チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

京都観光(1)

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茶わん坂、2年前は人混みで歩けなかったという

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陶器店が多い

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閉まっている店も

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茶わん坂から仁王門を見上げる

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清水寺と書いてある

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清水寺三重塔


京都観光(1)

■そうだ京都、行こう

「そうだ京都、行こう」は1993年からJR東海が実施しているキャンペーンである。30年近くも連続使用しているから、そうだ、とくればなかなか「そうだ島根、行こう」とか「そうだ青森、行こう」にはならない。日本にいるなら京都に、と豁然大悟したわけではない。実は舞鶴に住んでいる娘が、出産に備えて埼玉の義妹の家に移動することになった。その移動に同行することになったのだが、京都は東京、舞鶴の途中にある。この際、京都に行ってみることにした。娘の移動は早くから予定されていたので、そうだ、と思いついて行くことにしたわけではない。社会人の時に出張で何度か京都に行っているが、日中は仕事であるから神社仏閣を回ったことはない。修学旅行以来、行っていない名所もある。見方にもよるがヒマとカネには不自由しない身である。今行かないで何時行くの、だ。

調べてみると京都市内のホテル価格が激安となっている。通常は1泊2万円という高級ホテルが3,4千円で泊まれる。よほど観光客が少ないのだろう。この分で行くと観光名所もガラガラではないか。

 

■やはり観光客は激減

2019年に京都に宿泊した観光客は延べ2125万人、内、外国人は約3割、そして外国人の6割弱がアジア系となっている。こうしてみると、観光客の大半は日本人であり、巷間、言われているように京都の観光地は中国人ばかりという話は、統計の上では大げさであることがわかる。

2020年に京都に宿泊した観光客は延べ773万人、前年度に比べ全体で6割減、外国人宿泊客を見ると前年比9割減、修学旅行生は約8割減と惨憺たる結果になっている。

京都市観光協会の調べによると2021年8月の京都市内主要旅館の稼働率は9%であり、外国人観光客は17カ月連続でほぼゼロとなっている。緊急事態宣言解除後の紅葉シーズンに期待、という調査報告が痛々しい。

売り上げは半分以下になっても利益が上がる業種は殆ど無い。通常の8割引きであっても泊ってあげるほうがホテルにとって、またGDPに寄与するという経済学的見地からも望ましいと言える。

 

■観光案内所は閉鎖中

9月30日の新幹線に乗ったが、自由席の乗車率は3割ほどだった。期末ではあるがビジネス客も少ないのだろう。10時過ぎに京都駅に到着、駅構内にある観光案内所で市内地図やパンフを貰おうとした。でもシャッターが下りていて、10月1日より再開しますという張り紙が張られていた。まだ緊急事態発令中であるから仕方がない。

駅前のバスターミナルにバス案内所があった。ここで600円の1日市内バス券を購入した。券と共にバスの路線マップを呉れる。これで市内の主な観光地と最寄りバス停がわかる。北は下賀茂、上賀茂神社金閣寺竜安寺、栂ノ尾、南は伏見稲荷、東は銀閣寺、南禅寺清水寺祇園知恩院京都国立博物館、西は嵐山天竜寺、苔寺、すず虫寺、太秦映画村などへバスで行ける。

ぐっと地図を睨んで、まず清水寺に行くことにした。高校の修学旅行以来、足掛け50年ぶりである。市バスは「清水寺は次の停留所で降りてください。停留所を少し戻り、信号を渡り茶わん坂を登ると清水寺に着きます」と車内放送で丁寧に案内してくれる。京都駅から10分足らずで最寄りのバス停、「清水道」に着いた。

 

清水寺

東大路から清水寺へ登る参道が茶わん坂だ。茶わんでわかる通り、清水焼発祥の地である。茶わん坂一帯で清水焼が作られるようになったのは、8世紀頃に僧行基清閑寺村茶碗坂で製陶したことからと伝えられている。また、16〜17世紀頃、茶碗屋久兵衛が近くの五条坂一円で金、赤、青の彩色した陶器を作り、「清水焼」の名を冠したことからともいわれている。清水焼の長い歴史と風土の中で、この地は数多くの名工を輩出してきた。清水寺の境内には、清水焼の祖・野々村仁清と、仁清に師事した尾形乾山(兄は画家の尾形光琳)の顕彰碑が建立されている。

確かに陶器店が多い。しゃれたカフェ、飲食店、小間物店、土産物店が軒を連ねるが、多くはシャッターを下ろしている。貸し浴衣を兼ねた呉服店がいくつかあったが、日本人で浴衣を借りる人は少ないだろう。緊急事態宣言が解除されても外国人観光客が戻ってくるには時間がかかる。

茶わん坂はそれほどの勾配はないのだが、秋にしては気温が30度と高く、台風の関係か湿度も高い。リュックを背負った老人が、イヤホンから流れるスプートニクスに合わせて元気よく登るにはちときつい。多分、5年後はムリだろうと考えているうちに、清水寺の華麗な仁王門と三重塔の前に出た。(続く)