チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

弘法大師の霊跡(1)

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最近行ったみなとみらい

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帆船日本丸

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ヨコハマ・ビエンナーレ86 海鳥たちの風

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横浜ランドマーク前

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咲き始めていた

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大島桜、背景のビルは神奈川大学



弘法大師の霊跡(1)


■四国遍路
以下、日本大百科全書による。
日本の各種の巡礼のなかで、四国八十八か所霊場を巡る巡礼をとくに遍路といい、その巡礼者そのものも遍路(お遍路さん)という。この文字は中世末から江戸時代初めに用いられ始めたもので、それ以前は「辺路」と書かれ、『今昔(物語集』(12世紀前半)や『梁塵秘抄』(12世紀後半)では「へじ」と読まれた。これが海辺の路(みち)をさしたことは『今昔物語集』(巻31第14話)で明らかであるが、それには「四国辺地」と書かれている。このような「海辺ノ廻(めぐり)」の修行が四国の弘法大師信仰と結合して、弘法大師空海の旧跡を巡る巡礼になったのが遍路である。(引用終り)


「あなうれし 行くも帰るも留まるも 我は大師と二人づれなり」、四国を回るお遍路さんには常に弘法大師が付き添ってサポートするという「同行二人(どうぎょうににん)」の信仰が生まれた。現在、四国遍路の旅に出る人は年間に10万人とも15万人ともいわれる。故人の冥福を祈るため、病気平癒祈願、自分探しのため、観光を兼ねた癒しを求めて、その目的は様々であるが、今日も四国路を白装束で歩く人がいる。約1200キロを歩き通す歩き遍路には約40日かかる。

大師が活躍した1200年余り前の平安時代には、海辺を中心に、塵界を離れた四国の各地に修行者たちが集まり、厳しい自然環境と対峙しながら、心身を清めて功徳を得るための「浄行」に励んだ。大師も同じ苦修連行に勤しまれたことは間違いない。ただ、四国八十八か所霊場を大師様がすべて巡られたかというとそうではない。ただ大師様の著書「三教指帰」には阿波の大龍ヶ嶽、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山に言及されているので、ここは間違いなく大師様が修行された霊跡といえる。この3つに加え、生誕地である讃岐の善通寺(75番霊場)も霊跡といえる。

■遍路の思い出
四国の人は「お遍路の旅」に憧れているというが、香川県丸亀市生まれの母は全く遍路には興味がなかった。でも小さいころ、遍路について母から聞かされていたように思う。
また40年以上前、台湾にある代理店の会長さんが会うたびに「お遍路の旅に出たい」と言っていた。戦前、彼を可愛がってくれた日本人上司が四国の人で、遍路の話をしてくれたからという。敬愛する上司と遍路が一体化していたのだろう。何冊かの遍路本を送ったら弾むような声の国際電話があった。彼は遍路に行けたのだろうか。

ともあれ、遍路の知識も弘法大師の知識も断片的ではあるが、ネットを見ているとジェットスターで東京―高松往復の格安チケットが見つかった。ずっと引き籠り、楽しみは貯金が増えること、という生活に飽きていた。高校の同級生が室戸の御厨人窟(みろくど)に行ったという話を思い出した。憚りながら時間と金はあるのだから弘法大師ゆかりの地に行ってみよう。

■予定表は万全
四国には2015年に行っている。高松に住んでいる弟夫婦を訪ね、ついでに土佐山田の先輩宅に泊まっている。退職後、土佐の物部川沿いでコメ作りを続けている先輩は80歳を越えているが元気なようだ。

スケジュールは以下の通り。
1日目、東京から高松へ、着いたら夜なので高松泊
2日目、高松から土佐山田へバスか電車で行き、先輩宅泊
3日目、土佐山田から室戸岬へ先輩の車でドライブ、御厨人窟、第24番霊場最御崎寺参        拝、阿波海南泊
4日目、阿波海南から桑野へ出て第21番札所、太龍寺参拝、阿南泊
5日目、徳島で、眉山のモラエス像、市内の記念館見学。高松で弟夫婦と会食、高松泊
6日目、高松から東京へ、

タイではスクータを走らせ、夕方に着いた街で宿探し、といった旅が普通だった。目的地はあるものの、疲れたところで1泊、気楽な旅だった。
それに引き換え、四国の旅は土佐を除いて公共交通機関に頼らざるを得ない。車社会であるからバスも電車も極端に本数が少ない。1本バスに乗り遅れると次のバスは2時間後、といったことはざらだ。昔は鉄道が走っていたが今はバス連絡、という場所もある。ジョルダンで時刻表を調べ、ホテルも予約した。近年にないバッチリスケジュールの旅だ。感染症の影響でダイヤが変わることもあります、という路線もあったが、いざとなったらタクシーで行けばいい。

沢木耕太郎によると旅のスタイルは初めにその人がどのような旅をしたかによって決定されるという。若い時分、ベッドの上で残金を数えるような旅行をしたせいか、つい、安さ優先になってしまう。タイにいる兄から「ケチケチするな、大名旅行をして来い」という声に励まされ、成田から高松、片道5,340円のジェットスターに乗り込んだ。

今、何勝何敗ですか

 

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よく行く飯田橋の映画館

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飯田橋、外堀の貸しボートはまだあった

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東京大神宮

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近くの短大卒業生、

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歌舞伎役者の絵馬があった

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玉三郎さん、意外と悪筆




 

今、何勝何敗ですか

 

■人生最良の時
暇であるから自分の過去ブログを読み返してみる。同じことを何度も書き連ねている。ボケの始まりか。自己嫌悪に陥る。反日3ヵ国に怒り、だらしのない政府に怒り、しょうもない野党やマスコミに怒る。でも毎日、怒っているわけではない。怒りの感情は免疫機能を低下させるし、まず、楽しくない。ジイサン、そんなこと言っても仕方ないでしょ、ムダ、ムダと自分に言い聞かせる。

残り少ない人生を穏やかに過ごせないものか。とはいえ、昭和、平成、令和と恙なく生き延びて、雨風を凌ぐ住処があり、なんとか飢えずに口に糊することが出来る。有難い。サブサハラの黒人や中南米インディオの生活を思えば天国だ。

60歳で仕事を辞めた。60で死ななくてよかった、と心から思う。働かなくても暮らせる、こんな気楽な生活が待っていようとは想像もしていなかった。チェンライに遊びに来た友人に言ったことがある。「オセロでさあ、白になったり黒になったりするだろ、それを繰り返していたが、最後に白石を置いたら盤面が真っ白になっちゃった、今はそんな感じかな」。友人は即座に言い返した。「もう一つ残っていて、そこに黒石を置いたら全面真っ黒になるんじゃないか?」。

対戦相手は神様だから、どんでん返しが待っているかもしれない。でもそんなことを心配しても仕方がない。白優勢と思って暮らしている方がいい。

■努力だけではどうにもならない
精神一到、何事かならざらん」、「一念岩をも通す」、「為せば成る、為さねばならぬ何事も」といった努力至上主義は怠惰な自分としては好きではない。為せば成る、は「為せば成る、ナセルはアラブの大統領」のパロディがすぐ思い浮かぶ。若い人にはさっぱり受けないギャグだが。
ともあれ、努力は必要である。自分だって、タイ語のジアップ先生がこの範囲でテスト、といえば前夜にノートを広げる。この程度の努力は報われる可能性が高いが、人生、努力だけで成功するなら苦労はしない。高校球児はみんな大リーグで活躍できるか、理系の院生はフィールズ賞ノーベル賞を貰えるか。努力では如何ともしがたいことはある。はっきり言えば、いくら石を磨いてもダイヤモンドにはならない。成功には天の与えた資質も必要だ。

それに成功だけが人生のすべてでもない。成功したから幸福、平凡だから不幸とも言えない。年収1億を目指して24時間働くよりも家族と団欒の食卓を囲む方がいいという人もいるだろう。また、IQや学歴、美醜、生まれ、育ちによって人生の幸福度が左右されるものでもない。人が羨むような才能、美貌を持っていながら自殺に走る人もいる。まあ、満足のいく人生を送るには、努力半分、運半分と言ったところではないか。

■過去を悔やんでも
もう亡くなったが、ある二世議員がいた。親から引き継いだ地盤があり、選挙にも強かった。政治家として恵まれた境遇であったから、率先して国事に邁進したかというとそうでもない。地盤があるということは地方議員、応援者など利害関係ががっちり形成されているということだ。そういった地元の人に担がれて親の仕事(政治家)を継いだものの、俺は政治家になんかなりたくなかった、と不平を漏らし続けていた。羨ましいなあ、と思っていた同僚議員はいただろうが、本人には生まれが不幸のタネだったようだ。

生まれ、育ちは自分ではどうしようもない。自分は劣等感の塊だった。スポーツはダメ、英語、数学は赤点、無知で無礼でその上生意気、多くの人を嫌な気にさせたに違いない。夜中に昔を思い出して、思わずポカポカと自分の頭を叩きたくなる。
でも、恥と失敗のマイナスを掛け合わせれば、結果プラスの「いい経験」になるじゃんと思える年齢になった。たくさんの恥のお陰で今の自分があるような気がする。

年下の人に「あなたの人生、今のところ何勝何敗かな」と聞く。このところ、負けが込んでおりまして・・・とか今のところ全休です、といった答えが返ってくる。
日本人に生まれただけで、4、5勝は稼いでいる。あとは自分の気持ち次第。自分はというと60歳以降、勝ち星が増えて、現在8勝6敗というところ。うまくいけばもう一つ白星を重ねて、敢闘賞がもらえるかもしれない。

でも人生、8勝7敗で人生終了を迎えるなら、それで充分ではないか。全部白のオセロゲームは欲張りすぎだし、神様の最期の一手はまだ残っているような気がする。好事魔多し、ひっそり、穏やかの生活がもう少し長く続きますように。

 

チェンライのいいところ5つ

 

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昨年行った日光東照宮

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陽明門

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眠り猫

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スズメ

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見ざる言わざる聞かざる

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陽明門浮彫

 

 

チェンライのいいところ5つ


■外国人のユーチューブ
台湾のネーちゃん、東大法卒のロシア女性、あるいはイタリアの才媛等、外人女性のユーチューブを見ることがある。滞日経験ばかりでなく、自国の文化、習慣などを日本語で丁寧に説明してくれる。皆さん美人なので顔を見ているだけでも楽しい。ユーチューブは長くても1本20分ほどである。この短い時間内で伝えるべきことを伝える、これは結構難しい。中学校の先生のように指導要領に従って同じ内容を繰り返し喋るというわけにもいかない。内容は勿論、プレゼンの能力も要求される。

ユーチューバーにはなれないが、怪しげな教師の経験はある。話題をいくつかに分けて、番号を付け、順番に話せるようパワーポイントに書いていた。ユーチューブのおねえさんたちもこのプレゼンの常識を守っているようだ。例えば、「台湾で行ってはいけないところ5つ」、「日本で受けた神対応5つ」、「日本好き台湾人が驚いた5つのこと」、「ロシアに戻れない理由10」などなど。

そうか、この手法を使えば、原稿はすらすら書けるのではないか。それにしても気が付くのが遅いなあ。

■チェンライ(以下CR)のいいところ、その1
なんといっても亜熱帯の気候である。CRの1,2月は、乾季である。最低気温が10度に下がることはあるが日中は30度前後になる。湿度は低く軽井沢高原の夏を思わせる。3月からの暑季は暑い。でもスコールがあって、雨がひとしきり降った後には太陽が顔を出し、木の葉の滴に日光がキラキラと反射する。日本と違って熱帯夜はない。ここ10年、扇風機のみでクーラーなしで過ごしてきた。暖かいので1年中、短パンとTシャツだけで過ごせる。よって服飾費もクローゼットの広さも少なくて済む。

■CRのいいところ、その2
イカ、バナナは1年中ある。市場に出回る果物で季節を感じる。マンゴー、ドリアン、パパイヤ、ライチ、竜眼ランブータン、釈迦頭、柿、イチゴ、アボガド、ミカンなどなど。それに値段が安い。ミカンは10キロで300円くらいだ。出盛りのマンゴーは1キロ(3-4個)で60円ほど。去年はマンゴーを食べなかった。東京のスーパーで見かけたしょぼいマンゴーが1個400円だった。CRに戻ればいくらでも食えるし、と買わなかった。ちと悔やまれる。トロピカルフルーツが安くてうまい、これがいいところの2番目。

■CRのいいところ、その3
ケジメがない、いい加減だと怒る邦人もいるが、そのおおらかなところがいいと思う。タイでは酒類の販売時間が決まっている。レストランでも午後2時を過ぎると酒の提供は禁止だ。でも、近くの雑貨屋なら何時でも缶ビールが買える。本当はいけないのだがお目こぼしがある世界だ。

娘が来た時、運転を代わってもらった。すると国道の検問に引っかかった。警官は娘に免許証の提示を求めた。国際免許証は所持していない。おまけに旅券は家に置いてきた。娘は日本の免許証を出して「コレ、コレ、コレでいいの、大丈夫なの」と日本語で訴えている。無免許運転は日本では重罪であるが、タイ人で免許証を持っているドライバーは半数くらい、罰金は1000円足らずだろう。必死で免許証を指さす娘に根負けしたのか、警官は軽く敬礼をして「グッド・ラック」。娘がタイを好きになったことは言うまでもない。

■CRのいいところ、その4
空が広いことだ。5分も車で走ると、どこまでも続く水田や青く霞む里山が臨める。市内には高層ビルはなく、道路も広い。その分だけ視界に占める空の割合が大きくなる。青く広がる空、沸き立つ雲、キロ40Bの高いマンゴーを買えばよかったかな、といったせこい考えが吹き飛んでしまう。

いつも遠くを見ているせいで視力が回復した人もいる。丘の上にあるレストランのテラスから雄大な夕日を眺めていると、自然が最高のインテリアだと気づく。この空に誘われて旅を続けているのかもしれない。

■CRのいいところ、その5
チェンマイ在住のご夫婦が言っていた。そりゃ冠婚葬祭に行かなくてすむことですよ。日本にいれば、特に地方在住の方は葬式、結婚式、法事、寄り合いなど結構大変だ。また同窓会やクラス会、各種会合も全部出席するのも楽でない。それが「タイにいるもんで」の一言で免除される。

CRにも少なからず日本人はいるが、利害関係がないからそれほど行き来はない。気に入った人とだけ付き合い、そうでない人とは会わなくて済む。君子の交わりは水の如し、だ。だから人間関係で悩んでいる人は少ないように思う。タイ女性ともめている人がいるでしょう、という人もいるが、自分にはコメントできるほどの経験がない。

 

 

 

ハッタリ人生

 

 

 

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山中湖、ダイヤモンド富士

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同じ場所から

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コスモスが枯れていた

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山中湖の白鳥

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ヤマガラ、友人の山荘で

 

ハッタリ人生

2016年11月にアップしたブログを加筆の上、再録します。

■できっこないと思っても
大会社にいたせいか、いろいろな仕事を経験した。同じ社内とか子会社であれば、文化は同じ、顔見知りや同期もいて教えてもらいながらでも何とか仕事はできる。でも全く毛色の変わった職業で、それまでの培ったノウハウが全く生かせない、それに付き合う相手もこれまでの世界とは全く違う人ばかり、そういう環境に放り込まれたらどうなるか。おまけに異動後すぐに結果が求められる。

経済産業省系のシンクタンクに出向になったのは40代後半だった。本来であれば管理職として部下にあれこれ指示していればいいという年代だ。それが東南アジアの政治経済の専門家として、論文執筆や調査研究をやって下さいとのこと。目の前が真っ暗になった。その頃の自分にとっては、タイもベトナムラオスミャンマーインドネシアもごちゃごちゃした一つの塊にしかすぎず、それらの国にも特有の文化、言語、歴史があるなど皆目わからなかった。

国名と位置を覚えることから始めた。困った時は人のご厚意におすがりするといういつものパターンで、中央大学国際基督教大学の先生の研究室へお邪魔して教えを受けた。先生方も今度の人はどうなることかと思ったことだろう。本を読み、シンポジウムや研究会に列席するうちに、門前の小僧が習わぬ経を読むようになってきた。
1年もたつと海外の戦略研究所のエキスパートや大学教授とアジアについていっぱしの議論もするし、アジア経済のレポートを恥ずかしげもなく発表する。
やれと言われたらどんな仕事でもこなすのがサラリーマンと理解した。

■フェイク・リサーチャー(偽研究員)
シンポジウムや講演会の後に、講師方を交えて懇親会がある。こういった砕けた席には積極的に参加した。公式の場と楽屋裏では話がちと違っていて面白い。初対面の人の話も興味深い。政府系シンクタンクの研究員は言ってみればトランプのジョーカーみたいなもので、誰と会っても気後れしない。

ある席で外人が話しかけてきた。ドイツの下院議員だという。話は中国の将来に及んだ。これからしばらくは発展しますが、必ずダメになります。ホー、どうして、その根拠は。中国はお宅ドイツと同じく大陸国家です。大陸国家が海洋国家となることは歴史的に難しい。実はこれまで中国が海洋に進出したことが2度ある。一度は明末、倭寇のほとんどは中国人で広くアジアで密貿易を行なった。次が清末、アジア最大の海軍を持ち、海外への移民も多かった。中国史では2回の海洋進出があったが、海外に出るとその王朝は滅んでしまうというジンクスがある。中国の海洋進出は今回が3度目なんです。2度あることは3度ある。だから共産中国は必ず滅びます。

議員さんは目を丸くして聞いていたが、ドイツに来ることがあったら必ず知らせてくれ、もう一度友人と一緒に話を聞きたい、と何やら書き付けた名刺をくれた。

海洋進出をすると中国は滅ぶ、という話は東大名誉教授濱下武志先生の本に書かれている。独の議員さんに話したことはすべてその受け売り。いつもは○○先生がXXに書かれていたことなんですが、と枕詞を付けるのだが、この時はどーせ外人だし、と胸を張って喋った。相手の期待に応えて、精一杯それらしく振舞う、これは相手に対する礼儀かもしれない。

■ハッタリ
その頃、シンポや研究会ではできるだけ発言するようにしていた。招いてもらった以上、会を盛り上げるのが礼儀だ。ある教授が陰で、中西さん、発言の時、○○先生によると、と言うのやめたほうがいいよ、とアドバイスしてくれた。どうして、と尋ねると、○○先生を出さなければ中西さんの意見になるじゃない。学者の世界も結構、ハッタリが大切なんだな、と同情したものだ。

このところ、ネットでニュース解説番組をよく視聴する。自分で取材し、独自の意見を述べるコメンテータの意見は聴くに値する。でもここでウケを狙って、次の番組に使ってもらおうという根性のコメンテータもいる。思い付きを述べてその場を切り抜けるだけの人もいる。おお、いつものハッタリとウケ狙い、と出演者も司会者も、そして視聴者もわかっていれば、これは解説番組でなく単なるお笑い番組だ。

まっとうなサラリーマンでなくテレビ局や新聞社に勤めていたならば、社命によりコメンテータとなったかもしれない。でも自分のハッタリ能力では、ディレクターの台本通りにしゃべるのがせいぜい。玉川徹のほうがまだマシじゃん、とこきおろされるのがオチ。
命長ければ恥多し。人目に触れぬまま一生を送れそうで幸せである。

 

3・11の思い出

 

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 2月の梅

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同、紅梅

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3月、菜の花

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家の近くで

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区の公園課で植栽したらしい

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沈丁花、タイでは見たことがない

 

3・11の思い出

 

■あの時、中国に行っていた
東日本大震災が起こって10年になる。あの日、何をしていましたか、と聞くとほとんどの人がその日の記憶を語る。それだけ衝撃の強い出来事だった。

自分はチェンライに移り住んで3年目、生活にも慣れてきて旅行の足も伸びてきた。それで初めての中国本土旅行を敢行することにした。朝、ラオスのフエサイからボーデンへ、ここから中国の国境モーハンへ入り、モーハンからバスで200キロほど北上すると雲南省、西双版納(シーサパンナ)タイ族自治州の州都、景洪(ジンホン)に着く。チェンライから1泊2日のバスの旅だ。

景洪はメコン河に面しており、下流のタイ、チェンセーンには小型貨物船が行き来している。「している」、ではなく「していた」といった方がいいかもしれない。最近は中国がメコンの支流という支流にダムを造り、本流に流れ込む水を制限しているからだ。水深が浅く、船が航行できない。またメコンにいくつもの友好橋がかかったことも水による物流の必要性を削いでいるかもしれない。

■テレビで衝撃の映像を
景洪で2,3日過ごした後、雲南省省都昆明に行った。ここで暮らす友人のFさんと連絡が付いた。景洪でストレスのかかる日々を過ごしたので、Fさんの出現はまさに地獄に仏だった。

2011年3月11日は二人で昆明湖といわれる滇池を見物に行った。膨大な数の鴎が人を恐れる様子もなく、手からエサを啄んでいく。風は強かったがのどかな日だった。市内に戻ろうとバス停まで歩いているところでFさんの携帯が鳴った。日本で大地震が起こったらしい、家に帰ってテレビを見ろ、と中国の友人が言っている。予定を切り上げてFさんのアパートに戻った。

テレビでは車や家が波にのまれ、流されていく様子が繰り返し、放映されていた。アナウンサーが、死者は100名を超える模様、と言っていた。阪神淡路の時も初めは被災者の数が少なかった、100人や200人じゃすまないよなとFさんと話し合ったことを思い出す。Fさんの携帯には中国各地からお見舞いコールが次々に掛かってくる。東北だけでなく東京も大きく揺れ、交通はマヒ、帰宅難民も多かったと後で知った。11日の晩はテレビ情報とFさんが国内にかけまくって得た情報を基に、ああでもない、こうでもないと話し合った。Fさんの奥さんは東京にある会社の社長、事務所に近い彼女の家には帰宅できない社員が数人泊まりこんでいた。余震に怯える社員を叱咤激励している彼女と話して、自分まで心強く思ったものだ。

■震災のあと
予定を早めて13日には昆明からチェンマイに戻った。それまでずっとFさんのアパートでテレビにくぎ付け、12日には福島第一原発の水蒸気爆発が起こった。この爆発の瞬間は何度も何度も放映された。日本の壊滅を予感させるものだった。更に上海の街角でインタビューされた中国人ビジネスマンが「この機会に日本を追い落とし、中国経済の発展をすすめるべきだ」と嬉しそうに言っている。死者、行方不明者の数はどんどん増えていく。Fさんは宮城の友人と連絡が取れないと頭を抱えている。

ブログに中国旅行や大震災のことを書き始めたのは4月、5月になってからだと思う。タイで大震災特集の写真雑誌を見た。最近まで新聞に交通事故の死体写真が載るのが普通だった国だから、津波による被害者の御遺体の写真も載っていた。またどのページにも自衛隊員が出ている。地元消防、警察、ボランティアの人々も救援に参加したが、普通に被災地の写真を撮ると、自衛隊が写りこむということだろう。日本の報道でも自衛隊員は出てきたが、タイの写真集ほどではない。NHKをはじめとするテレビはなるべく自衛隊を映さないという方針で臨んでいることが、タイにいるおかげで分かった。

大震災は悲劇ではあったが、その陰で心を揺さぶられるエピソードは沢山あった。タイも国を挙げて被災民を励まし、多額の援助をしてくれた。

現在の上皇陛下が震災直後の3月16日に出されたお言葉には深く感動した。救援活動に携わった人々への感謝とねぎらいのお言葉のトップに自衛隊の名を挙げられている。

「被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」
結びのお言葉である。首相が何人変わろうと、こういったご存在を上に頂く日本国民は幸せであると心から思う。

自粛と自殺

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十何年ぶりかで金沢八景へ行った。

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野島公園に向かう道

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潮干狩りに行ったのだけれど

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貝も人影も殆ど無し

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夕照橋、右手の山が野島


自粛と自殺

 

■自殺者急増
厚労省自殺対策推進室によると2020年の自殺者数は暫定値で21,077人と11年ぶりに増加に転じたという。特に昨年10月は自殺者が多かった。

以下はNHK の報道から。
警察庁によりますと、10月に自殺した人は全国で合わせて2,153人で、去年の同じ時期より614人、率にして39.9%増加しました。自殺者は、ことし7月以降4か月連続で増えていて、男女別では、男性が去年よりも21.3%増えて1,302人、女性が82.6%増えて851人となっていて、特に女性が大幅に増加し深刻な状況が続いています。

報道は、感染症自粛で自殺者が増えている、これは大変だ、といういつもの不安扇動スタイル。でも厚労省警察庁は自殺者と自粛との関連性については言及していない。

自殺者数に限らず、数字から結論を導くには過去の数字の推移を見る必要がある。自殺者数は民主党政権の頃には年間3万人を越えていた。2009年には経済・生活苦のために32,845名の方が自殺している。安倍政権になってずっと自殺者数は減り続け、2019年の年間自殺者数は過去最少の20,169人(確定値)だった。ここ10年の統計からみても2020年の自殺者数21,077人は下から数えて2番目か3番目で決して多くない。

NHKはじめマスコミの報道では2020年10月の自殺者が2,153人と前年同月比で大幅な増加と言っている。その通りであるが、月々3,000人を越える人が自殺していた年とは比較しない。
それに前年同月比という比較はどれだけ意味があるのか。自粛のせいで自殺者が増えることをマスコミは示唆するが、それはこれからの推移を見なければわからない。1カ月の増減をある指標、社会状況と結びつけるのは、例えば自殺者が急増した月に大根が安くなった。自殺者数と大根価格は相関関係があり、大根価格が上がれば自殺者は減ると主張するようなものだ。

■自殺防止対策
マスコミの声に押されて、政府は新型コロナウイルス拡大の影響で深刻化する孤独・孤立対策の総合調整を行う「孤独・孤立対策担当室」を内閣官房に設置した。孤独・孤立対策はこれまでも政府内で意識されてきたが、コロナ禍の影響で問題が顕在化し、菅義偉政権の中心課題の一つとして取り組みを進めるという。
感染症拡大後に女性の自殺者数が増加したことが担当室設置の背景にある。自殺の陰には孤独、孤立あり、というわけだ。自殺した女性が、孤立していたのか、自粛の影響を受けていたか等の実証的な検討はこれからのようだ。でも自殺者数を増加させないための方策は他にもある。

自殺者は概ね7割が男性、女性は3割だ。自殺理由のトップは健康問題、不老不死はムリだから、うつ病対策、アル中対策など個別の政策で対応するしかない。また失業率と男性自殺者数との間には相関関係があることはよく知られている。経済を活性化し、失業率を低く抑えることが自殺防止に役立つ。


■単身世帯は3-4割
2018年1月、国立社会保障・人口問題研究所は「日本の世帯数の将来推計」を発表した。それによると、2040年に一人暮らしをしている人(単身世帯)の割合は、世帯総数の39.3%、約4割を占めるとのこと。2015年時点で既に34.5%に達しているが、25年間でさらに4.8ポイント上昇するわけだ。

自分は独居老人であるが、孤独・孤立しているとは考えていない。全く言葉を発しない日も多いが、本を読んだり、映画を観たり、料理、洗濯などの家事、更にはぼんやり考え事をして気楽にやっている。施設で「さあ、オジイチャンも一緒に歌いましょう、はーるを愛する人は…」などと強制されることはない。幸せである。

高齢者の独居率は高まり、2015年時点では男性で14.0%、女性は21.8%だが、2040年には男性が20.8%(6.8ポイント増)、女性が24.5%(2.7ポイント増)まで上昇する見込み。男性高齢者の約5人に1人、女性高齢者の約4人に1人が一人暮らしをする社会と推測されている。

単身世帯の増加要因を考えると、総人口に占める大きなものとして挙げられるのが生涯未婚率(50歳になっても結婚せずに未婚のままでいる人の割合)の上昇だ。
生涯未婚率は2015年時点では男性23.4%、女性14.1%にまで達している。男性だと4人に1人、女性だと7.人に1人が生涯独身となっている。

独り者が孤独で孤立するとは限らない。独身者のほうが豊か、独居老人も意外と金持ちという統計もある。単身世帯は2千万、自殺者数の前年比増加分1000人が総て自粛から来る孤独・孤立のせいとしても4万人に1人、餅を喉に詰まらせて死ぬ人を減らすために餅の販売を禁止するほうが対費用効果のある政策といえる。

 

パッといきましょう

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武蔵小山商店街

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昨年の4月は50枚で5千円だった

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商店街の猫屋

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顔見世

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順番待ち

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イタ飯店でも外で待つ



パッといきましょう


■一喜一憂せず
日本人向けタイ情報ユーチューブ、YAPPAJAPNが「武漢肺炎ワクチンを接種した外国人のタイ入国を4-5月に認める方向で検討」と報じた。おお、もしかすると半年以内に戻れるかも。すぐにチェンライ在住の友人に確認してもらった。結果は、観光関係者が希望的観測を述べただけであって、観光大臣からは正式に否定されたとのこと。タイのことだからこんなもんだろうとそれほど落胆はしなかった。タイでは武漢肺炎の第2波が収束傾向にあるし、中国や英国からのワクチンが届き始めている。状況は良い方向に進んでいる気がする。がっかりしたくなければ期待するな、というが感染症に関する限り、自分でできることは何もないのだから一喜一憂は無駄といえる。

昨年の夏くらいまではチェンライにいつ戻れるかな、と気が急いていたが、東京生活もすでに1年、生活者として落ち着いている。近親者を亡くしても、生き残った者には、まず仕事があるし、ご飯も食べないといけない。買い物、掃除、洗濯、炊事、やらなければいけないことが次から次へ出てくる。大災害も人の死も思い出となっていく。

チェンライの10余年の生活もタシケントで暮らした2年も、自分の心の中では思い出になっているように思う。冷蔵庫に入ってるアレを早く食べなきゃ、本の返却期限が近い、明日は資源ゴミの日だったっけ、日々のことに追われるこの日常がこのままずっと続くような気がする。

■拡大を喜ぶマスコミ
武漢肺炎もマスコミの期待むなしく、感染者が減ってきた。それでも(東京は減ったが)XX県では過去最高の50人の感染者を記録、などと「過去最高」の枕詞がないとニュース価値がないのかと思われるほど、マスコミは不安を煽ってきた。患者を見たこともない東京医師会の会長が「このままでは恐ろしいことになる、あと1月がヤマ場」と去年の夏から言い続けている。この人は記者の質問を「素人は黙っていろ」と遮った人だ。都と医師会が昨年からベッド数を確保し、また軽症者のためのホテルを確保していたら「医療崩壊の懼れ」はなかったはずだ。

「もしこのまま、何も対策が取られなかったら、80万の感染者が出て40万人が死ぬ」と言っていた医師もいる。森さんの女性蔑視(とみられる)発言や菅首相の息子接待など、自分から見ればどーでもいいようなニュースで、感染症の不安を煽るニュースは少なくなった。1年前は桜問題、その1年前はモリカケ問題で大騒ぎだったがあれは決着ついたのだろうか。あと1年も経てば武漢肺炎の騒ぎは何だったのだろうということになると思うが、もう少し、国会やマスコミもやること、言うことあるでしょうと言いたくなる。

■政府も自治体も責任逃れ
サンケイの阿比留瑠偉記者は高山正之さんとの対談で「米国の知日派と言われる政権幹部が日本と韓国が戦争したと信じていた」、「習近平さんは尖閣が日本の領土であったことなんか知りませんよ」などと、要人であっても基本的知識をもたない人が数多くいると言っている。

武漢肺炎に関する限り、マスコミに登場して国民の不安を煽る人の9割は基本的知識がないと思う。「もしかすると」とか「という可能性も捨てきれない」という逃げ口上付きではあるが、結果として彼らの予測は間違っていた。GoTo中止や飲食店8時閉店が陽性者減少に結び付いたという証拠はない。マスク、手洗いだって効果があったのかどうか。

「皆さん共に頑張りましょう」と言われても何を頑張るんだか。自分の感覚ではあるが商店街の人出も映画館の観客も確実に増えている。とりあえず、マスクはしますが、陽性者や死者が激増しているわけじゃないでしょう、という庶民の声が聞こえてきそうだ。

政府も武漢肺炎で亡くなった人の年齢、基礎疾患を明らかにすべきだ。70歳以上が9割という。年間、老衰で11万人、心筋梗塞などの心疾患で21万人、悪性新生物(がん)で37万人の人が亡くなっている。他にも腎不全、糖尿病、肝臓病の3つで約6万人亡くなっている。がんの末期だったが検査してみたら陽性だったので、死因は武漢肺炎というケースはある。それにしても70,80なのだから年に不足はない。

若い人は友と語らい、学び、働き、レジャーも大いに楽しんでもらいたい。感染症騒ぎは国民の活力を削いでいる。植木等ではないが、この際、パッといきましょう。そのほうが免疫力が高まって病魔だって退散するに違いない。