チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

武漢肺炎収束か

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横浜、港の見える公園から

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同上、望遠で

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大佛次郎記念館

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横浜の水源近くの水路

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水源近く

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水路、このあたり公園になっている



武漢肺炎収束か

■大騒ぎも終わり?
漸く武漢肺炎は収束の時期を迎えたようだ。19都道府県に発令されていた緊急事態宣言が解除された。行動制限の緩和は段階的に実施され、飲食店での酒類提供も容認される。これまでじっと我慢して家に籠っていた国民も外食へ、旅行へと財布のひもを緩めるだろう。これで経済が回る。会社や学校で皆顔を合わせて、仕事に勉強に励む。人間もゴキブリと同じで集団の中にいるからこそ元気が出る。
いや、安心するのはまだ早い、感染拡大第6波が来て、バタバタ死者が出るという学者もいる。まだ言うか、だ。これまでいわゆる学者という人が、何も対策が取られなければ、とか、という可能性も否定できない、といった逃げ口上を用意しながら、善良な市民の不安を煽っていた。どうして陽性者数が少なくなったのか、とまるで武漢肺炎が収束することが気に入らない、といった発言をするテレビのコメンテータすらいた。

大変だ、大変だ、と煽れば視聴率が稼げる、視聴率が上がらないと広告料が少なくなる、広告料が少ないと出演者のギャラが減る。要するにカネの問題だ。学者もテレビに呼んでもらうためにプロデューサーの台本通り喋る。学術的知見に乏しい学者が出演していたのはそのせいだろう。彼らと違ってiPS細胞の山中伸弥先生は数字を交えて、学問的な解説をブログに上げておられた。情報は与えられるものではなく、取りに行くもの、信頼できそうな複数の情報源があれば、テレビなど見なくて済む。山中先生は、武漢肺炎収束までに1年、いや2年かかると、昨年のかなり早い段階で発表されていた。でも自分はそんな馬鹿な、と思って、暖かくなるとウィルスは力を失ってくる、だから2020年の五輪は問題なく開催されるといった学者の意見を信じていた。人は自分に都合のいい意見だけを好むものだ。

■大した病気でなかった
感染症騒ぎで社会構造が変わったという人がいる。IT技術の進歩と相まって、自宅学習、在宅勤務が定着する、だから郊外に人口が分散し、働きながら田園生活が楽しめるようになるとか。ユーチューブの討論会でも遠隔地からの参加も普通になってきた。これまで批判に晒されてこなかった大学教授の授業も誰もが視聴できるから、あの先生の授業はダメだ、XX大学のZZ先生の講義が素晴らしい、といったランキングができて、大学教授の淘汰が始まるかもしれない。まあ物事にはいいこともあれば悪いこともある。

この度の感染症で亡くなった人は約1万7千人、年間にがんで死ぬ人は38万人というから死亡者は多くない。家での転倒死、風呂で溺死する人のほうが多いと言われている。また武漢肺炎関連での死亡者の4分の3は77歳以上で、平均年齢は83歳だ。更に6割の人が糖尿病、高血圧、腎臓疾患などの基礎疾患を持っていた。

こうしてみると、あと2,3カ月経てば、あの武漢肺炎て、どうってことなかったよね、という話になるのでは、と思っている。ただ、この騒ぎを起こしたのはどこの国か、を忘れてはならない。いつの間にか武漢ウィルス研究所とか研究資金を提供した米国のファウチ博士とかの記事を見なくなった。収束と共に誰が、何のために、どうやって利益を上げたのか、といった疑問まで消えてしまうのは残念だ。

■ペストで天才続出
感染症が既存の体制を根底からひっくり返した事例は歴史上いくつもある。ルネサンス期のフィレンツェを襲った黒死病では市民8人の内、5人が亡くなった。この大量死はわずか数カ月の間に起こった。人々は救いを求めて教会に詰めかけたが、いたずらに感染速度を速めるに過ぎなかった。

もし、会社の上司が半分以上消えてしまったら、俺もすぐ部長になれるかも、と期待するだろう。社会に元気が出る。また人口の半分以上が失われて、過剰な財が少数の人に委ねられた。彼らはその財産を偉大な芸術作品や貴重な文献を求めることに費やした。コジモ・ディ・メディチ、ロレンツォ・イル・マニフィコ等のパトロンがドナテッロ、ダ・ヴィンチミケランジェロ等に制作を依頼した。彼らは生活の心配をすることなく創作活動に情熱を傾けた。メディチ家は目利きであったばかりでなく、委託した芸術作品が市民にどう受け入れられるかを重視した。芸術作品によってメディチ家は市民の支持を集めた。疫病の蔓延を防げなかった教会の威信は地に落ち、世俗的な人文学者が取って代わった。

蔓延が-、と言って首相が代わった国もあるが、それどころではない社会変革が当時のフィレンツェでは起きたのである。武漢肺炎は芸術を理解する国民も天才芸術家も生まなかったが、それでよかったと思う。