チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

江戸東京博物館

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博物館外観

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エスカレータ

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エスカレータの壁面画

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実物大日本橋

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歌舞伎舞台、実物大

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街頭テレビ、力道山の空手チョップを久しぶりにみた

 

江戸東京博物館

 

■引き籠り
気温にする体の慣れ、いわゆる寒冷馴化、暑熱馴化を実感している。12年前の1月に東京から乾季のチェンライに移り住んだ。乾季は北タイの冬にあたり、最低気温が12-13度に下がる。しかし日の出とともに気温が上がり、日中は25度以上に上がる。日中は半袖で充分、それでもタイ語のジアップ先生にTシャツ1枚で寒くないの?と心配されたものだ。体が冬の東京仕様だったからだろう。25度を下回ると日本の炬燵に潜り込むというチェンライの邦人に呆れていた。でもチェンライ在住3年もすると、体がすっかり南国仕様に変化してしまい、乾季には長袖、時にはブルゾンを羽織るようになった。寒さにめげてチェンライのスーパーでニクロム線ヒータを買おうとしたこともある。

軟弱な体質で今、越冬生活をしているから、凍死しないよう部屋を暖め、風呂にも頻繁に入る。「首周りを温かくして暖かいコートを着て外出して下さい」と天気予報士のおねえさんに言われれば、余計なお世話だ、などと可愛げのないことは言わず、外出を控える。
本の返却のため図書館に、卵が無くなった、とか必要がなければ外出しなくなった。引き籠りである。老人は2日寝たきりになると歩けなくなる、と本に書いてあった。布団にくるまって終日本を読んでいる自分は寝たきり老人そのものではないか。このままでは杖にすがる日も遠くない。テニス再開など夢のまた夢になる。
それで1日引き籠りをしたら翌日は外出、を心掛けた。図書館、買い物も自転車には乗らず歩いていく。

■一般600円、シニア300円
今年になって映画は十数本観ている。今日は1日中家にいたから明日は映画、と思ってネット検索をした。でも面白そうな映画がない。ふと1月に相撲を見に行った時、国技館の隣に江戸東京博物館の巨大な建物があったことを思い出した。明日は気温が相当下がるから入場者も少ないだろう。折角、東京にいるのだからここに行ってみよう。

「東京都江戸東京博物館は、江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える場として平成5年(1993年)3月28日に開館。高床式の倉をイメージしたユニークな建物で、常設展では、徳川家康が江戸に入府してからの約400年間を中心に、江戸東京の歴史と文化を紹介。見応えのある縮尺模型のほか、浮世絵や着物、生活道具など、当時の資料も豊富に紹介している。」

都営地下鉄両国駅は博物館のすぐ裏手にあるのだが、正面切符売り場まで5分は歩く。寒風に首をすくめながら3階入場券売り場に行く。モコモコのダウンコートを着た警備員が数人いた。10時過ぎだが入場者は自分一人、狙いは当たったがこんなに多くの人に出迎えてもらって心苦しい。検温を済ませ、入場券購入。一般ですか?、いえ、シニアです。チケット売り場の女性は、65歳以上の証明書はありますか、という。そんなお年にはとても見えませんよ、というお世辞かと思ったが、深めに被った野球帽に顔を覆うマスク、銀行強盗かテロリスト、もしくは年齢詐称と疑われたのだろう。すみません、と慌ててパスポートを差し出す。

僅か300円しか払っていないのに、全警備員の丁寧な見送りを受けて、3階から6階に続くエスカレータに乗る。前後には誰もいない。左右の壁には浮世絵の男女像が描かれており、おお、これから江戸の歴史、文化に触れるのだという期待感が高まってくる。名ある神社では一の鳥居から二の鳥居、拝殿、本殿へと、静謐さを通して次第に心が清められていく。このドーム内エスカレータも神社にヒントを得たものであろうか。

■おトク感抜群
入り口でまず目に入るのは実物大の日本橋である。橋の北側半分をそのままに再現している。橋を渡って展示フロアに入っていく仕組みだ。また入り口ではデポジット方式で無料の音声ガイドが借りられる。
常設展示室は『江戸ゾーン』と『東京ゾーン』とに分かれている。江戸から東京への変遷が原寸大の模型やジオラマで楽しめる。江戸時代の庶民文化のコーナーでは、教養、洒落っ気、勤勉さ、助け合いなど日本人の民度の高さを実感した。また昭和の展示では1960年代の学校給食、街頭テレビ、黒電話などがあり、自分の子供時代はもう歴史に入っているのだな、と複雑ではあるが懐かしい気持ちになった。とにかく素晴らしい。2時間半いたが、それでも時間が足りないほど。

尚、写真撮影はほぼ自由である。音声ガイドを返却した時、ピン札の千円札が戻ってきた。最後までトクした、と思える博物館だった。

参考

江戸東京博物館は見所満載!どこよりも詳しく写真付きで紹介 - 東京ルッチ (tokyolucci.jp)

女子プロテニス

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2021年全豪オープン優勝

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笑顔がいい

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力強いリターン

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キング夫人の伝記映画、2017年「バトル・オブ・ザ・セクシーズ

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これが1973年の写真

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優勝決定の瞬間

 

 

女子プロテニス

 

全豪オープン優勝
最近嬉しかったことといえば、テニスの全豪オープン女子シングルスで、大坂なおみ選手が優勝したことである。大坂選手は2118年に全米オープンでセリーナ・ウィリアムスを破ってテニスの4大大会で日本人として初めての優勝を果たした。表彰式で、なおみちゃんが「皆さんはセリーナの勝利を願っていたのに・・・」と涙を流した光景は忘れられない。

今年の全豪オープンでは3年前に比べ、一回り体が大きくなり、サーブ、ショットの威力が増していた。7試合中、落としたセットはわずかひとつ、6試合をストレート勝ちしている。格段に安定感が増した。風格さえ感じる。たとえは悪いが貴乃花大関時代と横綱になってからの体格と安定感と言えようか。

ユーチューブで対戦を繰り返し見た。腰を落とし、バックハンドでクロスショットを決める。体の軸がぶれていない。美しい動きだ。ああやればいいんだよなあ、と納得する。実際はできないとわかっていても素晴らしいショットを見ると、いつか自分だって、と希望が湧いてくる。
彼女のサーブは180キロの弾丸サーブだけかと思っていたが、全豪オープンではゆるいセカンドサーブでポイントを取る場面が再々あった。

日本に来る前にひねくれたスライスサーブを体得し、外人に「スニーキー」と言われながらもサーブでポイントを稼いでいたことを思い出した。そう、そう、サーブでポイントが取れると試合がラクになるんですよ。

■女子テニスの草分け
チェンライで本格的にテニスを始めた。芸事は7歳から、というから60歳の手習いでは人並みの上達は見込めない。でも今からウィンブルドンを目指すわけではないから、楽しく体が動かせればいいと思ってコートに日参していた。体が動くうちがハナだし、同程度の技量の人たちが集まっている。順位とか獲得賞金には全く縁がないから気楽なものだ。
獲得賞金と言えば、2020年5月の米経済紙フォーブス(電子版)で大坂なおみ(22)が世界で史上最も年収の多い女子アスリートとなったと報じられている。
対象となっているのは2019年6月1日から2020年6月1日までの収入。大坂の総収入は獲得賞金とスポンサーからなどの副収入を含めて3740万ドル(約40億4000万円)に達し、過去4年連続で女子部門の1位だったセリーナ・ウィリアムズ(38=米国)を140万ドル(約1億5000万円)を上回った。大坂の年収3740万ドルのうち、大会で得た獲得賞金はその39%に相当する1450万ドル(約15億7000万円)だった。獲得賞金だけで約16億円は素晴らしい。この記録はさらに伸びるだろう。

自分のようなテニス音痴でも1970年代に活躍した女子プロテニスプレイヤーのキング夫人の名前は知っている。1971年にキング夫人は全米オープン2勝目も含めたシングルス年間17勝、ダブルス21勝を挙げ、年間獲得賞金額が11万7千ドル(当時のドル/330円換算で約3千9百万円)となり、10万ドルを突破した最初の女子選手になった。

しかし、当時の女子テニス選手に与えられた賞金は男子の8分の1ほどに過ぎず、男女の賞金格差は大きな問題になっていた。キング夫人はアメリカで1970年代初頭に起こった男女同権運動でリーダーシップを取り、男子選手たちから離脱した「女性によるテニスツアー」を提唱した。これが1973年に発足した「女子テニス協会」の原型となる。

■かつては白人だけ
1973年、キング夫人は当時55歳になっていた往年のプロテニス選手、ボビー・リッグスと有名な「男女対抗試合」を行った。2人の試合は“The Battle Of The Sexes”(性別間の戦い)と銘打たれ、大々的な告知が行われた。9月20日テキサス州ヒューストンで行われた試合会場には3万人を超える観客が集まり、テレビ中継でも大勢の人々が見守った。キング夫人はリッグスに 6-4, 6-4, 6-3 の3セット連取のストレートで勝利を収め、女性の持ち得る力を証明した。この試合をきっかけに、興行としての「女子テニス」が発展し始め、キング夫人はその後も女性の権利のために戦い続けた。

かつてテニスは、上流階級の、白人のスポーツとされていた。また、人種によって参加できないテニス大会も多かった。これをテニス界の悪習と考えた彼女は、あらゆる人種の選手が大会に参加できるよう、力を尽くした。そのかいあって、今では大坂なおみのようなアジア出身の選手や、ウィリアムズ姉妹のようなアフリカ系アメリカ人の選手をはじめ、すべての国の選手が自由に参加できるようになったのだ。大坂選手の優勝の陰には差別と闘った多くの人の存在がある。

それはそれとしてなおみちゃんの優勝は本当に嬉しい。

前駆症状

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昨年秋の日展から

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同上

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同上

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同上

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同上

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美女は少ないなあ、が全般的感想



前駆症状

 

■忘れっぽい
おでんの素を買おうとスーパーに出かける。帰宅してみるとコンニャクや竹輪はあるのに肝心のおでんの素を買い忘れている。冷蔵庫の前に立って、ハテ、何を取りに来たんだっけ、取りあえずイカの塩辛を取りだして居間に戻る。卓上の千切りキャベツを見て、ああ、そうだ、ソースを取りに行ったのだと気づく。物忘れは認知症の前駆症状だ。

脳にはアミロイドβという物質があって、外界からの毒素、有害食物から脳を守っている。だが老齢化に伴い、アミロイドβ自体が脳を攻撃するようになり、脳細胞が死んでいく。そのため認知症が発生する。単なる仮説とはいえ、影響されやすい性格であるから我が脳の3分の1くらいがアミロイドβの白いカビに覆われてしまっているような恐怖を感じる。

2月1日にアップした「酒談義」は昨年書いた原稿だ。時事ネタではないので予定稿にして忘れていた。ところが1月4日に自動的にアップされ、2本立てになっていた。4日の夜に気づいて削除、でもせっかく書いた原稿だし、と2月1日に姑息にも再アップした。

第一稿を書き上げて、「保存」の代わりに「削除」をクリックしたこともある。物忘れ、うっかりミスは気が付かないだけで山ほどあるのだろう。一億総活躍社会というが、とても人様のお役に立てる人間ではない。社会の片隅でひっそりと生きる、これが今の自分に合った生き方といえる。

■怒りっぽい
認知症の前駆症状の一つに忘れっぽいと並んで怒りっぽいが挙げられている。バスの中でおばあさんが「それでね、俺は絶対悪くないって言い張るの、あんなに怒る人じゃなかったのよ」とご亭主の話をしていた。

体調や記憶障害からくる精神的ストレスで怒りの感情が抑えられない。「易怒性」という。親はすでになく、子は独立し、妻は去った。「親に孝、妻に忠」の生活を送った。でもまだカミさんがいたら、自分も怒るようになっているのだろうか。面と向かって人に怒りをぶつけたり、暴言を吐くことは今でもない(と思う)が、ブログでは結構、上から目線で批判、非難を繰り返している。

2月15日にアップした「義理も人情もない」では森さんの発言を女性蔑視と決めつけて、打算的処世術に走った組織や個人に怒っている。あの発言がNYタイムスの言う「sexial remark(性差別発言)」になるのか。女性蔑視、性差別はよくない。自分もそう思う。でもあの発言が女性蔑視に当たるという判断とその基準は誰が決めたのか。あの発言だけでその人の人格を否定する権利はあるのか。

変なたとえで申し訳ないが、自分が殺人を犯し、裁判にかけられたとする。裁判では自分が何十年も善良な社会人生活を送ってきたこと、老齢であること、(多分)被害者に殺されるにたる原因がある等を考慮し、執行猶予付の判決が下されるはずだ。殺人でさえ、これまでの生き方が忖度される。字数にして十数語の発言だけを取り上げて名誉を剥奪し、社会的に抹殺する、これは不当量刑と言っていいのではないか。「森にNO」と書いた赤い紙を持った人をテレビで見た。森は絶対悪い、許せない、と怒り狂っているのだろう。認知症の前駆症状が出ているとしか思えない。

■幼稚っぽい
マスコミは偽善的道徳を振り回す点でお隣の国と同じだ。幼稚っぽい。「3歳以下の幼児と80歳以上の老人はホントのことしか言わない」という。幼児や年寄りが何か言ったら、そうだよね、そうかもしれませんね、と答えていればいい。それをいい大人が、許せない、取り消しと謝罪を要求すると言い募る。こういう人に限って、取り消しと謝罪があっても決して許さない。謝罪と共に賠償があれば納得するのか。

会社でも町内会でもいいが組織のトップの地位には、まあそれなりの人が就いている。変な人がトップにいると組織がもたない。トップが、例えば認知症になれば、組織がその人に引退してもらう。ごく普通の自浄作用だ。東京五輪パラ組織委員会の会長に相応しくなければ会長に推挙されなかっただろうし、よしんば不都合が生じたら委員会内部と関係先で相談して職を引いてもらう、これが普通だ。

会社や町内会に対し、株主でも地元民でもない他人が「あの社長、会長はけしからん」と言えば辞めないといけないのか。唯々諾々と他人の声に従う関係者も情けない。

認知症を東北地方では「童(わらし)がえり」という。幼稚なマスコミは認知症の初期なのだろうか。前駆症状が出ている自分が言っても全く説得力がないけれども。

 

クロス兼メモ用紙

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白梅

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寺の本堂が少し写っている

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いい香りがした

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寺の本堂

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寺の池

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望遠で



クロス兼メモ用紙

 

■クロスの代わりに
ある家で夕食をご馳走になった時、各人の前に日本手ぬぐいの3分の2ほどの布が広げられていた。数年前、友人と銀座の加賀料理の店、加賀屋で昼食を共にしたときも同じ大きさの布が目の前にあった。手ぬぐいというには短いし、布巾というには優雅すぎる。独り用のテーブルクロスというのだろうか。載せる食器や料理も見栄えがする。

茶わんや鉢の糸切りが濡れていても卓を汚す心配がない。加賀屋から持ち帰った布を使ってみたが、洗うのが億劫である。月の変わり目でカレンダーを1枚切り取った。これを2つ折りにして布に代えてPCの前に敷いた。A3の大きさである。この上に焼き鳥パックや丼を置く。シミがつくが紙だから気にならない。汚れたら捨てればいいだけだ。

利点はさらにある。メモができることだ。食材の買い物リスト、気になる語句や俳句、煮物のレシピなどが書いてある。汚い字なので読めない字もある。それはそれで解読するという楽しみがあるし、読めなくても生死にかかわることではない。

■常緑低木
ナンテン、と書きなぐってある。ある日、思い立って庭の枯草を抜き、野放図に伸びた低木をバサバサと切った。名前がどうしても思い出せないまま、背の高さほどの木を切った。なんていう名前だっただろう。葉に含まれているアルカロイドには防腐、殺菌効果があるので弁当や魚料理に添えられることがある。それは思い出すのだが、肝心の名前が思い出せない。モヤモヤした気持ちで作業を終えた。多少体は動いても首から上は痴呆症か。

それが、2,3日経って神の啓示のごとく「南天だ!」と閃いた。布団から跳ね起きて、卓上の紙に「ナンテン」と大書した。名前さえわかればこっちのものだ。

ナンテン南天)は本州の関東より西、四国、九州など比較的あたたかい地域の山林に自生する常緑もしくは半常緑性の低木です。
ナンテンは中国や日本が原産で、自然界では1~3mほどまで生長します。
ナンテンの名前は、中国の漢名「南天竹」、「南天燭」に由来します。
ナンテン」という語感が「難(ナン)を転(テン)じる」に通じるため、縁起木、厄よけ、魔よけとして古くから玄関先や庭に植えられてきました。また、ナンテンは「鬼門」と呼ばれる南西の方角に植えるのが良いとされています」。

ワイルスがフェルマーの最終定理を証明した時もこんな気分ではなかったか。少なくともその1000分の1ほどの嬉しさは味わったと思う。

■音楽も聴く
フィンランディア」はある作家が、聴くたびに生きる勇気を感じると絶賛していた曲だ。曲名のフィンランディアは初耳だったので紙に書き写した。後日、ユーチューブで聴いてみた。何度も聞いたことのある名曲だ。どうして曲名を失念していたのか、初めから覚える気がなかったのか。

ロシアの圧政に苦しむフィンランド国民が奮い立ったというこの曲を聴きながら、50年も前、フィンランド人の青年と会ったことを思い出した。ナホトカ経由で欧州に行く途上、ハバロフスクからモスクワまでの機内だった。どんな話をしたか定かではないのだが、自分が「フィンランドスオミというんだよね」と言った時、彼の目が輝いたことだけは覚えている。フィンランディア賛歌という交響詩に歌詞を付けた合唱曲がある。

おお、スオミ
あなたの日は近づいている
夜の脅威は既に消え去り
そして輝いた朝にヒバリは歌う
それはまるで天空の音楽のよう
夜の支配に朝の光が既に勝ち
あなたの夜明けが来る 祖国よ

帝政ロシアが演奏を禁じたというこの曲を聴きながら思い出に浸る。古い記憶は確かなのに最近の記憶が薄れているように思う。それはそれで仕方ないことだ。

■和歌、俳句も
「世の中に 交らぬとにはあらねども」と書いてある。続きは「ひとり遊びぞ 我は勝れり」。良寛の歌だが書いたときは良寛の心情に共鳴していたのだろうか。

「月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ」は葉室麟の「蛍草」に出てくる万葉集の作者未詳の和歌だ。最後の数ページで殆どの人が泣ける。筋や感想を書き始めると字数が足りないのでやめるが、ひたむき、誠実、謙虚、忠節など日本人の美点を感じさせるいい小説だ。自分も斯くありたい。読了直後は切実にそう思った。

他にも「端居して濁世なかなか面白や」、「元日や我のみならぬ巣なし鳥」、「初詣一度もせずに老いにけり」等の俳句を書き写している。そう、1月以上、紙を交換していない。お茶や油の染みだらけだが、解読前の文字もあるのでなかなか捨てられない。

 

義理も人情もない

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昨年秋の日展から

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同上、やさしそう

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同上、きつそうな子

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同上、眼の光がすごい

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同上、髪の毛が素敵

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同上、評価は分かれると思う


義理も人情もない

■集団ヒステリー
東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長の女性に関する発言をめぐる日本社会、特にマスコミや国会の狂騒には驚いた。何か裏があるんじゃないかと邪推してしまう。森氏が謝罪したにもかかわらず、一方的な糾弾を続ける姿はまるで集団リンチかいじめのようだ。

森さんの発言の前後を読んでみたが、どうしてこれが女性蔑視発言なのかわからない。「女性が入った会議は長くなる」とサッカー協会の理事会を引き合いに出している。会議が長いかどうかは女性理事が少ない時の理事会とその後の女性理事が入った会議の時間を比べてみて、ホントだ、確かに女性理事が多くなると会議時間が増えているね、とただ時間を定量的にみればいいだけの話ではないか。

会議は目的があって開かれるもので、時間の長短は目的達成とは関係ない。長く慎重に議論したのでいい結果が出た、という会議もあるだろう。また女性が入った会議では男性が張り切りすぎて長広舌を振るって時間を超過したのかもしれない。そうなれば悪いのは男性ということになり、この場合、男性を糾弾しないといけない。

■作られた世論
発端は発言の一部を切り取って朝日の電子版に短い記事が載ったことだ。するとこれは女性差別だという書き込みが殺到し、NYタイムスもすぐ取り上げた。ご注進並びに特定ネット市民の扇動があったのだろう。朝日と毎日はそれを見て一面、社説で森叩きを始めた。森さんは少し喋りすぎのところはあるかもしれない。でも彼を長年取材している女性記者は差別主義者らしい振る舞い、言動はない、むしろ気配りの人と言っている。


森さんは重度の肺がんで死を覚悟していた。でも小野薬品とノーベル賞の本庶教授が開発した免疫剤オプジーボが劇的に効いた。オプジーボは2割の患者さんには劇的に効く。それでも83歳、痩せているし、顔色もよくない。透析もしている。

石坂泰三という経団連の会長がいた。80歳の時、自宅玄関で靴を履きながら「つらい・・」と漏らした。それを中年の娘さんが聞いている。迎えの車が来ていて、毎日会合の連続だ。
東京オリパラ組織委員会の会長はラクな名誉職ではない。病身をおしての森さんの活躍についてはいろいろ書かれている。世話になり、助けてもらった人は多いはずだ。皆それを知っている。でも「女性差別主義者」のレッテルが貼られると真偽は別にしてスポーツ関係者、与党議員まで背を向けた。NHKニュースでは五輪金メダリストに「やはり女性差別はまずいんじゃないかと思います」と言わせていた。取材記者が「女性差別はよくないですよね」と質問したに違いない。こうして「世論」は作られていく。世論に同調しなければ、ごく普通に暮らしている愛妻家であっても「お前は女性差別論者」と言われ社会的に抹殺される恐れがある。

五輪スポンサーも「差別主義者」と言われたくないので、(心ならずも)「森さんの発言は穏当でない」と言い出した。ポリコレでおかしなことになっている米国ではNBCが森批判に同調した。IOCは米国のテレビ放映権で成り立っている営利団体だ。

その必要はなかったと自分は思うが、森さんは自分の発言を撤回し、謝罪した。IOCは本人も謝っていることだし、今回の件は不問にしたいといった。しかし、有力スポンサーの意向は無視できず、IOCは森批判に転じた。謝っているのに許さない。自分の子が謝っても許さない風潮があるのだろうか。

■沈黙は同調だ
保身のため誰も森さんを擁護しなかった。菅首相も橋本五輪相も背を向けた。五輪陸上銅メダルの為末大は「沈黙は同調だ」というサヨクの声に押され、「私はいかなる性差別にも反対します。そして、理事会での森会長の処遇の検討を求めます」と意見を表明した。

自分だったら「おでこを地べたに擦り付けて頼んできたから、引き受けてやったのにこの仕打ちかい、ばかばかしくてやってらんねえよ」と辞めるところだ。結局、森さんは辞任したが、自分のような下品な捨て台詞は言わなかった。不本意ではあったと思うが、森さんには残された人生をのんびり過ごして頂きたいと思う。

凋落著しいサヨクマスコミは、こうすれば有力者のクビが取れるんだ、と元気が出たことだろう。だが別の期待もある。今回、女性差別に抗議した人々は、当然のことながら今、中国で行われているウィグル、チベット、モンゴルで行われているレイプやジェノサイドに抗議し、来年の北京冬季五輪ボイコットに声を上げてくれるに違いない。
だって「沈黙は同調」なんでしょう。

 

香りの思い出

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靖国神社の梅、昨年12月撮影

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大宰府天満宮

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太宰府天満宮の梅

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映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」の一場面 

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パリの香水博物館

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シャネルの5番、15㎖、本体価格24,000円

 

香りの思い出

■匂い起こせよ
靖国神社の裏庭で1、2つ花開いた紅梅を見た。昨年12月のことだ。今は近所でも満開だ。梅は桜と違い香りがする。花を見なくても近くで梅の存在を感じる。東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花、だ。この和歌を聞くと反射的に、東風吹かば匂い起こせよレバニラ炒め、というパロディを思い出す。マンガで覚えたのだろうか。梅の花ならば「匂う」でいいがレバニラ炒めなら「臭う」のほうが適切かもしれない。ネット翻訳でみると英語ではsmell goodとsmell badの訳が出てくるだけで何とも味気ない。日本語では他にも「香る」、「薫る」も使われる。
朝の食卓に漂う香り、旅行けば駿河の道に茶の香りと、風薫る初夏、古代の文化薫る明日香村、この違いは日本人ならわかる。香り、薫り、あるいは匂いを文例に入れ替えてみると確かに違和感がある。
香道では嗅ぐことを「聞く」といい、「聞香」、「組香」という繊細な言葉もある。英語なら嗅ぐも聞くも「smell」「で済ませるところだろう。

■香水嫌い
有楽町シネマで「パリの調香師 しあわせの香りを探して」というフランス映画を観た。原題(Les parfums)の直訳は「香水」。アルパチーノ主演の「狼たちの午後」は「Dog Day」(盛夏)の誤訳だ。誤訳ではないにしても「調香師 しあわせ・・・・」はどうかと思った。映画は中年女性とハイヤー運転手の、仏映画には珍しく、全く色恋無しの佳作であった。

天才調香師のアンヌは、世界の名だたるトップブランドで数多くの香水を手掛けてきた。だが4年前、彼女はスランプと多忙がきっかけで嗅覚障害を患ってしまう。地位と名声を失いひっそりと暮らすアンヌだったが、ある日運転手として雇われたギヨームと出会い……。スランプにより嗅覚を失った女性調香師の苦悩と、再起をかけた挑戦を描く。
仏映画はヒロインが死ぬという救いのない結末が多いが、これはハッピーエンドに終わる。この映画で香水を創り出す工程を観た。いくつもの香料を混ぜ合わせ、匂いを確かめてはその組成をノートに記していく。かなり辛気臭い仕事である。

亡き母が鳩居堂の匂い袋に凝っていたことがあり、スーツの内ポケットに匂い袋を入れていたことがある。頂き物のオーデコロンを使っていたこともあるが、基本的に香水の類には興味がない。ないどころかエレベータで香水のキツい女性と乗り合わせるとイラつくことさえある。一流の寿司店では香水の女性お断りの店もあるし、香水の香りに惹かれて女性を好きになる人は少ないのではなかろうか。

■香水でない匂い
犬を見るとお互いクンクンと匂いを嗅ぎあっている。クオーラでは、男性、女性を問わず、相手の体臭に惹かれて交際が始まったという告白が出てくる。別れるときには好きだった体臭が消えているという。舟木一夫の高校3年生に「僕らフォークダンスの手を取れば、甘くにおうよ、黒髪が」とある。これは「臭う」ではなく、間違いなく「匂う」だ。

米国では登録した人に1週間ほどTシャツを着続けてもらう。それを送ってもらい、1,2センチの小片に切って、希望者に送付する。その小片をクンクンと嗅いで、この匂い、ステキ、となればマッチング成立というお見合い業がある。本当かなと思ったがかなりの実績があるらしい。人間も動物も同じいうことか。

香水を創るだけが調香師の仕事ではない。映画でもバッグ用のなめし皮の臭いや工場から出る排煙の悪臭を解決するという場面があった。
介護ロングステイの実際を知りたいという女性がチェンライの我が家に訪ねてきたことがある。彼女はこの家には介護家庭特有の臭いが全くありませんね、と言った。人間はオシメに始まってオシメに終わる、これがほんとのオシメーだ、これは漫談だが、介護は排泄物との闘いである。女中さんのお陰で母は亡くなるまで清潔に過ごしたが、一般家庭での介護ではそうもいきかねる。消臭剤の調合や花の香り演出も調香師の仕事である。香水、化粧品のみならず、食品にも調香師は活躍している。意外と日本は調香先進国とのこと。

ブリキ玩具や折箱の博物館があるのだから、香水博物館も、と思って調べてみたらあるある。パリの香水博物館は観光名所となっている。日本はVR技術に優れているのだから、マリリン・モンローがセクシーに迫ってくるVRを視聴するとシャネルの5番が香ってくる、そんな香水美術館がないものか。香水でなくても日光、雨上がりの杉林、お祭りの境内、その情景を見ながら森林や焼きそばの匂いが楽しめたら、と思う。

鰻をパタパタと焼く情景と共に匂いが嗅げたら・・・、匂いだけでも金を払う用意はある。

 

ミャンマーのクーデタ

 

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 バイクにスー・チーさんの写真

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ミャンマー、チェントンの市場 2020年1月

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同上、望遠で

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チェントン、ノントン池

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チェントンの名所、一本木

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外人はチェントンから先、陸路では行けない

 

 

ミャンマーのクーデタ

 ■自由に旅行できない国
タイはミャンマーラオスカンボジアと国境を接している。2009年にチェンライに移り住み、バスでラオスカンボジアを自由に旅した。しかし、ミャンマーだけはチェンライ県と国境を接するタチレク市内には入れるが、陸路でその先に行くことはできなかった。それどころかミャンマー国軍と少数民族との小競り合いがあって、国境が一時的に封鎖されることがあった。今回のクーデタでもメーサイ・タチレクの泰緬国境は封鎖されている。
アウン・サン・スー・チーさんが政権を握ってから、少し鎖国が解けて、陸路でヤンゴンまで、またタチレクからチャイントンへもバスで行けるようになった。でもまだ陸路では行けない地域がある。独立を目指す少数民族が跋扈していて治安上の問題があるからだ。

■クーデタの報道
バンコク時事】ミャンマー国軍系のミャワディ・テレビは1日、全土に非常事態宣言が発令され、国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握したと報じた。与党・国民民主連盟(NLD)筋によると、国軍はアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束。同筋は「国軍によるクーデターが発生した」と非難した。

 国軍はNLDが圧勝した昨年11月の総選挙後、初めてとなる国会が1日に招集されるのを前に、総選挙で不正があったと繰り返し抗議していた。ミャワディ・テレビによれば、選挙管理委員会が不正に対処しなかったとして、1年間の期限で非常事態宣言を発令。暫定大統領に指名された元国軍幹部のミン・スエ副大統領がミン・アウン・フライン総司令官に立法・行政・司法の全権を授けた。

 スー・チー氏は軍事政権下で民主化運動を率い、長年にわたって自宅軟禁生活を強いられた。2015年の前回総選挙でNLDが大勝し、事実上の国家指導者に就任。重要公約だった憲法改正少数民族武装勢力との和平を実現できず、昨年の総選挙は苦戦が予想されたものの、前回を上回る圧勝を果たし、続投を確実にしていた。
 国軍は1月31日、「総選挙で1050万件を超す不正があった可能性がある」と批判する声明を発表。「国軍は自由で公正な選挙、永続的な平和のため、可能なあらゆることを実行する」と警告していた。

■英国の手駒
欧米各国はすぐさまクーデタを非難し、アウン・サン・スー・チー擁護の声明を出した。彼女は中学生の時、偶然?にもニューデリーで旧ビルマ総督の英国人に出会い、彼に引き取られて30年間英国に住む。M16の関係者と言われる英国人男性との間に2人の子供がいる。

スー・チーの父親、アウンサンは英国によって謀殺された。インパール作戦の折、英印軍がビルマの村人を虐殺しながら敗走した事実を彼が国際社会に訴えようとしたからという。そのアウンサンの娘を洗脳して民主主義の旗手としてミャンマーに送り込んだ。欧米はサハロフ賞、レジオンドヌール勲章ノーベル賞、数々の名誉市民、名誉博士号を贈って彼女を持ち上げた。スー・チー女史はノーベル賞の賞金でロンドン郊外に豪邸を立てている。彼女はミャンマー人の顔をした英国人である。

ロヒンギャ問題で明確な政策を打ち出さないとして非難されていたが、ロヒンギャ問題を突き詰めれば英国の悪行をあばくことになるから彼女には何もできない。それが分かっていながらスー・チー非難に走っていて、今度は擁護する。英国は本当に性根が悪い。

白豪主義が根っこにある
ロヒンギャベンガル州からの移民である。英国がベンガル人ビルマに移住させた。これは英国やフランスが植民地でよくやる分割統治だ。言語、宗教、文化の異なる民族を同一地域に置き、紛争を常態化する。これにより宗主国たる白人への恨みを削ぐ。さらに英国はロヒンギャに軍事訓練をし、日本軍についたビルマ軍と戦わせた。CIAがラオスのモン族を訓練してベトコンやパテト・ラオと戦わせたことを思い出す。

ベトナム戦争終結後、モン族は共産勢力の返り討ちに会って、女子供もろとも虐殺の憂き目にあう。米国は責任を感じたのか、行き場を失った十数万のモン族に米国市民権を与えた。歴史を正しく認識するならば英国はロヒンギャ難民に英国籍を与えるべきと、自分は思う。でも民族紛争があって国内が混乱し、出来たらアジアには発展などしてほしくないという白人至上主義がある限り、それはムリだろう。

今回のクーデタは米国の選挙不正をあてこする中国が仕掛けたと言われている。中国も欧米も「国益」という同じ思惑で動いているだけでミャンマーの発展など全く考えてはいない。