本もタイもワクチンパスポート提示だけで相互に行き来できる日が早く来ますように。今はもう神頼みだ。

 

 

京都観光(2)

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清水の舞台、人がいない

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京都タワーが遠望できる

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本堂から阿弥陀堂を撮る。画面中央の女性のポートレートも撮った。

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阿弥陀堂から京都市内を遠望

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阿弥陀堂から清水の舞台を。

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同上

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音羽の滝

 

 

京都観光(2)


清水寺
清水寺は京都観光の定番スポット、1994年に世界文化遺産に登録された「古都京都の文化財」の中のひとつでもある。茶わん坂を登ってきて、まず目に入るのが仁王門、寺の正門にあたる。清水寺自体の創建は8世紀、奈良時代に遡るが、現在の仁王門は、戦国時代の戦火で焼失したものを1500年代に再建したもので、国指定重要文化財となっている。朱色が鮮やか過ぎて、一見、台湾の寺門を連想してしまったが、2003年に解体修理が実施され、再建当時の輝きを取り戻した、とあとで知った。

仁王門は幅が約10メートルで奥行き約5メートル、高さは約14メートルにもおよぶ。茶わん坂、清水坂を登ってきた参拝客は、この巨大な門を見上げて賛嘆のため息を漏らす。門に近づくには石段を登る。誰もが知っている清水の舞台に辿り着くには更に坂道、石段を登らなくてはならない。杖を突く老人がいた。門を仰いでため息をついていたが、讃嘆ではなく、「ああ、こりゃ登れん」、失望のため息だったのだろう。自分ももうすぐこうなる。

まずは清水の舞台で知られる本堂を目指す。清水寺は13万平方メートルの土地に大小30もの伽藍がある。多くは国宝や重要文化財に指定されており、ざっと見るだけでも1時間はかかるでしょう、と案内書には書いてある。

■清水の舞台、再び
半世紀近く前にこの清水寺の本堂から京都市内を見下ろした経験がある。修学旅行だったから、ここ、清水の舞台は多くの参拝客で混雑していたはずだ。今回は10時半という絶好の観光時間であるのに、パラパラとしか人がいない。外人もいない。京都タワーが遠望できる。左手には阿弥陀堂とその前にせり出した舞台が見えた。本堂の前に腰を下ろしても人影に視界を遮られることがない。感染症も悪いことばかりではない。物事はコインの裏表、小さな喜びはどこにでもある。阿弥陀堂を遠望すると欄干に手をかけて本堂を見ている人が豆粒のように見えた。望遠83倍、自慢のニコンを駆使し、マスクをした女性の顔を盗撮、周りには怪しい自分をたしなめる人は全くいない。

清水の舞台というように、本来は舞楽が奉納された場所で檜の板が張られている。広さは約100畳、自分の腕前を試すにふさわしい場所、つまり晴れ舞台という意味で「檜舞台」という言葉が使われるが、その発祥はこの清水の舞台という。地上からは、ビル4階に相当する約13mの高さがあり、懸け造りと呼ばれる釘を一切使用しない、伝統な建築技法が用いられているとのこと。

阿弥陀堂から本堂を撮る、が清水寺写真の定番である。自分も本堂から阿弥陀堂へ移動する。昔は舞台を支える樹齢400年を超える柱を写真構図に含めることができたが、今は樹木が柱を隠してしまっている。多少迫力に欠けるが、何枚か阿弥陀堂から見る本堂の写真を撮って、阿弥陀堂の濡れ縁に腰かけた。2,3組しか参拝客がいないので彼らの会話が聞くともなく耳に入ってくる。多少の関西なまりがあっても会話が理解できる。日本語だ。やはり日本はいい。

音羽の滝へ下る
多くの生徒に交じって、3本の流れ落ちる聖水に柄杓を伸ばしている高校生の写真があった。17歳の自分である。もう夕暮れに近く、友人がフラッシュを焚いて写してくれたのだろう。清水の舞台よりもこの音羽の滝の思い出が鮮明であるのは写真のお陰だ。

音羽の滝は、清水の舞台がある本堂の東側の石段を降りたところにある。清水寺きってのパワースポットとして有名。音羽山の湧き水は3本の筧を通って流れ落ちる。創建以来、一度も絶えることなく流れ落ちる水は、「観音様の功徳水」「金色水」「延命水」といった名前でも呼ばれている。寺号の「清水寺」もこの清らかな水からきているとされていて、まさに寺の原点といえる場所だ。音羽の滝のご利益は、向かって右から順番に「恋愛成就」「延命長寿」「学問上達」だと言われている(諸説あり)。自分が高校生の時はこんなご利益があるなどと聞いたことがない。どこの神社仏閣にも「恋愛成就」のスポットが登場するのはここ10数年のことではないか。

夕暮れの人混みの中で竹の柄杓を差し出した50年前と違い、滝には全く人影がない。真昼の太陽の下、ご利益の有難みまで消えてしまう。柄杓は金属製になっており、青い殺菌灯の箱から取り出す。「延命長寿」の冷たい水を一口、そしてペットボトルに柄杓の水を汲む。親子連れが下で自分が去るのを待っている。慌てて場所を譲る。滝の前にある休憩所で見ていたが、柄杓の水を飲む人は皆無だった。1200年に亘り、庶民がこぞって飲み続けた聖水であるが、今は密を避け生水は飲まない、これも武漢肺炎の影響か。

 

異国で生まれなおす

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2020年1月ミャンマー、チェントンの市場にて

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同上

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豆苗か

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タナカ(おしろい)を塗っている女性

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お客さんと話す

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店番はつまらない

 


異国で生まれなおす

 

■愛読した本との再会
いつも行く図書館に須賀敦子全集が並んでいた。全8巻、別巻1の9冊であるが、いつも誰かが2,3冊借り出している。須賀敦子は1998年に亡くなっている。未だ人気が衰えていないようだ。

須賀敦子は1953年に政府留学生としてパリに渡り、20代にはイタリアに留学、そしてイタリア中部にある都市、ペルージャで書店主と1960年代初めに結婚、当時は日本人とイタリア人の結婚は珍しく、テレビにも出たそうだ。でも数年で夫と死別、40代に帰国してからは非常勤講師として、慶応外国語学校聖心女子大東京大学京都大学上智大学で教える。50代以降、イタリア文学の翻訳者として脚光を浴び、50代後半からは随筆家としても注目を浴びた。上智大学比較文化学部教授になった時は60歳になっていた。彼女の作品の多くは亡くなるまでの10年間に発表されている。

『ミラノ 霧の風景』 、『コルシア書店の仲間たち』といった代表作も彼女が60代になってから出版されている。清冽な格調高い文章、登場する友人、知人、亡夫への愛情、思いやり、尊敬が静かに心に沁みてくる名文である。彼女は小説家ではない。随筆ではあるが自分の身の回りに起こった事象の報告書とも読める。文章は完成されていて無駄が一つもない。文章とはこう書くものか、30年ぶりに読んでため息が漏れた。

チェンライにいたら須賀敦子の著書に再び手を触れることはなかっただろう。はからずもチェンライに戻ることができず、日本に1年半滞在することになってしまった。でもいくらかの満足感を感じているのは、味覚で言えばおいしい和食を食べた、映像であればいい映画を観た、本であればタイでは読めなかった本に出合えた、といったいくつもの嬉しい断片があったからである。
断片をつなぎ合わせて、懐かしく幸せだったころの記憶をいつか文章に紡いでみたい、須賀敦子の随筆を再読していると、そういった大それた望みが湧いてくる。でも能力はもとより時間も自分には残されてはいない。

■「異国に生まれなおした人」から
評論家池澤夏樹が「異国に生まれなおした人」という評論を書いている。

須賀敦子は日本文学においては、やはり特異な作家である。そう考える理由として彼は、三つの理由を挙げている。第一に彼女の執筆活動が最晩年の10年ほど絵集中的に行われた。第二に彼女が書いたのは優れたエッセーで小説ではなかったにもかかわらず、見事な成果を上げ、一流の文学者の列に連なった。小説万能の時代の現代では珍しいことである。第三に、彼女が書いたのは、そのほとんどがイタリアという異国の話であった。ただの旅行記や滞在記ではなく、完全に外国の社会に一員となって長く暮らした者の作品は少ない。
(中略)
須賀敦子のイタリアとはどういう体験だったのか。別の国に行って暮らしはじめる。子供の時から使っているのとは別の言葉を学び、見慣れない顔立ちの人々にかこまれ、違う種類のものを食べ、違う習慣に浸る。この試みがうまくいった時、人は多分生まれなおす。

積極的な受動性、と池澤は言う。幼児は与えられるものすべてを受け入れる。感覚が捕らえるものをどん欲に吸収する。知ったことはすぐに試してみる。言葉や習慣を嬉々として覚え、使って、身につける。周囲から笑われながらも先に進む。何年かして気が付いてみるともう一人前になっている。須賀敦子がイタリアに行ってからの日々は正にこの積極的な受動性に支配されていた。

■タイで生まれなおしたか
自分もタイに10年暮らした。自分にとってタイとはどういう体験だったのだろう。子供の時から使っているのとは別の言葉を学び、見慣れない顔立ちの人々にかこまれ、違う種類のものを食べ、違う習慣に浸ってはきた。でも周りには常に邦人がいて、タイ語なしでは生活が成り立たないという環境ではなかったし、幼児のような積極的な受動性を持ち合わせていなかった。自分とは異なり、異国で何十年も過ごし、生まれなおした人と言っていい人はいくらでもいる。でもその経験を知的に成熟させて、文学的に表現する能力を持つ人は限られている。

自分だっていつかは・・・、50年前ならそう言い聞かせて自らを鼓舞したかもしれない。でも今、10年後の俺を見てくれ、などと言っても10年後はもうこの世に存在していない可能性が高い。感受性の乏しい自分ではあるが、ヘンリー・ミラーが言っているように、「異国を訪れ、異国に暮らすことで、新しいものの見方を獲得している」、せめてしているはずだ、と思って生きていきたい。今回も「老いの繰り言」めいた話になってしまった。

 

京都観光(1)

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茶わん坂、2年前は人混みで歩けなかったという

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陶器店が多い

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閉まっている店も

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茶わん坂から仁王門を見上げる

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清水寺と書いてある

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清水寺三重塔


京都観光(1)

■そうだ京都、行こう

「そうだ京都、行こう」は1993年からJR東海が実施しているキャンペーンである。30年近くも連続使用しているから、そうだ、とくればなかなか「そうだ島根、行こう」とか「そうだ青森、行こう」にはならない。日本にいるなら京都に、と豁然大悟したわけではない。実は舞鶴に住んでいる娘が、出産に備えて埼玉の義妹の家に移動することになった。その移動に同行することになったのだが、京都は東京、舞鶴の途中にある。この際、京都に行ってみることにした。娘の移動は早くから予定されていたので、そうだ、と思いついて行くことにしたわけではない。社会人の時に出張で何度か京都に行っているが、日中は仕事であるから神社仏閣を回ったことはない。修学旅行以来、行っていない名所もある。見方にもよるがヒマとカネには不自由しない身である。今行かないで何時行くの、だ。

調べてみると京都市内のホテル価格が激安となっている。通常は1泊2万円という高級ホテルが3,4千円で泊まれる。よほど観光客が少ないのだろう。この分で行くと観光名所もガラガラではないか。

 

■やはり観光客は激減

2019年に京都に宿泊した観光客は延べ2125万人、内、外国人は約3割、そして外国人の6割弱がアジア系となっている。こうしてみると、観光客の大半は日本人であり、巷間、言われているように京都の観光地は中国人ばかりという話は、統計の上では大げさであることがわかる。

2020年に京都に宿泊した観光客は延べ773万人、前年度に比べ全体で6割減、外国人宿泊客を見ると前年比9割減、修学旅行生は約8割減と惨憺たる結果になっている。

京都市観光協会の調べによると2021年8月の京都市内主要旅館の稼働率は9%であり、外国人観光客は17カ月連続でほぼゼロとなっている。緊急事態宣言解除後の紅葉シーズンに期待、という調査報告が痛々しい。

売り上げは半分以下になっても利益が上がる業種は殆ど無い。通常の8割引きであっても泊ってあげるほうがホテルにとって、またGDPに寄与するという経済学的見地からも望ましいと言える。

 

■観光案内所は閉鎖中

9月30日の新幹線に乗ったが、自由席の乗車率は3割ほどだった。期末ではあるがビジネス客も少ないのだろう。10時過ぎに京都駅に到着、駅構内にある観光案内所で市内地図やパンフを貰おうとした。でもシャッターが下りていて、10月1日より再開しますという張り紙が張られていた。まだ緊急事態発令中であるから仕方がない。

駅前のバスターミナルにバス案内所があった。ここで600円の1日市内バス券を購入した。券と共にバスの路線マップを呉れる。これで市内の主な観光地と最寄りバス停がわかる。北は下賀茂、上賀茂神社金閣寺竜安寺、栂ノ尾、南は伏見稲荷、東は銀閣寺、南禅寺清水寺祇園知恩院京都国立博物館、西は嵐山天竜寺、苔寺、すず虫寺、太秦映画村などへバスで行ける。

ぐっと地図を睨んで、まず清水寺に行くことにした。高校の修学旅行以来、足掛け50年ぶりである。市バスは「清水寺は次の停留所で降りてください。停留所を少し戻り、信号を渡り茶わん坂を登ると清水寺に着きます」と車内放送で丁寧に案内してくれる。京都駅から10分足らずで最寄りのバス停、「清水道」に着いた。

 

清水寺

東大路から清水寺へ登る参道が茶わん坂だ。茶わんでわかる通り、清水焼発祥の地である。茶わん坂一帯で清水焼が作られるようになったのは、8世紀頃に僧行基清閑寺村茶碗坂で製陶したことからと伝えられている。また、16〜17世紀頃、茶碗屋久兵衛が近くの五条坂一円で金、赤、青の彩色した陶器を作り、「清水焼」の名を冠したことからともいわれている。清水焼の長い歴史と風土の中で、この地は数多くの名工を輩出してきた。清水寺の境内には、清水焼の祖・野々村仁清と、仁清に師事した尾形乾山(兄は画家の尾形光琳)の顕彰碑が建立されている。

確かに陶器店が多い。しゃれたカフェ、飲食店、小間物店、土産物店が軒を連ねるが、多くはシャッターを下ろしている。貸し浴衣を兼ねた呉服店がいくつかあったが、日本人で浴衣を借りる人は少ないだろう。緊急事態宣言が解除されても外国人観光客が戻ってくるには時間がかかる。

茶わん坂はそれほどの勾配はないのだが、秋にしては気温が30度と高く、台風の関係か湿度も高い。リュックを背負った老人が、イヤホンから流れるスプートニクスに合わせて元気よく登るにはちときつい。多分、5年後はムリだろうと考えているうちに、清水寺の華麗な仁王門と三重塔の前に出た。(続く)

最後の授業

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秋の院展から

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同上、スケッチ風

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院展から

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顔の部分を望遠でアップ

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横たわる女性

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望遠でアップ、思ったより表情がいい

 

最後の授業

2008年3月に書いたブログを再録します。

■出会いは人を成長させる
自宅で、一人で仕事をして、うんと稼いで暮らせたらラクでいいな、と考える人がいるかもしれません。しかしながらこれは不可能です。なぜなら、人は「人と出会うことで成長する」ようにプログラムされているからです。

多くの人と出会い、刺激し合い、お互いの無いものを吸収しあうことで、成長していきます。更に言うなら「より対極にある人」に出会うほど人は成長します。異性や外国人、異業種、異文化の人に出うことなども人を成長させます。これは人類普遍の原理原則です。

一人で仕事をして儲けることもある程度は可能でしょう。しかしそれには限界があります。まず、一人でやることは楽しくない。カードゲームでもすごろくでも一人でやっても面白くない。みんなでやるから楽しいのです。ですからビジネスをやるときにもみんなを巻き込んで楽しくビジネスをやることを心がけてください。そうすることによって人は無限に成長していきます。

皆さんはこれからカレッジを卒業して、新しい人と出会うことになるでしょう。卒業は英語でコメンスメントと言って始まりという意味があります。卒業は決して終わりではなく新しいことの始まりなのです。新しい出発と新たな出会いを楽しんで、無限に成長していって欲しいと思います。
この一年、皆さんを教えて、本当に楽しいときを過ごすことができました。

私はウズベク語ができないからナフォサットに通訳をしてもらいました。ですからボリュームからいったらウズベクの先生の半分の量しか講義できなかったと思う。申し訳ないと思います。通常、日本語から英語など翻訳をしていくと内容の3割が失われるという。私の英語言い換えで3割減った内容をここにいるナフォサットがウズベク語に直すときに5割ほど補足してくれました。名通訳ナフォサットにここで感謝したいと思います。

皆さんはいつもポジティブでチアフルだった。いつも明るく前向きに、これを忘れなければあなたたちの将来は明るい。そしてきっとできる、できるはずだ、と決意を自分にい聞かせてください。がんばっていればいつか出来る。ああ、もうできないと自分が思ったとき、本当にできなくなるのです。人はどんな高いところでも登ることができる。しかし、それには決意と自信がなけばならぬ、とアンデルセンは言っている。

また、フランスの哲学者ヴォルテールはこのように言っています。
人生が自分に配ったカードは、ただ受け入れるしかない。しかし、手元に来たカードの使い方を決め、勝機をつかむのは自分自身である。

皆さんはウズベキスタンの、今の家庭に生まれた、それは変えようが無い。しかし、その後は皆さんの心がけ、やり方で変わっていくのです。私はまだカリモフ大統領に会ったことがないけれども、もし会ったら、彼はこういうでしょう。「孤児院で育ったけれども、そのお陰で頑張ることができた」と。

アップルの創立者スティーブ・ジョブズは、生まれてすぐ労働者階級の家に養子に出され、大学はドロップアウト、その上、アップル社からは放逐される、でも彼はいつもそのお陰でこういうことができたのだとポジティブに考えました。あなたたちも何が起こっても、そのお陰でこういうことができた、というジョブズの前向きな姿勢を忘れないでください。決して、XXのせいでできなかった、と愚痴らないように。残念ながら皆さんの卒業式には出られないけれど、皆さんの明るい将来を信じています。さようなら。

ティーチャー、サンキュー・フォー・ユア・ノーリッジなどとカタコトの英語で感謝の言葉を述べながら生徒が教室から出て行く。アディロバが席で泣いている。この授業が終わるのが悲しいのだそうだ。細かく肩を震わせる少女を見ているとちょっと切なくなる。

彼女は大使館の若手外交官Sさんに思いを寄せたことがあった。もちろん実らなかったけれど。生きている限り、人には様々な出会いと別れがある。出会いばかりではなく別れも人を成長させる。アディロバにも自分にも、お互いに更なる成長に向けて旅立つ別れのときが来たようだ。

(蛇足ながら、その後の成長はなく、退歩傾向です)

 

 

武漢肺炎収束か

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横浜、港の見える公園から

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同上、望遠で

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大佛次郎記念館

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横浜の水源近くの水路

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水源近く

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水路、このあたり公園になっている



武漢肺炎収束か

■大騒ぎも終わり?
漸く武漢肺炎は収束の時期を迎えたようだ。19都道府県に発令されていた緊急事態宣言が解除された。行動制限の緩和は段階的に実施され、飲食店での酒類提供も容認される。これまでじっと我慢して家に籠っていた国民も外食へ、旅行へと財布のひもを緩めるだろう。これで経済が回る。会社や学校で皆顔を合わせて、仕事に勉強に励む。人間もゴキブリと同じで集団の中にいるからこそ元気が出る。
いや、安心するのはまだ早い、感染拡大第6波が来て、バタバタ死者が出るという学者もいる。まだ言うか、だ。これまでいわゆる学者という人が、何も対策が取られなければ、とか、という可能性も否定できない、といった逃げ口上を用意しながら、善良な市民の不安を煽っていた。どうして陽性者数が少なくなったのか、とまるで武漢肺炎が収束することが気に入らない、といった発言をするテレビのコメンテータすらいた。

大変だ、大変だ、と煽れば視聴率が稼げる、視聴率が上がらないと広告料が少なくなる、広告料が少ないと出演者のギャラが減る。要するにカネの問題だ。学者もテレビに呼んでもらうためにプロデューサーの台本通り喋る。学術的知見に乏しい学者が出演していたのはそのせいだろう。彼らと違ってiPS細胞の山中伸弥先生は数字を交えて、学問的な解説をブログに上げておられた。情報は与えられるものではなく、取りに行くもの、信頼できそうな複数の情報源があれば、テレビなど見なくて済む。山中先生は、武漢肺炎収束までに1年、いや2年かかると、昨年のかなり早い段階で発表されていた。でも自分はそんな馬鹿な、と思って、暖かくなるとウィルスは力を失ってくる、だから2020年の五輪は問題なく開催されるといった学者の意見を信じていた。人は自分に都合のいい意見だけを好むものだ。

■大した病気でなかった
感染症騒ぎで社会構造が変わったという人がいる。IT技術の進歩と相まって、自宅学習、在宅勤務が定着する、だから郊外に人口が分散し、働きながら田園生活が楽しめるようになるとか。ユーチューブの討論会でも遠隔地からの参加も普通になってきた。これまで批判に晒されてこなかった大学教授の授業も誰もが視聴できるから、あの先生の授業はダメだ、XX大学のZZ先生の講義が素晴らしい、といったランキングができて、大学教授の淘汰が始まるかもしれない。まあ物事にはいいこともあれば悪いこともある。

この度の感染症で亡くなった人は約1万7千人、年間にがんで死ぬ人は38万人というから死亡者は多くない。家での転倒死、風呂で溺死する人のほうが多いと言われている。また武漢肺炎関連での死亡者の4分の3は77歳以上で、平均年齢は83歳だ。更に6割の人が糖尿病、高血圧、腎臓疾患などの基礎疾患を持っていた。

こうしてみると、あと2,3カ月経てば、あの武漢肺炎て、どうってことなかったよね、という話になるのでは、と思っている。ただ、この騒ぎを起こしたのはどこの国か、を忘れてはならない。いつの間にか武漢ウィルス研究所とか研究資金を提供した米国のファウチ博士とかの記事を見なくなった。収束と共に誰が、何のために、どうやって利益を上げたのか、といった疑問まで消えてしまうのは残念だ。

■ペストで天才続出
感染症が既存の体制を根底からひっくり返した事例は歴史上いくつもある。ルネサンス期のフィレンツェを襲った黒死病では市民8人の内、5人が亡くなった。この大量死はわずか数カ月の間に起こった。人々は救いを求めて教会に詰めかけたが、いたずらに感染速度を速めるに過ぎなかった。

もし、会社の上司が半分以上消えてしまったら、俺もすぐ部長になれるかも、と期待するだろう。社会に元気が出る。また人口の半分以上が失われて、過剰な財が少数の人に委ねられた。彼らはその財産を偉大な芸術作品や貴重な文献を求めることに費やした。コジモ・ディ・メディチ、ロレンツォ・イル・マニフィコ等のパトロンがドナテッロ、ダ・ヴィンチミケランジェロ等に制作を依頼した。彼らは生活の心配をすることなく創作活動に情熱を傾けた。メディチ家は目利きであったばかりでなく、委託した芸術作品が市民にどう受け入れられるかを重視した。芸術作品によってメディチ家は市民の支持を集めた。疫病の蔓延を防げなかった教会の威信は地に落ち、世俗的な人文学者が取って代わった。

蔓延が-、と言って首相が代わった国もあるが、それどころではない社会変革が当時のフィレンツェでは起きたのである。武漢肺炎は芸術を理解する国民も天才芸術家も生まなかったが、それでよかったと思う。

世界幸福度ランキング

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みなとみらい

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同上

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みなとみらい展示場方面

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みなとみらい駅

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大佛次郎記念館

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同上



世界幸福度ランキング

■青い鳥が住む国は
2012年から毎年、国連が世界幸福度ランキングを発表している。世界幸福度ランキングは、一人当たりの国内総生産GDP)、社会的支援、健康寿命、社会的自由、寛容さ、汚職の無さ・頻度、ディストピア(人生評価/主観満足)を分析して積算。過去3年の平均値で順位を決めている。
気になる順位であるが、世界149ヵ国を対象とした2021年の調査では、トップ10が、1位フィンランド、 2位デンマーク、3位スイス、4位アイスランド、5位オランダ、6位ノルウェー、7位スウェーデン、8位ルクセンブルク、9位ニュージーランド、10位オーストリア、9位のニュージーランド以外は欧州が占めている。

主要国では、米国は19位(18位)、ドイツ13位(17位)、英国17位(13位)、フランス21位(23位)、イタリア28位(30位)となっている。お隣の韓国は62位(61位)、台湾24位(25位)、ロシア76位(73位)、中国は84位(94位)、香港は77位(2013年は64位)、最下位はアフガニスタン(149位)だった。

日本は昨年の62位(過去最低)から56位に順位を上げている。ただし先進国では最低順位であり、世界平均のちょっと上あたり。評価項目では、「GDP」と「健康寿命」を除き、「汚職の無さ」「社会的支援」が低く、特に低評価なのが「社会的自由」と、「寛容さ(他者への寛大さ)」である。さらに日本人は「人生評価/主観満足度」が非常に低い評価になっている。

こうした聞き取り調査を含む統計はあてにならない。例えばミカンを貰ったら普通は嬉しい。少なくとも自分は嬉しい。でも広く「みかんを貰ったら嬉しいですか」という質問に対し、ミカンが豊富に取れる地方であるとか、酸っぱいミカンしか産出しない地区、ミカンアレルギーを持つ人の比率が高い地区などの前提条件が違えば同じ質問であっても答えは違ってくる。汚職が当たり前の国に比べ、日本は格段に汚職の少ない国であるが、それだけに汚職に対する目が厳しく、つい日本は汚職にまみれていると思い込んだりする。それで結果にはバイアスがかかって全体として信用できない統計となる。日本人は謙虚というか自分に厳しいところがあるから、幸せ度ランキングでは中位に甘んじているのだろう。

■あてにならない
統計など一種のお遊び、傾向がわかるかな、といった程度だ。上記幸福度ランキングの上位の国々は例年あまり変わらない。収入の半分が税金にとられる国の国民が自分たちは幸せだと言っているのであればそれはそれでいい。幸せを求めてランク下位の国から上位の国に移民していくかと言えばそうではなさそうだ。いくら幸福度ランキングトップであってもフィンランドみたいな寒い国でフィンランド語を喋らなければ暮らせないとなれば、それは自分にとって地獄に等しい。トナカイの肉なんか喰いたくないし、サウナも嫌いだ。

日本に戻ってきてよかったと思うことは何ですか?という質問を受ける。食べ物がおいしい、夜、独り歩きできる、コンビニがあって便利、品質の高い品物、食料品、時間どおりの公共交通機関、街もトイレも清潔、など、日本を訪れた外人と同じような感想を持つ。でも一番日本に戻ってよかったな、と思うことは日本語が通じる、これに尽きる。タイではだれか知らない人が話していたら、始めから聞く努力を放棄している。どうせわからない。それが日本だとみな日本語を話している、JRの社内でサラリーマンの話が理解できた時は感動したものだ。母国語、マザータング、嬉しい。ウズベクでは英語で授業をしたが、何が悲しくてこんなところで下手な外国語を使わなくてはならないのか、と思ったことは再々。年金生活に入って嬉しかったことは、もう英語を話さなくていい、ということだった。

■楽園はどこに
日本は母国であり、素晴らしいとは思うが、タイのあのダラダラした生活と潤沢なトロピカルフルーツを思うと、早くチェンライに戻りたいと思う。幸せがチェンライにあるのか、と問われれば、答えに詰まってしまう。日本でもタイでもない国に、この世の楽園があるのかもしれない。ヘンリー・ミラーは「重要なのは目的地(楽園)に到達することではなく、新しいものの見方を獲得することだ」と言っている。

世界幸福度ランキングトップ10の国うち、自分が訪れたことのある国は5カ国に過ぎない。残りの5つを旅したとしても、新しいものの見方でやはり日本は素晴らしい、という結論に達するのではないかと思う。