チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

異国で生まれなおす

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2020年1月ミャンマー、チェントンの市場にて

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同上

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豆苗か

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タナカ(おしろい)を塗っている女性

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お客さんと話す

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店番はつまらない

 


異国で生まれなおす

 

■愛読した本との再会
いつも行く図書館に須賀敦子全集が並んでいた。全8巻、別巻1の9冊であるが、いつも誰かが2,3冊借り出している。須賀敦子は1998年に亡くなっている。未だ人気が衰えていないようだ。

須賀敦子は1953年に政府留学生としてパリに渡り、20代にはイタリアに留学、そしてイタリア中部にある都市、ペルージャで書店主と1960年代初めに結婚、当時は日本人とイタリア人の結婚は珍しく、テレビにも出たそうだ。でも数年で夫と死別、40代に帰国してからは非常勤講師として、慶応外国語学校聖心女子大東京大学京都大学上智大学で教える。50代以降、イタリア文学の翻訳者として脚光を浴び、50代後半からは随筆家としても注目を浴びた。上智大学比較文化学部教授になった時は60歳になっていた。彼女の作品の多くは亡くなるまでの10年間に発表されている。

『ミラノ 霧の風景』 、『コルシア書店の仲間たち』といった代表作も彼女が60代になってから出版されている。清冽な格調高い文章、登場する友人、知人、亡夫への愛情、思いやり、尊敬が静かに心に沁みてくる名文である。彼女は小説家ではない。随筆ではあるが自分の身の回りに起こった事象の報告書とも読める。文章は完成されていて無駄が一つもない。文章とはこう書くものか、30年ぶりに読んでため息が漏れた。

チェンライにいたら須賀敦子の著書に再び手を触れることはなかっただろう。はからずもチェンライに戻ることができず、日本に1年半滞在することになってしまった。でもいくらかの満足感を感じているのは、味覚で言えばおいしい和食を食べた、映像であればいい映画を観た、本であればタイでは読めなかった本に出合えた、といったいくつもの嬉しい断片があったからである。
断片をつなぎ合わせて、懐かしく幸せだったころの記憶をいつか文章に紡いでみたい、須賀敦子の随筆を再読していると、そういった大それた望みが湧いてくる。でも能力はもとより時間も自分には残されてはいない。

■「異国に生まれなおした人」から
評論家池澤夏樹が「異国に生まれなおした人」という評論を書いている。

須賀敦子は日本文学においては、やはり特異な作家である。そう考える理由として彼は、三つの理由を挙げている。第一に彼女の執筆活動が最晩年の10年ほど絵集中的に行われた。第二に彼女が書いたのは優れたエッセーで小説ではなかったにもかかわらず、見事な成果を上げ、一流の文学者の列に連なった。小説万能の時代の現代では珍しいことである。第三に、彼女が書いたのは、そのほとんどがイタリアという異国の話であった。ただの旅行記や滞在記ではなく、完全に外国の社会に一員となって長く暮らした者の作品は少ない。
(中略)
須賀敦子のイタリアとはどういう体験だったのか。別の国に行って暮らしはじめる。子供の時から使っているのとは別の言葉を学び、見慣れない顔立ちの人々にかこまれ、違う種類のものを食べ、違う習慣に浸る。この試みがうまくいった時、人は多分生まれなおす。

積極的な受動性、と池澤は言う。幼児は与えられるものすべてを受け入れる。感覚が捕らえるものをどん欲に吸収する。知ったことはすぐに試してみる。言葉や習慣を嬉々として覚え、使って、身につける。周囲から笑われながらも先に進む。何年かして気が付いてみるともう一人前になっている。須賀敦子がイタリアに行ってからの日々は正にこの積極的な受動性に支配されていた。

■タイで生まれなおしたか
自分もタイに10年暮らした。自分にとってタイとはどういう体験だったのだろう。子供の時から使っているのとは別の言葉を学び、見慣れない顔立ちの人々にかこまれ、違う種類のものを食べ、違う習慣に浸ってはきた。でも周りには常に邦人がいて、タイ語なしでは生活が成り立たないという環境ではなかったし、幼児のような積極的な受動性を持ち合わせていなかった。自分とは異なり、異国で何十年も過ごし、生まれなおした人と言っていい人はいくらでもいる。でもその経験を知的に成熟させて、文学的に表現する能力を持つ人は限られている。

自分だっていつかは・・・、50年前ならそう言い聞かせて自らを鼓舞したかもしれない。でも今、10年後の俺を見てくれ、などと言っても10年後はもうこの世に存在していない可能性が高い。感受性の乏しい自分ではあるが、ヘンリー・ミラーが言っているように、「異国を訪れ、異国に暮らすことで、新しいものの見方を獲得している」、せめてしているはずだ、と思って生きていきたい。今回も「老いの繰り言」めいた話になってしまった。