チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

国防より経済優先?

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上野の都立美術館

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院展から

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同上

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同上

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顔の部分を望遠で


国防より経済優先?

 

■呆韓
2015年12月28日に韓国で行われた日韓外相会議で「慰安婦問題日韓合意」が発表された。外相会談後の共同記者発表で、両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明。韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認した。外相会談では、日韓両政府が今後国際連合など国際社会の場で慰安婦問題を巡って双方が非難し合うのを控えることも申し合わせるとともに共同記者発表で両外相がその旨を表明した。

こんな合意、守られるはずがない、という内容のブログをすぐに書いた。自分だけでなく当時の世論調査によると大半の日本人がそのように考えていた。結果はご存じの通りだ。相変わらずソウルの日本大使館前には少女像があるし、世界各国に増殖中である。
その後も自衛隊機へのレーダー照射、徴用工問題、五輪での執拗な嫌がらせなど、無礼の数々、嫌韓、厭韓、忌韓ときたが、もうあの国にはあきれ果てた、相手にしても仕方ないという忘韓、呆韓という言葉もできた。

菅政権はいろいろと批判はあるが、対韓政策については安倍政権を踏襲して、「ボールは韓国政府にある」と文在寅政権のすり寄りにもそっけない態度をとり続けている。国民もあの国はどうでもいい、ほっとけば、という考えではないか。半島に関りを持つとろくなことはない、は歴史が教えてくれていることである。

■やはり金か
自分も韓国の非礼にはうんざりしているので、あえて書く気にはなれない。というより、書いたからと言って何か変わることはないし、腹を立てれば免疫力も落ちるし、楽しくない。老い先短いのであるから、日々、健康に過ごせることをお天道様に感謝しながら心穏やかに暮らす、これが真っ当な老後というものではないか。

さはさりながら、中国に対してもウィグル、チベット、モンゴルへの弾圧、そして台湾への侵略準備など気になることはある。しかし、先進国は非難したが香港は中国の思い通りになっているし、これからも中国共産党の横暴は続く。中国に莫大な資本を投下し、中国の工場を必要としているのは欧米、日本の先進国であるから、ある意味、世界がグルになって中国を支えている。経済の為なら人権問題にはある程度、目をつぶって・・・ということだろう。現在、自民党の総裁選挙でマスコミは盛り上がっている。自民党員の中には中国ビジネスで利益を得ている人もいるであろうから、そういう人は河野さんを支持するだろう。河野さんの一族は中国で事業を展開しているから、彼は中国との対立は避けるだろう。

中国ビジネスの妨げになるから靖国参拝はするな、と首相に申し入れた財界人もいる。日本は中国の属国になればいいと言った財界出身の在中国日本大使もいた。今の日本はアメリカの属国であるから中国だろうと、アメリカだろうと建て付けは変わらないということか。

■武器輸出緩和
慰安婦日韓合意の時の外相は岸田さんだった。あの時は韓国にコケにされたなあ、と岸田さんは怒っているだろうか。あの合意はオバマ大統領が日韓に指示して結ばせた、と言われている。アメリカの指示だから仕方ない、これは戦後、一貫している日本の政治スタンスだ。
自衛隊が使用している装備はオスプレイ、F35 をはじめイージスアショアなど米国製が中心、戦後長らく米国は、ジェット戦闘機はもちろん民間用航空機の自主開発を認めてこなかった。日本の武器製造技術は決して諸外国に劣るものではない。日本のロケット打ち上げ技術があれば中、長距離ミサイルの国産も可能だ。

いい、悪いは別にして世界の国々が等しく求めている製品は武器である。いい武器は世界中で売れる。日本はアメリカに強制された「武器輸出3原則」があって、武器輸出に制限があったが、安倍内閣でその緩和が閣議決定された。その後、フィリピンへのレーダー輸出、ベトナムインドネシアへの巡視船輸出の話が進んでいる。哨戒機、輸送機なども引き合いがある。また、先進各国との装備共同開発の案件もある。共同開発は関係国との信頼を醸成し、紛争防止にも役立つ。

世界にはミサイルや重火器をテロ支援国家やアフリカの後進国に売り渡す武器商人もいるが、テロ国家を封じ込めるためにも日本の「正しい武器輸出」を推進すべきではないか。防衛問題に精通しておられる高市早苗衆院議員には理解して頂けると思う。昨今の総裁選挙では、国防はともかく、中国、半島に物言わぬ経済優先の候補が優勢というが、党員ではないので自分には何も言う権利はない。

 

兄帰る

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院展から

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女性の絵を中心に撮った

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余り美人はいなかった

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少女像

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横顔

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顔の部分をアップで


兄帰る

 

■逆の運命
チェンライに滞在していた兄が9月の初旬に帰国した。昨年3月、2週間ほどの予定で帰国した自分がチェンライに戻れば、入れ替わりに兄が日本に戻る予定であった。わずか数日の差で自分は日本から出られなくなり、兄はチェンライ留め置きとなった。安寿と厨子王のごとき離れ離れの生活は、以来1年半に及ぶ。母が亡くなってタイで暮らす必然性がなくなった時、兄は日本に戻る、自分はそのままチェンライでのロングステイを続けるという選択をした。それが数日の差で逆になってしまった。

昨年の夏までは早くタイに戻れないものかと焦っていた。でもその頃から感染症は長期戦になるということがわかってきたし、日本の生活が快適になってきた。ここ10年、時にはタイから帰国したが、年に1回ほど、それもごく短期の滞在であったから、生活者としての感覚を忘れていた。暮らしてみるとやはり日本はいい、そのせいか最近は日本の良さ再認識という記事ばかり書いている。

食べ物がおいしい、街がきれい、治安が良い、と訪日外国人並みに感心していた時期は過ぎ、素晴らしい日本の四季、その気候から醸し出される心の細やかさなどに今は感動する。外国人の「日本のここがすごい」といったユーチューブでも日本の四季に言及し始めたら、その人の日本理解度は5点満点の4以上ということになる。

■いい面はどちらにも
さて、兄は年に3 、4回は帰国していた。それが2年近く、国内旅行もできず、チェンライに蟄居していたのだから、退屈ではなかったかと心配していた。でも家事は女中さんがやってくれるし、ゴルフ、テニス、そしてタイ語の授業と規則正しく快適な生活だったようだ。ゴルフは邦人仲間と、テニスは顔見知りのタイ人、白人と、時にはタイの小学生や中学生がお相手をして下さいとゲームに参加する。多分、日本のコートでは70過ぎの年寄りに小中学生が寄ってくることはないだろう。

また、タイマッサージのおばさんが週3,4回、家に来てくれる。兄は、2時間もみほぐしてもらうと体が軽くなる、有名プロスポーツ選手には専属マッサージ師がついているわけが分かった、と言っていた。自分もチェンライにいた時は週1のタイマッサージが楽しみだった。2時間で300B(約千円)かかるが、決して惜しくはない。自分は友人の勧めで、大田区にあるテニスクラブに入会し、週1回、1時間半、コートに立っている。テニスの翌日は腰や足がちと痛む。こんな時、チェンライが恋しくなるわけである。

■費用が掛かる
兄はタイで出国前に義務付けられているPCR陰性証明をとった。検査料は日本円で1万円以上、入国に際してもいろいろなチェックがある。スマホに登録すべきこともある。スマホがない場合、日本政府が貸してくれるが賃料は1万5千円と結構高い。兄はこの際だからとiPhonを購入した。空港での諸手続きが済んだあと3日間、政府の指定したアパホテルみなとみらいに隔離された。アパは11平方メートルのシングルルーム、タイではどこの部屋でもラケットが振り回せる家に住んでいたから、狭くて苦痛だったと言っていたが、ホテル代、食事代を含め費用はお上持ちだから贅沢は言えない。

3日間の隔離が終わって、自宅に戻れるが、公共交通機関の使用は禁止。通常は都内一律1万2千円の特別ハイヤーを頼むのであるが、無料の巡回バスがあることを知り、我が家から徒歩10分のところで降ろしてもらうことができたという。随分と節約になったと大喜びしていたが、金銭感覚がすっかりタイ仕様になっているようだ。

■禁止事項
自宅に戻っても11日間の隔離は続く。感染していないかの観察期間である。自由な外出はできない。
禁止事項として、公共交通機関の利用、待機場所からの外出、家族・友人との接触、不要不急の行政手続きが挙げられている。小室圭くんも米国から戻ってきたら14日間はマスコミと接触できないと思う。

実際には人の少ない朝の散歩とか、食材の買い出しなど最低限の外出は黙認されているようだ。でも1日に4度、位置確認、健康状態報告、写真による本人確認など入国管理センターとのやり取りがある。公共交通機関に乗ったりすると位置情報で把握され、ちと面倒なことになるらしい。ともあれ、本人は外出を控え、家人(弟である自分)との接触をできるだけ避けて、ネットと読書で過ごしている。

タイでも実効再生産数が下がっているので、入国制限緩和の方向に向かうと思われる。でもまだ14日間の自費でのホテル隔離、高額保険の付保など、まだまだ日本入国に比べ、ハードルが高い。しばらくは日本で兄弟2人の暮しが続く。

 

 

 

歴史観はいろいろ

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東郷元帥と記念館三笠

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三笠の主砲

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装填は手作業だったらしい

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元帥はここで指揮を執った

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後方甲板

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横須賀と言えばスカジャン、こんなジャンパーを着ることはないだろう



歴史観はいろいろ

 

■もうだめだ史観
戦後、マスコミはこのままでは日本はダメになると言い続けてきた。円安、また円高でも経済はガタガタになり、失業率は高まって、社会不安が増大する、オートメーションやIT技術の発達で就職難、中年労働者、ホワイトカラーの大半がクビになると言っていた。感染症も同じだが、数字を基に客観的に物事を説明してほしい。今、失業率は2.79%、世界で最も低い部類だ。

世界の高校生の自分に対する自信とか、老後の安心度に関する国際比較といったデータを見ると、日本人は総じて自分に対しても、未来に関しても悲観的である。マスコミも商売だから、売れる言説を取り上げる。要するに日本国民は「このままではだめになる、頑張れ」と叱咤激励されることが好きなのだ。

世界から見れば、日本ほどいい国はないと思われている。これはBBC始め、世界中の調査機関がそう言っている。
外人が、日本はすごいぞユーチューブで「日本ほど治安がいい安全な国はないです」という。でも必ずコメント欄でこう反論する日本人が出てくる。「悪い人はいます。気を付けるに越したことはないです」。
職人や陶芸家の「まだまだ修行中です。一生勉強です」の発言にも通じる。私より優れた作品を作る人はいない、と言ったら「あいつは天狗になった」と相手にされなくなる。まだまだ、が日本人の模範解答か。

天皇国史から
謙虚であってもいいが、それが過度の卑下、劣等感となってはいけない。たまには日本の歴史、文化、民族を眺めて、矜持と自信を持ってもいいと思う。今年の2月に図書館に予約した竹田恒泰著「天皇国史」が8月にやっと手許に来た。600Pを超える大著であるが、一気に読んだ。歴史の見方は人による。経済から見た、民俗から見た、或いは農民から見た日本史があってもいい。百田尚樹の「日本国記」、不破哲三の「歴史から学ぶ―日本共産党史を中心に 」のように個人がそれぞれの史観を持つことは悪くない。その一つ、「天皇国史」から最終の2ページを引用しておきたい。
「もうだめだ史観」は頑張ろうバネを刺激するから完全否定はしない。でもこの文章を読むと我が国は国難を乗り越えた、これからも乗り越えるだろう、という希望が湧く。たまにはこういう本もいいです。


(引用開始)
悠久の歴史の中、皇室は何度も危機に遭遇したが、奇跡的に全てを乗り越え、現在の皇室がある。そして世界の君主の中で、皇室は世界最古の家柄であり、我が国は現有する国家の中で最も長い歴史を持つ。かつての皇室がそうだったように、皇室が存続することで、将来の日本はあらゆる危機を乗り越えていくに違いない。
 先の大戦で全てを失った日本だったが、終戦から僅か二十三年間で、百数十の国を抜いて世界第二位の経済大国に躍進した。(現在は第三位)。明治の奇跡の成長を、再び成し遂げたのである。近代初期に経済弱小国だった国の中で経済大国に成長して列強に加わった国は日本だけだったが、大戦終結時に経済弱小国だった国の中で経済大国に成長して列強に加わった国も日本だけである。
 この偉業を成すには多くの人々の努力があった。戦後の日本の復興はどのように果たされたのか、記憶にとどめておきたい。
 

今の日本が平和で、豊かで、安全で、世界から尊敬され、そして文化の香りも高い国であるのは、先人たちが努力を積み上げてきたお陰である。先の大戦では、自らの命を投げ出して祖国日本を守ろうとした若い兵士たちがいた。歴史を学ぶということは、自分のルーツを知ることでもある。本書で扱った全ての時代は、我々の先祖たちが生き抜いてきた時代である。歴史には「流れ」があり、歴史は「過去」と「今」、そして「未来」を繋げるものである。未来の「日本」や「世界」を知るために、私たちは歴史を勉強する。私たちは二〇〇〇年以上の経験と叡智の蓄積を「歴史」という形で学ぶことができる。今を生きる私たち日本人がこの日本国史を最大限に活かす時、日本の未来が拓けるのである。

 およそ世界の王や皇帝は軍事施設の中に住むものである。現在の皇居は徳川の城だが。一〇○○年以上、歴代天皇がお住みになった京都御所には、堀も石垣も櫓もなく、中には兵が駐留する施設すらない。外部とはたった一枚の塀で区切られているだけで、平城京藤原京も同様だった。天皇が民の幸せを祈り、民は天皇を敬愛して国を支えてきた。そのような我が国の国体を、目で見ることができるのが京都御所の佇まいではなかろうか。日本は天皇の知らす国なのである。
(引用終り)

 横須賀観光

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ヴェルニー記念館

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同上

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軍港めぐりクルーズ

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ヘリ搭載護衛艦いずも

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護衛艦3隻、六角形の壁はイージスレーダー

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潜水艦2隻


 横須賀観光


■ミスター・スクリュー
横須賀のヴェルニー公園の中に横須賀近代遺産ミュージアムがある。高級レストランと見まごうばかりのおしゃれな建物だ。横須賀製鉄所副所長だったティボディエの洋館を移設したものらしい。展示内容は横須賀製鉄所の歴史ばかりでなくそこから生まれた技術、文化、習慣など横須賀市の総合案内を兼ねている、横須賀及びその周辺の名所パンフレット、地図が数十種類あり、すべて無料、更に何人もの若い女性がいて、丁寧に見所を説明してくれる。記念艦三笠を観たいのですが、と言えば汐入駅から最寄りバス停までの時刻を、スカジャン発祥の地、どぶ板横丁で食事をするなら美味しいハンバーガー屋さんがあります、などと懇切丁寧に教えてくれる。

このミュージアムには小さなシアターが併設されており、明治20年の横須賀造船所にタイムスリップすることができる。当時、国策として国民の工場見学が推奨されており、公園のあたりには見学者用の旅館や料理屋が立ち並んでいたらしい。アニメ仕立てでミスター・スクリューというネジキャラがガイド役を務める。これは小栗上野介が米国の工場見学をしたとき、「これが造れなければ、日本の発展はない」とネジを一個、拾って帰ったという故事に基づく。

米国で宇宙衛星打ち上げのロケットが大爆発した。その原因は外板を留めるスクリューに僅かの誤差があったためだ。何故、誤差が出たかというと電圧が不安定だったため、研磨にミクロン単位の誤差が生じたからという。日本の精密部品の精度の高さは安定した電気のお陰でもある。

■お雇い外国人、ヴェルニーの給料
さて、公園の奥にはミュージアムの他にヴェルニー記念館というフランス風の建物がある。工場で使用された機械が展示されている。横須賀製鉄所には明治9年時点で25人のフランス人が働いていた。お雇い外国人である。明治時代の日本人が偉いと思うのは、お雇い外国人に当時の総理大臣より高い給料を払っていたことである。明治10年頃の大臣の年収は6000円、令和に換算して6千万円、小学校の校長が400円(400万円)、陸軍少尉なら年収で440万円ほどだった。ヴェルニーは元々幕府に雇われていたが、新政府は彼の能力を認めて明治9年まで、令和なら年額にして1億円という給料を払い続けた。富国強兵、殖産興業に賭ける先人の意気込みが感じられる。

世界200ヵ国の内、先進国はせいぜい20か30カ国、あとは高炉一つない発展途上国ばかりだ。国と国民を豊かにしたいと思っている為政者は発展途上国にもいると思うが、大統領より高い給料で経済や技術顧問を外国からスカウトしようと思うだろうか。その意味で、日本は特殊な国だ、ということができる。

■軍港めぐりクルーズ
横須賀に行ったら、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦船を間近で見られる「軍港めぐりクルーズ」に行かなければならない。日米の軍艦が見られる日本唯一のクルーズだ。軍事施設を撮影したら、即、警察が軍に引っ張られるという国はざらにある。ウズベクではタシケント空港のロビーで帰国する友人と記念撮影をしていたら、警察官が飛んできて厳しく注意された。ウズでは確か、鉄道駅も撮影禁止だった。中国では普通に風景写真を撮っただけでも、スパイ罪に問われ、国外に出られなくなる。

ところがこのクルーズでは護衛艦、潜水艦、そして米国のイージス艦、油槽艦などが見放題、かつ写真撮影も自由。おそらく中国のスパイは毎日、このクルーズに参加して撮影をしているのだろう。海自、米海軍の艦船の出入りを見ていれば、作戦の一部が解明できるのではないか。
さらに45分間のクルーズのあいだ、説明員が、艦船の種類や名前、役割などを丁寧に説明してくれる。ヘリ搭載護衛艦いずも、護衛艦むらさめ、いかづち、更には潮流観測船なども見ることができた。潮流、海水温により発射された魚雷の命中精度が左右されるのだそうだ。

横須賀は在日米軍司令部がおかれ、航空母艦ロナルド・レーガンの母港でもある。生憎、ドナルド・レーガンはインド洋に出ていて、見ることはできなかったが、いつもは陸地からは見えない横須賀本港の12号バースに停泊しているとのこと。代わりに今は英国の航空母艦、クイーンエリザベスが停泊しているはずだ。クルーズでしか望見できないからスパイは毎回、1500円のクルーズ料金を払って見に行っていることだろう。

なお、明治14年の横須賀一覧図という錦絵を見ると、湾内に軍艦と共に小舟がいくつも浮かんでいる。この時代から、最先端のエリアを船で回るクルージングを楽しんでいたらしい。やはり日本は特殊な国か。

映画、識字率、歴史

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映画、フェアウェルから

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主演のオークワフィナ

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横浜

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望遠で

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横浜

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同上、いつ見てもエキゾチック

 

映画、識字率、歴史


■フェアウェル
昨年3月に帰国して以来、映画館で観た映画は120本を越えた。映画は読書や人と会うことと同じで、自分の知らない世界を教えてくれる。古いハリウッド映画も観るし、監督の独り相撲としか思えない邦画も観る。韓国映画、タイ映画も何本か観ている。中国生まれでアメリカ育ちのルル・ワン監督の「フェアウェル」を観た。彼女の実体験を基にした映画という。

祖国を離れて海外で暮らしていた親戚一同が、余命わずかな祖母のために帰郷し、それぞれが祖母のためを思い、時にぶつかり、励ましながら過ごす日々を描いたハートウォーミングドラマ。ニューヨークに暮らすビリーは、中国にいる祖母が末期の肺がんで余命数週間と知らされる。この事態に、アメリカや日本など世界各国で暮らしていた家族が帰郷し、親戚一同が久しぶりに顔をそろえる。アメリカ育ちのビリーは、大好きなおばあちゃんが残り少ない人生を後悔なく過ごせるよう、病状を本人に打ち明けるべきだと主張するが、中国に住む大叔母がビリーの意見に反対する。オークワフィナが祖母思いの孫娘、ビリーを演じている。オークワフィナはその辺のねーちゃんといった感じだが実力派の女優さんらしい。この映画には甥っ子の嫁となる日本女性を含め、美人は全く出てこない。

世界各国に一族が散らばっているということは中国でも裕福な一族と知れる。祖母が清明節に一族全員を従えて墓参りをする。中国人の結束は「宗族」にあり、が見て取れる。映画も勉強になる。

 

■文盲は普通か
ビリーは病院へおつかいに行った女中から祖母の診断書を取り上げて、街のコピー屋に駆け込み、末期がんを良性腫瘍に書き換える。若い女中にビリーは「中を読んでないでしょうね」と確かめるが、彼女は「私は字が読めませんから」と答えていた。
運転免許や卒業証書のでっち上げは当たり前の国だから、診断書の書き換えなど当たり前なのだろう。でも20歳前後の女中さんが文盲であることには驚いた。

東京五輪、女子高飛び込みを制した14歳の全紅嬋選手は読み書きはできない。遊園地にも動物園にも行ったことがなく、小さい時、お人形遊びをした記憶がわずかにあるだけという。彼女は中国人記者の質問が聞き取れず、コーチの通訳でUFOキャッチャーをやってみたいと恥ずかしそうに答えていた。彼女は広東の農村出身だからマンダリンが不得意なのかもしれない。ヤフーニュースの「母国語も聞き取れない中国の14歳金メダリスト…」という記事は消去されて読めなくなっている。中国に都合が悪いことだったからだろう。

■油断できない
中国共産党百年の式典で「次の百年」と習近平主席は言った。次の百年で文盲をなくすとか6億人の貧困層のかさ上げを計るということではない。偉大なる漢民族が世界を指導するというのだ。

確かに中国は歴史的に大国と言われる時代が長かった。GDPは平均給与X総人口、つまり人口に比例するからここ2千年、中国は大国であった。でも漢民族が偉大だったということではない。中国の2千年の歴史のうち、漢民族が中国を統治していた期間は500年ほど、あとの1500年は鮮卑、蒙古、満州族などの異民族に支配されていた。漢民族はその間、大英帝国時代のインド人、18,19世紀の米国における黒人やインディアンのような扱いを受けていた。

満州族清朝は北京に故宮を建てたが、これは家奴の漢人を取り締まるためであった。満州人は漢族を見下しており、その証拠に皇帝の後宮には漢人の女はいなかった。20世紀初めに辛亥革命がおこり、漢人はやっと奴隷身分から解放された。

ところが奴隷上りの漢族、孫文清朝の版図は全て漢族のもの、と言い出した。漢族と違って清朝と同盟関係を結んでいたチベット、モンゴル、ウィグル(回族)は怒った。何が4族協和だ、と世界が笑ったのだが、日本を「白人の敵」とみなしていたアメリカが孫文に肩入れする。日本潰しを狙うアメリカは満州国も漢族のものだ、という「スティムソン・ドクトリン」を出した。これで中国は万里の長城の内側だけではなく南はエベレストから北はロシア国境にいたる広大な地域の領有を認められた。孫文を引き継ぐ中国共産党はウィグルやチベットは内政問題というがそのお墨付きはアメリカが与えた。

被差別民族だった漢民族の暗い情念は、下放により16歳から22歳まで土穴で過ごさざるを得なかった習近平の劣等感と結びついている。中国百年の恥辱、その一因は日清戦争に勝った日本にある。歴史にケチが付いたのは日本のせいだ。香港の次は台湾、その次は日本に矛を向けてくることを忘れてはならない。

 

国家観の基礎

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舞鶴市登録有形文化財、若の湯

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明治時代からある銭湯

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若狭には神社が一杯

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若狭彦神社、参拝の人は殆どいなかった

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同上

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由緒記、奈良時代に遡る


国家観の基礎

■歴史は繰り返す
国内は自民党総裁選で大騒ぎであるが、世界的にみればこれはコップの中の嵐、今、世界はアフガニスタンの動向に注目している。アフガンはアレキサンダーも成吉思汗もチムールも、ペルシャオスマントルコも支配しきれなかった。英国はアフガンを統治したが2年で撤退、1万6千名の英国軍は冬のカブールを陸路脱出したが味方を装う太守やゲリラに襲われ、全滅した。この敗戦以来、英国軍は軍服をカーキ色に変えた。雪のアフガンでは英国軍の赤い軍服は目立ちすぎたからという。英国のあとはソ連が、そしてこの度は米国がアフガンから敗退していく。
混乱のアフガンはこれからテロの温床となって先進国を悩ませる。これでトクをするのは武器商人だろうか、タリバンから阿片を買い付けるマフィアだろうか。アフガンの国民ではないことは確かだろう。

空自の救援機がカブールに飛んで、1名の邦人を救出した。この人はアフガンに20年以上住む共同通信の通信員。彼女は、カブールを制圧したタリバンが一般民家を略奪するばかりか、昔と違って1日5回のお祈りさえしなかったと証言している。
ISISに入ると女は抱き放題なんだよ、と嬉しそうに言っていた兵士をテレビで見たことがある。略奪、強姦はカルタゴハンニバルから中国の軍閥、共産軍に至るまで兵士の常識だ。フセインイラク陥落後、メソポタミアの古美術品が米国市場に溢れたことがある。組織的な略奪、強姦をやらなかったのは我が大日本帝国陸軍くらいのものだ。

■日本はカルタゴ
紀元前202年、ザマの戦いにカルタゴはローマに敗れる。第2次ポエニ戦争終結である。ローマは2度とカルタゴがローマの脅威にならないように、いくつかの降伏条件をカルタゴに突き付けた。

まず第一がカルタゴの海外植民地の没収
第二が軍船、軍象の放棄、
第三がローマ及びその同盟国との戦争の禁止、
第四はそれが自衛戦争であってもローマの承認なしの交戦権は認めない
以下、ローマ占領軍の維持費負担、賠償金の50年分割支払い、並びにカルタゴの子弟100人を毎年ローマに送り、よきローマ市民として教育する、などである。

カルタゴは条件を守り、交戦権、軍備の放棄を行い、賠償金も完済した。それなのにカルタゴはローマに滅ぼされ、市民は殺されるか奴隷として売られてしまった。カルタゴの土地には草木も生えないようにと塩が撒かれた。

以上、どこかで見たような、と思われる方もおられると思う。そう、アメリカが大東亜戦争後、日本に突き付けた降伏条件と重なっている。
毎年の子弟のローマ送りについて塩野七生さんは「フルブライト留学生」と同じと書いている。親米派を育て、常にアメリカに服従させる。国際交流基金にも米国に研究者や新聞記者を留学させるプログラムがある。1千万円支給される。通常、2年留学して修士号をとる。新聞記者は優先されて選抜される。米国に渡り、親米派となって帰国する。記者上りの大学教授、コメンテータにこういった人を見かける。

■政治家に求められるもの
政治家には歴史観が必要だと書いたことがある。歴史観に付け加えるならば、文化、民族に対する素養である。自国の歴史、文化、民族についてしっかりした想いがあれば、他国のそれらと比較し、政策の立案、実行に活かせる。

こう言っては何だが、武漢肺炎の対策など誰がやっても同じだ。枝野さんがやってもワクチンを打つ、病床を増やすくらいのことをやるだろう。それよりも、国民が根絶やしになならぬよう、国土が荒廃にさらされないよう、国家観を持って百年の計を提示、実行することが今、政治家に求められているのではないだろうか。

留学帰りのジャーナリストは日本らしさを取り戻そうとする政治家を寄ってたかって貶める。かと思えば、親中政治家を持ち上げる。いずれにしても自国の歴史、文化、民族を知悉しての発言とは思えない。大国べったりの国は亡ぶ。また大国の栄光も永遠ではない。
リウィウスの『ローマ史』によればハンニバルはこう語ったという。「いかなる超大国といえども、長期にわたって安泰であり続けることは出来ない。国外に敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に苦しまされることがあるのと似ている。」

アメリカもLGBT、ポリコレ、不正選挙等で、カルタゴ戦役のあとのローマにも匹敵する混乱ぶりだ。独立した日本に立ち戻るために、明るい未来を展望するために、政治家ばかりでなく我々も、歴史、文化、民族について学ばねば、と思う。

若い時にやっておくこと

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祈りが通じますように

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公徳心

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こんな孫がいたらいい

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お友達が一杯できているだろう

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靖国神社

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パール判事の言葉、靖国遊就館横にある

 

 

若い時にやっておくこと

■旅に出よう
学生の頃、友達に言われた。「まだ日本もろくろく旅行していないのだから、外国になんか行きたいとは思わない」。ウーン。
全国津々浦々、47都道府県を回ったところで、日本が分かると言えるだろうか。小学校では日本地図で都道府県名を覚える。間違いなく暗唱できたからと言って日本が分かったことにはならない。

若いときに海外に行ってみなさい、そして拙くても英語で現地の人と話して見なさい、と青山繁晴参議員は言っている。異国での経験は、いかに日本のことを知らないか、いかに日本は素晴らしいか、そしてどうしてこの国はこうなっているのだろう、どうしてそういう考え方になるのだろう、と考える切っ掛けになる。世界の中の日本、世界の中の自分に気づけば、「なぜ、どうして」が無数に頭の中に湧いて出てくる。

やるべき年齢の時にやるべきことをやっておく、は必要だ。ボクシング、柔道などの格闘技は今の自分にはムリだ。中高年でも楽しめるスポーツはあるが、テニスだって若い時からやっていたらなあ、と思う。読書でも今更、ヘルマンヘッセやトルストイなど・・・、それよりも「終活のすすめ」なんて本に手が伸びる。海外旅行も若い時に行っておいたほうがいい。誰もが、とは言えないが、旅は人に変化を及ぼす。

自分の場合、小田実の「なんでも見てやろう」に触発されて、半世紀前にスペインを訪れた。アスタマニャーナ(何とかなるさ)のラテン気質が伝染って、我が人生、鬱になることはなかったが、多少、不真面目に過ごしたかな、という反省はある。初めて日本人を見るというバレンシアの村でバールにいた村人全員からワインをおごってもらった、ビルバオでは声を落として学生達とフランコ総統の話をした。思い起こせばそう悪くない旅だった。

深夜特急
自分より少し後の世代は沢木耕太郎の「深夜特急」を懐にアジアへ飛び出した。2,3カ月バイトをすればアジアを回るだけのお金が稼げる時代だった。この本には毒がある。思わず日本を飛び出したくなるからだ。そうしてタイのカオサン、インドのガンジス辺りで沈没してしまい、帰国しても日本社会に適応できなくなった若者を生んだ。努力すれば誰もが五輪選手になれるというわけではないように、誰もが貧乏旅行をしたからといって沢木耕太郎にはなれない。でも若さは「向こう見ず」に通じる。経験が生きるか、無駄になるか、進むか、戻るか、すべては自分次第、自分を信じるしかない。沢木耕太郎はこう書いている。

<さて、これからどうしよう……> 
 そう思った瞬間、ふっと体が軽くなったような気がした。
 今日一日、予定は一切なかった。せねばならぬ仕事もなければ、人に会う約束もない。すべてが自由だった。そのことは妙に手応えのない頼りなさを感じさせなくもなかったが、それ以上に、自分が縛られている何かから解き放たれていくという快感の方が強かった。今日だけでなく、これから毎日、朝起きれば、さてこれからどうしよう、と考えて決めることができるのだ。それだけでも旅に出てきた甲斐があるように思えた。(引用終り)

仕事をやめて旅に出た沢木の心情がよくわかる。最終行の「旅に出てきた甲斐」を「年金暮らしの甲斐」と読み替えれば、今の自分と同じだ。ああ幸せ。

■旅と人の一生
沢木に戻る。彼は、旅には旅の生涯があり、幼年期から老年期に至る、人の一生に似た移り変わりがあるのかもしれないという。旅の青年期には、何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた、と彼はいう。

20代で異国体験をした自分にもその感じはわかる。カスバやモンマルトルを十数時間、歩き回る体力はもはや残されていない自分にとって、あの時期が自分自身と旅の青年期が重なっていたのだなあと思う。タイに10年、ウズベクに2年暮らした。そして短期に旅した国は20ヵ国を越えると思うが、だからと言って「この国は、」などと断定するほど図々しくはない。でも日本とここが違うんだよな、と比較することはある。比較対象が増えるにつれて、異国への心震わせるような感動は薄れていったような気がする。

ソニーの創業者、盛田昭夫氏は日本を出たことのない若者と海外に行くことを好んだという。若者が異国で何に、どう感動するかを観察していたらしい。好奇心を持ち続ければいくつになっても旅の感動は得られる、とは言うが、若い時の異国体験は新鮮で驚きに満ちている。
青山さんと沢木さんに倣って、自分も、若者よ、とにかく外へ出てみたら、と言いたい。