チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

弘法大師の霊跡(1)

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最近行ったみなとみらい

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帆船日本丸

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ヨコハマ・ビエンナーレ86 海鳥たちの風

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横浜ランドマーク前

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咲き始めていた

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大島桜、背景のビルは神奈川大学



弘法大師の霊跡(1)


■四国遍路
以下、日本大百科全書による。
日本の各種の巡礼のなかで、四国八十八か所霊場を巡る巡礼をとくに遍路といい、その巡礼者そのものも遍路(お遍路さん)という。この文字は中世末から江戸時代初めに用いられ始めたもので、それ以前は「辺路」と書かれ、『今昔(物語集』(12世紀前半)や『梁塵秘抄』(12世紀後半)では「へじ」と読まれた。これが海辺の路(みち)をさしたことは『今昔物語集』(巻31第14話)で明らかであるが、それには「四国辺地」と書かれている。このような「海辺ノ廻(めぐり)」の修行が四国の弘法大師信仰と結合して、弘法大師空海の旧跡を巡る巡礼になったのが遍路である。(引用終り)


「あなうれし 行くも帰るも留まるも 我は大師と二人づれなり」、四国を回るお遍路さんには常に弘法大師が付き添ってサポートするという「同行二人(どうぎょうににん)」の信仰が生まれた。現在、四国遍路の旅に出る人は年間に10万人とも15万人ともいわれる。故人の冥福を祈るため、病気平癒祈願、自分探しのため、観光を兼ねた癒しを求めて、その目的は様々であるが、今日も四国路を白装束で歩く人がいる。約1200キロを歩き通す歩き遍路には約40日かかる。

大師が活躍した1200年余り前の平安時代には、海辺を中心に、塵界を離れた四国の各地に修行者たちが集まり、厳しい自然環境と対峙しながら、心身を清めて功徳を得るための「浄行」に励んだ。大師も同じ苦修連行に勤しまれたことは間違いない。ただ、四国八十八か所霊場を大師様がすべて巡られたかというとそうではない。ただ大師様の著書「三教指帰」には阿波の大龍ヶ嶽、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山に言及されているので、ここは間違いなく大師様が修行された霊跡といえる。この3つに加え、生誕地である讃岐の善通寺(75番霊場)も霊跡といえる。

■遍路の思い出
四国の人は「お遍路の旅」に憧れているというが、香川県丸亀市生まれの母は全く遍路には興味がなかった。でも小さいころ、遍路について母から聞かされていたように思う。
また40年以上前、台湾にある代理店の会長さんが会うたびに「お遍路の旅に出たい」と言っていた。戦前、彼を可愛がってくれた日本人上司が四国の人で、遍路の話をしてくれたからという。敬愛する上司と遍路が一体化していたのだろう。何冊かの遍路本を送ったら弾むような声の国際電話があった。彼は遍路に行けたのだろうか。

ともあれ、遍路の知識も弘法大師の知識も断片的ではあるが、ネットを見ているとジェットスターで東京―高松往復の格安チケットが見つかった。ずっと引き籠り、楽しみは貯金が増えること、という生活に飽きていた。高校の同級生が室戸の御厨人窟(みろくど)に行ったという話を思い出した。憚りながら時間と金はあるのだから弘法大師ゆかりの地に行ってみよう。

■予定表は万全
四国には2015年に行っている。高松に住んでいる弟夫婦を訪ね、ついでに土佐山田の先輩宅に泊まっている。退職後、土佐の物部川沿いでコメ作りを続けている先輩は80歳を越えているが元気なようだ。

スケジュールは以下の通り。
1日目、東京から高松へ、着いたら夜なので高松泊
2日目、高松から土佐山田へバスか電車で行き、先輩宅泊
3日目、土佐山田から室戸岬へ先輩の車でドライブ、御厨人窟、第24番霊場最御崎寺参        拝、阿波海南泊
4日目、阿波海南から桑野へ出て第21番札所、太龍寺参拝、阿南泊
5日目、徳島で、眉山のモラエス像、市内の記念館見学。高松で弟夫婦と会食、高松泊
6日目、高松から東京へ、

タイではスクータを走らせ、夕方に着いた街で宿探し、といった旅が普通だった。目的地はあるものの、疲れたところで1泊、気楽な旅だった。
それに引き換え、四国の旅は土佐を除いて公共交通機関に頼らざるを得ない。車社会であるからバスも電車も極端に本数が少ない。1本バスに乗り遅れると次のバスは2時間後、といったことはざらだ。昔は鉄道が走っていたが今はバス連絡、という場所もある。ジョルダンで時刻表を調べ、ホテルも予約した。近年にないバッチリスケジュールの旅だ。感染症の影響でダイヤが変わることもあります、という路線もあったが、いざとなったらタクシーで行けばいい。

沢木耕太郎によると旅のスタイルは初めにその人がどのような旅をしたかによって決定されるという。若い時分、ベッドの上で残金を数えるような旅行をしたせいか、つい、安さ優先になってしまう。タイにいる兄から「ケチケチするな、大名旅行をして来い」という声に励まされ、成田から高松、片道5,340円のジェットスターに乗り込んだ。