チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

香りの思い出

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靖国神社の梅、昨年12月撮影

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大宰府天満宮

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太宰府天満宮の梅

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映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」の一場面 

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パリの香水博物館

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シャネルの5番、15㎖、本体価格24,000円

 

香りの思い出

■匂い起こせよ
靖国神社の裏庭で1、2つ花開いた紅梅を見た。昨年12月のことだ。今は近所でも満開だ。梅は桜と違い香りがする。花を見なくても近くで梅の存在を感じる。東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花、だ。この和歌を聞くと反射的に、東風吹かば匂い起こせよレバニラ炒め、というパロディを思い出す。マンガで覚えたのだろうか。梅の花ならば「匂う」でいいがレバニラ炒めなら「臭う」のほうが適切かもしれない。ネット翻訳でみると英語ではsmell goodとsmell badの訳が出てくるだけで何とも味気ない。日本語では他にも「香る」、「薫る」も使われる。
朝の食卓に漂う香り、旅行けば駿河の道に茶の香りと、風薫る初夏、古代の文化薫る明日香村、この違いは日本人ならわかる。香り、薫り、あるいは匂いを文例に入れ替えてみると確かに違和感がある。
香道では嗅ぐことを「聞く」といい、「聞香」、「組香」という繊細な言葉もある。英語なら嗅ぐも聞くも「smell」「で済ませるところだろう。

■香水嫌い
有楽町シネマで「パリの調香師 しあわせの香りを探して」というフランス映画を観た。原題(Les parfums)の直訳は「香水」。アルパチーノ主演の「狼たちの午後」は「Dog Day」(盛夏)の誤訳だ。誤訳ではないにしても「調香師 しあわせ・・・・」はどうかと思った。映画は中年女性とハイヤー運転手の、仏映画には珍しく、全く色恋無しの佳作であった。

天才調香師のアンヌは、世界の名だたるトップブランドで数多くの香水を手掛けてきた。だが4年前、彼女はスランプと多忙がきっかけで嗅覚障害を患ってしまう。地位と名声を失いひっそりと暮らすアンヌだったが、ある日運転手として雇われたギヨームと出会い……。スランプにより嗅覚を失った女性調香師の苦悩と、再起をかけた挑戦を描く。
仏映画はヒロインが死ぬという救いのない結末が多いが、これはハッピーエンドに終わる。この映画で香水を創り出す工程を観た。いくつもの香料を混ぜ合わせ、匂いを確かめてはその組成をノートに記していく。かなり辛気臭い仕事である。

亡き母が鳩居堂の匂い袋に凝っていたことがあり、スーツの内ポケットに匂い袋を入れていたことがある。頂き物のオーデコロンを使っていたこともあるが、基本的に香水の類には興味がない。ないどころかエレベータで香水のキツい女性と乗り合わせるとイラつくことさえある。一流の寿司店では香水の女性お断りの店もあるし、香水の香りに惹かれて女性を好きになる人は少ないのではなかろうか。

■香水でない匂い
犬を見るとお互いクンクンと匂いを嗅ぎあっている。クオーラでは、男性、女性を問わず、相手の体臭に惹かれて交際が始まったという告白が出てくる。別れるときには好きだった体臭が消えているという。舟木一夫の高校3年生に「僕らフォークダンスの手を取れば、甘くにおうよ、黒髪が」とある。これは「臭う」ではなく、間違いなく「匂う」だ。

米国では登録した人に1週間ほどTシャツを着続けてもらう。それを送ってもらい、1,2センチの小片に切って、希望者に送付する。その小片をクンクンと嗅いで、この匂い、ステキ、となればマッチング成立というお見合い業がある。本当かなと思ったがかなりの実績があるらしい。人間も動物も同じいうことか。

香水を創るだけが調香師の仕事ではない。映画でもバッグ用のなめし皮の臭いや工場から出る排煙の悪臭を解決するという場面があった。
介護ロングステイの実際を知りたいという女性がチェンライの我が家に訪ねてきたことがある。彼女はこの家には介護家庭特有の臭いが全くありませんね、と言った。人間はオシメに始まってオシメに終わる、これがほんとのオシメーだ、これは漫談だが、介護は排泄物との闘いである。女中さんのお陰で母は亡くなるまで清潔に過ごしたが、一般家庭での介護ではそうもいきかねる。消臭剤の調合や花の香り演出も調香師の仕事である。香水、化粧品のみならず、食品にも調香師は活躍している。意外と日本は調香先進国とのこと。

ブリキ玩具や折箱の博物館があるのだから、香水博物館も、と思って調べてみたらあるある。パリの香水博物館は観光名所となっている。日本はVR技術に優れているのだから、マリリン・モンローがセクシーに迫ってくるVRを視聴するとシャネルの5番が香ってくる、そんな香水美術館がないものか。香水でなくても日光、雨上がりの杉林、お祭りの境内、その情景を見ながら森林や焼きそばの匂いが楽しめたら、と思う。

鰻をパタパタと焼く情景と共に匂いが嗅げたら・・・、匂いだけでも金を払う用意はある。

 

ミャンマーのクーデタ

 

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 バイクにスー・チーさんの写真

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ミャンマー、チェントンの市場 2020年1月

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同上、望遠で

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チェントン、ノントン池

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チェントンの名所、一本木

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外人はチェントンから先、陸路では行けない

 

 

ミャンマーのクーデタ

 ■自由に旅行できない国
タイはミャンマーラオスカンボジアと国境を接している。2009年にチェンライに移り住み、バスでラオスカンボジアを自由に旅した。しかし、ミャンマーだけはチェンライ県と国境を接するタチレク市内には入れるが、陸路でその先に行くことはできなかった。それどころかミャンマー国軍と少数民族との小競り合いがあって、国境が一時的に封鎖されることがあった。今回のクーデタでもメーサイ・タチレクの泰緬国境は封鎖されている。
アウン・サン・スー・チーさんが政権を握ってから、少し鎖国が解けて、陸路でヤンゴンまで、またタチレクからチャイントンへもバスで行けるようになった。でもまだ陸路では行けない地域がある。独立を目指す少数民族が跋扈していて治安上の問題があるからだ。

■クーデタの報道
バンコク時事】ミャンマー国軍系のミャワディ・テレビは1日、全土に非常事態宣言が発令され、国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握したと報じた。与党・国民民主連盟(NLD)筋によると、国軍はアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束。同筋は「国軍によるクーデターが発生した」と非難した。

 国軍はNLDが圧勝した昨年11月の総選挙後、初めてとなる国会が1日に招集されるのを前に、総選挙で不正があったと繰り返し抗議していた。ミャワディ・テレビによれば、選挙管理委員会が不正に対処しなかったとして、1年間の期限で非常事態宣言を発令。暫定大統領に指名された元国軍幹部のミン・スエ副大統領がミン・アウン・フライン総司令官に立法・行政・司法の全権を授けた。

 スー・チー氏は軍事政権下で民主化運動を率い、長年にわたって自宅軟禁生活を強いられた。2015年の前回総選挙でNLDが大勝し、事実上の国家指導者に就任。重要公約だった憲法改正少数民族武装勢力との和平を実現できず、昨年の総選挙は苦戦が予想されたものの、前回を上回る圧勝を果たし、続投を確実にしていた。
 国軍は1月31日、「総選挙で1050万件を超す不正があった可能性がある」と批判する声明を発表。「国軍は自由で公正な選挙、永続的な平和のため、可能なあらゆることを実行する」と警告していた。

■英国の手駒
欧米各国はすぐさまクーデタを非難し、アウン・サン・スー・チー擁護の声明を出した。彼女は中学生の時、偶然?にもニューデリーで旧ビルマ総督の英国人に出会い、彼に引き取られて30年間英国に住む。M16の関係者と言われる英国人男性との間に2人の子供がいる。

スー・チーの父親、アウンサンは英国によって謀殺された。インパール作戦の折、英印軍がビルマの村人を虐殺しながら敗走した事実を彼が国際社会に訴えようとしたからという。そのアウンサンの娘を洗脳して民主主義の旗手としてミャンマーに送り込んだ。欧米はサハロフ賞、レジオンドヌール勲章ノーベル賞、数々の名誉市民、名誉博士号を贈って彼女を持ち上げた。スー・チー女史はノーベル賞の賞金でロンドン郊外に豪邸を立てている。彼女はミャンマー人の顔をした英国人である。

ロヒンギャ問題で明確な政策を打ち出さないとして非難されていたが、ロヒンギャ問題を突き詰めれば英国の悪行をあばくことになるから彼女には何もできない。それが分かっていながらスー・チー非難に走っていて、今度は擁護する。英国は本当に性根が悪い。

白豪主義が根っこにある
ロヒンギャベンガル州からの移民である。英国がベンガル人ビルマに移住させた。これは英国やフランスが植民地でよくやる分割統治だ。言語、宗教、文化の異なる民族を同一地域に置き、紛争を常態化する。これにより宗主国たる白人への恨みを削ぐ。さらに英国はロヒンギャに軍事訓練をし、日本軍についたビルマ軍と戦わせた。CIAがラオスのモン族を訓練してベトコンやパテト・ラオと戦わせたことを思い出す。

ベトナム戦争終結後、モン族は共産勢力の返り討ちに会って、女子供もろとも虐殺の憂き目にあう。米国は責任を感じたのか、行き場を失った十数万のモン族に米国市民権を与えた。歴史を正しく認識するならば英国はロヒンギャ難民に英国籍を与えるべきと、自分は思う。でも民族紛争があって国内が混乱し、出来たらアジアには発展などしてほしくないという白人至上主義がある限り、それはムリだろう。

今回のクーデタは米国の選挙不正をあてこする中国が仕掛けたと言われている。中国も欧米も「国益」という同じ思惑で動いているだけでミャンマーの発展など全く考えてはいない。

興味は広がる

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六本木の新国立美術館

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昨年秋の日展

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展示作品

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写真撮影はOKとなっていた

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撮影の時、光の反射が少ない

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女性の絵ばかり撮った


興味は広がる

 

■戻れないこともないが
昨年の春は、例えば新しいトイレットペーパーをフォルダーにセットするときこれを使い切るまでにはタイに戻れるかなあ、などと思っていた。麺つゆのボトル、液体洗剤、石鹸などをはじめて使う時、これが無くなる頃は国際便が飛んでいるよなあ、と淡い期待を抱いていた。

映画館では予告編がある。近日上映、といった極大キャプションが画面に踊るが、それが3,4カ月先だったりする。上映前にタイに戻っちゃってるよ、など思っていたが、今はこの新作、鑑賞できるかも、と考えている自分がいる。させもが露をいのちにて、あはれ 今年の秋もいぬめり、秋どころか新年1月も過ぎてしまった。

高額の保険を付保し、駐日タイ大使館で証明書を発行してもらい、バンコクで政府指定のホテルに14日間滞在して武漢肺炎に感染していないことが確認されれば、チェンライに戻ることは可能である。但し、総額で30万円くらいの費用がかかる。払えない額ではないが、そこまでしてなあ、と思う。待つ人もいないし、テニスも楽しいことはわかるが、やらなければやらなくてもすむ。どうして週5回も6回もコートに出ていたのだろうと不思議に思う。そのうちできなくなる、体が動くうち、とムリをしていたのかなあ。

小林秀雄は59歳の時に「老人意識を持つべきだ。この年で若者のような振る舞い、考え方をしているようでは歳を取った値打ちがない」と述べている。彼は明治35年の生まれだ。彼が59歳の時、多くの企業の定年は55歳だった。昨今の定年は65歳、まあ70ならば老人意識を持って無理せず、気ままに暮らしてもいいのか、と感じる。チェンライに戻るもよし、東京でこのまま過ごすのも悪くない。値打ちがあるかどうかは別にして無為自然、やっと老人らしくなってきたようだ。

■随筆からネットへ
文芸家協会編のベストエッセイ集を読んでいる。収録された弔文で記憶にある人、ない人の逝去を知る。プロだから友人を悼む文章も人の心を打つ。そう感じるのも知人、友人の訃報をポツポツ聞くようになったからかもしれない。それで、悼まれる人ははどんな人だったのか、とすぐPCに向かう。

忌野清志郎の歌を聞いたのは彼の大ファンである角田光代さんの「忌野清志郎がいない」という随筆を読んだからだ。

「ロックは単に輸入品ではないということも、音楽は何かということも、日本語の自在さも、詩の豊饒さも、清志郎の音楽で知った。それから恋も恋を失うことも、怒ることも許すことも、愛することも、本当の意味を知る前に私は清志郎の歌で知った」(角田光代

ロックに興味はなかったので、奇妙なメイクの顔を何となく覚えているくらい。
清志郎の実母は彼が3歳の時に亡くなっており、伯母夫婦に育てられた。30代のとき叔母から実母の写真を渡されて、初めて見た母親に対し、
「わーい 僕のお母さんって こんなに可愛い顔してたんだぜ こんなに可愛い顔して 歩いたり 笑ったり 歌ったり してたんだね」と、子供のようにその嬉しさを綴っている。その写真をいつも持ち歩き、人に見せていた。メイク無しの顔は実母そっくりだった。
ユーチューブで清志郎のヒット曲、「デイ・ドリーム・ビリーバー」を初めて聞いた。その歌詞「そんで彼女はクイーン」には実母への思慕が込められている。

上記はたまたま手にした角田さんのエッセイやネットで知ったこと。読んでみて、聴いてみて「清志郎っていいやつじゃん」と思った。角田さんの小説も図書館で借りなければ、と思う。

■本からネット、広がる世界
チェンライでは兄と2人で食事をとっていた。30歳まで一緒に暮らしていたが60歳になって母の介護で再び同居、老人の話は繰り返しが多い。最近の政治、国際情勢の話は情報源が重なるから、それ、XXに書いてあったじゃん、で終わりになる。でも昔の映画やテレビ番組、社会人の経験談などは面白い。俳優、芸能人、芸術家などに話が及ぶと、すぐ「その人、まだ生きてたっけ?」となる。お互いタイの片田舎に逼塞する情弱老人、はてどっちかな。どちらからともなくネットで調べてみたら、で話が終わる。食事のあとPCに向かうのだが、人名検索のことなどすっかり忘れている。席を立つまで覚えていたのに冷蔵庫を開けた途端、何を取りに来たか忘れている、それと同じ。

その点、今は本の横にPCがある。いくらボケていても布団から起き上がるくらいの短時間なら検索すべきことを覚えている。随筆から小説、コミック、絵画、音楽、映画へと、ネットで寄り道、興味は広がる。本は図書館で借りられるし、映画館へも行ける。東京住まいも悪くはない。

忌野清志郎 - デイ・ドリーム・ビリーバー の歌詞 |Musixmatch

酒談義

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クラレット(ボルドーの赤ワイン)

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堀辰雄、30歳の頃

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ピュリニイ・モンラシェ

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グリュオ・ラローズ、

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吉田健一

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カルム・ド・リューセック、シャトー・リューセックのセカンドワイン




 
酒談義
 
■「文豪と酒」
中公文庫の一冊に「文豪と酒」がある。酒をめぐる珠玉の作品集、と副題がつ
いている。独り暮らしの無聊を慰めてくれ、と友人が送ってくれた本の中の一
冊である。漱石露伴、鴎外、荷風、谷崎等、十数人の文豪の短編集であって、
タイトルの頭には、ビール「うたかたの記」(鴎外)、ウィスキー「夜の車」
荷風)、老酒「馬上侯」(高見順)というように酒名がついている。気に入
っている酒のところから読み始められる。ジンであろうがアブサンであろうが
読む分には悪酔いも二日酔いもないのがいい。
 
最近はなんだかなーと思う他人のブログやニュース解説をネット上で読むことが
多いので、有名作家の文章を読むと、バカラの白ワイングラスに注がれたシャ
トー リューセックを啜っているような幸せを感じる。辛口で爽やかで引っ掛か
りが一つも感じられない。
 
例えば、堀辰雄クラレット「不器用な天使」の冒頭部分をご紹介したい。
因みにクラレットとはボルドー産の赤ワインのことである。
 
「カフエ・シヤノアルは客で一杯だ。硝子戸を押して中へ入っても僕は友人たち
をすぐ見つけることが出来ない。僕は少し立ち止っている。ジヤズが僕の感覚の
上に生まの肉を投げつける。その時、僕の眼に笑っている女の顔がうつる。僕は
それを見にくそうに見つめる。するとその女は白い手をあげる。その手の下に、
僕はやっと僕の友人たちを発見する。僕はその方に近よって行く。そしてその女
とすれちがう時、彼女と僕の二つの視線はぶつかり合わずに交錯する。」
 
漢字とひらがなを作為的に使い分けている。カフェではなくカフエと書くのも大
正時代を偲ばせる。20歳になったばかりの「僕」がカフエでクラレットを注文し、
「娘」と店の外で会う約束を取り付ける。結局、「僕」は「娘」に振られてしま
う。なんだそれだけ?と言われれば、確かにそれだけの話である。こういった小
説は単に筋を追うだけではなく、文章の流れや美しさ、技巧をも楽しむものだ。
ワインだってワインそのものの味もさることながら料理のバランス、会話など総
合的に判断すべき、といったことに似ている。
 
■「酒談義」
この本の巻末に中公文庫既刊より、という紹介ページあった。その中に吉田健一
の「酒談義」がある。吉田健一吉田茂元首相の長男として明治45年に生まれる。
昭和52年没、享年65歳。母は牧野伸顕の長女、牧野の父は元勲大久保利通だから
名門である。政治にはからきし興味がなく文芸評論家、随筆家として生きた。
外国暮らしが長く、頭の中では英語やフランス語でものを考えていたらしい。帰
国子女のハシリだから文壇でも日本語がおかしいと揶揄われていた。区立図書館
の蔵書、池澤夏樹個人編集、日本文学全集全30巻の20吉田健一に「酒談義」が収
録されていることがわかり、早速取り寄せてもらった。
 
「酒談義」は30ページ足らずの短い随筆である。進駐軍横流しのそのまま発火し
そうな怪しいジンからカストリ、カクテル、ブランデー、ウィスキー、シェリ
と、テレビの食レポならば「口一杯に広がる芳醇な香り、ああ、美味しいです」
で済ませる説明を数ページにわたって縦横無尽に語りつくす。ブルゴーニュとボ
ルドーのワインの違いについて説明した後にこのような文章が続く。
 
「しかし酒というのは勿論、味だけの問題ではないので、ブルゴォニュの白葡萄
酒を注いだ盃を口に持って行くと、ほら、唇(くちびる)を濡らしたよ、舌の上
に乗ったよ、喉を通っているよ、お腹に降りたよと、酒の味、匂い、厚さその他、
一切の機能をあげて知らせてくれて、なんだか生きていることが嬉しくなる。
もっとも、これはボルドォの白葡萄酒も入れて、いい酒の全部について言えるこ
となのだから、これでは説明にならない。ただ、いつも思うことは、ボルドォの
葡萄酒の上等なのはどこか、清水に日光が射している感じがして、ブルゴォニュ
のを飲むと、同じ日光が山腹を這う葡萄の葉に当たっている所が眼の前に浮ぶ」。
 
すっきりした味わいのボルドー、コクと艶のあるブルゴーニュの白ワインの特徴
の表現が秀逸だ。シャブリなら一人大瓶2本あればまあ堪能できると言っているか
ら、かなりの酒豪である。量を飲めば味が解る、という説明にも納得した。
 
紹介されているプイィ・フュイッセ、ピュリニイ・モンラシェ、グリュオ・ラロ
ーズ、ニュイ・サン・ジョルジュ等のワインは今、通販で手に入ることが分かっ
た。毎日は無理にしても誕生日、あるいは死に水として自分のような庶民にも充分
手に届く範囲だ。いい時代に生まれたものである。
 
 
 

日本に戻る理由

 

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銀座交差点 服部時計店

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有楽町方面

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鳩居堂

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松坂屋

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三越のライオンはずっとマスク

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東銀座へ、歩道が広い



日本に戻る理由

 

■やはり「医療と老後」
長らく海外に移住していたが日本に帰国することにした、という邦人は少なくない。その理由は主として健康問題だ。日本の医療保険制度は優れている。米国で盲腸の手術をすると200万円、虫歯を2本治療したら12万円だ。米国で破産する人の6割は高額な医療費が原因と言われている。会社勤めの場合、保険は会社がカバーしてくれるが、退職後は多額の保険料は自己負担となる。これはきつい。

医療水準も問題だ。チェンライの病院でもまあ手術を受けることが出来るが、大手術となれば名医の数は限られるし、手術待ちの時間も長い。自分の場合、左足首の骨折、冠動脈のステント挿入手術でお世話になったが運よく経過はいい。でも日本だったら命を取り留めたんじゃないかなあ、という友人は何人かいる。体の具合が心配ので日本に戻ります、これは賢明な選択だ。

身の回りのことが出来なくなれば、特養ホームに入るという選択がある。チェンライでもマコーミック病院併設の老人施設がある。外人用とはいえ和食が提供されるわけではない。ミートローフを口に運んでもらいながら「コップクンカップ」、ボケるまで外国語ではつらい。「うまいもんが食いてえだよー」と日本語で呟き、お粥と梅干で衰弱していく方が何倍も仕合せだとおもう。

■他にもいろいろ
発展途上国では病気ばかりでなく、盗まれる、殴られる、殺されると治安の悪い国がある。親友が相次いで2人射殺されたので、日本に帰国することにしました、という人がいた。安心、安全において、日本に勝てる国はない。

昨夏、空が暗くなって雷が鳴った、あ、停電するかな、と一瞬、緊張したが、ここは日本だ、と頬が緩んだ。チェンライでは雷イコール停電だ。停電ばかりでなく突然の断水も時々ある。日本のほうが断然いい、という理由はありすぎて書ききれないくらい。

その中で、自分が、ああ、日本にいるんだな、と嬉しくなる瞬間は、人が車内や食堂で話していて、それが100%わかるときである。タイの食堂やスーパーで聞こえてくる会話など始めから諦めている。

エッセイ集を読むことが多い。以下は沢木耕太郎の「スランプってさあ、と少年は言った」から。

ゆるーい部活動をやっているような仲良し3人組がランニングをしていた。彼らとすれ違うとき、一人がこんなことを言っているのが聞こえてきた。「スランプってさあ、あれは次に成長するための心の準備期間なんだって」すると一緒に走っていた別の少年が明るい声で応じた。「そうか、救われるなあ」。そのやり取りを耳にして、私は思わず笑いそうになってしまった。果たして彼らにとっての「スランプ」とはどのような種類のものなのだろう。

文章は、読むことにおけるスランプから映画、米人作家の小説へと展開していく。6ページにわたる文章は『「スランプってさあ、あれは次に成長するための心の準備期間なんだって」というのはなかなか悪くない台詞のように思える。もしそうなら私の「読むことにおけるスランプ」も、いつか解消することになるかもしれないという希望が持てるからだ。』で終わる。

■盗み聞きではないけれど
映画館の休憩時間に靖国通りに面した中華料理店に入った。2階席には若者数人が卓を囲んでいた。近くのH大学の学生だろうか。AI授業で久しぶりに会ったせいか、会話がぎこちない。

女子高だったんだって? はい、とおとなしそうな女の子が答えている。その女子高の通学路には学生服を着たオジサンが立っていたという。思わず聞き耳を立てた。退校時に機動隊の人が見守るようになってからオジサンは消えたとか、警察も大変だ。でも困るのは文化祭の時なんです。誰でもはいれちゃうから。毎年、茶道部に現れて、2千円札で支払いをするオジサンがいた。なんで2千円札なの? さあ。もしかしたら沖縄県の観光課の人じゃない?、つまらぬギャグだが場に合わせようとみんなが力なく笑う。でも女子高の文化祭にオジサンひとりで現れます? 女の子の一言にまた黙り込む。

なかなか含蓄に富んだ話である。沢木さんなら、この問いに3ページ以上に亘って回答と解説を書き連ねるのだろうが、特にグループから「ご意見は?」などと聞かれなかったし、次の映画の上映時間も迫っていたので、麻婆ライスをそそくさと掻き込んで店を出た。

会話が聞き取れたばかりに、変なオジサンの心境はどういったものだろう、などと暫し、考える時間を得た。これも日本に戻っていればこそ、の話だろう。

(なお、知り合いのオジサンの話では最近の女子高の文化祭には入場券が必要とのことです)

夜明けは近い

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昨年1月にチェンライで行われた国際自転車競技

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ダートコース

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バンクで自転車が跳ね上がる

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カーブは猛スピードで

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優勝は日本選手

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日の丸が2本


夜明けは近い

 

■大統領選
ここ3カ月でアメリカ大統領選挙について書いた原稿は11月16日にアップした「米国大統領選に思う」の1本のみ。自分が選挙の行く末を気にしたところで仕方ない、などと書いたうえで、
「それにバイデン氏が大統領になったところでこの世の終わりが来るわけでもない。世の終わりとは、タイ人が勤勉に働き始め、韓国人が約束を守り、中国人が嘘をつかなくなる、そういった事態がおこった時に初めて出来することであって、自分が生きているうちに世の終わりが来る心配はなさそうだ」と続けている。

ディープ・ステートとトランプ氏の戦いに興味がなかったのか、というと全く逆で、アメリカの大手メディア、その受け売りをするマスコミとSNSで拡散される裏メディアの報道を見比べて、毎日大興奮、一時はトランプ氏の逆転大勝利を信じていた。でもある時からこれは時代劇のように最後は正義が勝つ、というほど単純な問題じゃないなと気づいた。いや、まだ最終結末を迎えたわけではない、トランプ氏は新党を結成して逆襲に転じるという人もいるが、自分としては熱が冷めたという感じ。

人の持ちうる関心の総量には限界がある。冷蔵庫の餅を食わんとカビるかな、自分の関心はこんな方向に向かっている。

■よく抑え込んでいる
大統領選挙と同様に武漢肺炎に対する関心も自分の中では薄れてきた。感染者が〇曜としては最大、1日の死亡者が最大、重症者はこれまでの最大、と武漢肺炎の数字から最大を見つけて報道する。「最大」の同じ刺激に自分の脳が反応しなくなっている。日本の2017年、18年のインフルエンザ感染者数は2千万人を越えており、2019年におけるインフルでの死者は3571人だ。武漢肺炎は風邪の一種と言ってもいいのではないか。

陽性者数が1日に5千人だからなんだ、死ぬのも団塊世代以上が大部分、年を取れば死ぬのは当たり前だ、などといっても誰も聞いてくれない。
菅政権の対策は後手、後手に回ってけしからん、というが、早くやったら、早すぎた、と非難されただろう。誰もどうすればいいかわからないのに批判だけはする。GO toで感染が拡大したという証拠はないし、午後10時ではなく8時閉店にすれば終息方向に行くかどうかわからない。休日に繁華街に出る人が前回の緊急事態宣言時の7倍になっているというが重傷者や死者も7倍になっているのか。どうもわからないことだらけだ。

ただ、はっきり言えることがある。世界の先進国の中で武漢肺炎による死者数が日本は格段に少ないことである。米国の42万7千人は別格としても、英国9万5千人、フランス7万3千人、ドイツ5万2千人、イタリア8万5千人、スペイン5万5千人に比べ、日本の武漢肺炎による死者は4,935人と桁違いに少ない(2021.01.24現在)。菅政権は胸を張って、日本の武漢肺炎対策はうまくいっているのであります、といってもいいのではないか。それでも野党やマスコミは「抜本的な効果ある対策に乏しい」と批判する。けれど自分ではその「抜本的な効果ある対策」を全く提示しない。卑怯である。

■三密を避けるアイデア
交通機関、映画館、スーパーの中ではすべての人がマスクをつけている。どの店にも入り口に手指消毒用のアルコール瓶がある。本屋、薬屋、ダイソー、スーパー、店に入るたびに消毒する。手から立ち上る香りはタイ焼酎、ラオカオを思い出させる。もし掌からアルコールが吸収されたら、はしご酒でフラフラになる。ラーメン店のアルコールは薄くて酔えねーじゃねーか、寿司屋の消毒液はよく効くなあ・・・・。

皆の三密回避、消毒、手洗い、清潔が感染を食いとめている、これも真実だろう。相撲では力士は柄杓の力水に形だけ口を近づけるだけだった。また、弓取り式の後、お楽しみ抽選会があった。正面、東側、西側、向こう正面の4つに分け、まず正面の桟敷、椅子席の番号を読み上げる。当たると相撲カレンダー、館内で使える3千円の商品券などがもらえる。館内は5千人、抽選前に席を立つ人もいるから4千の4分の1、千人のうちから10人くらい当たる。確率は1%、都の武漢肺炎陽性者の数を1300人とすると都民の陽性確率は1300万分の1300、0.0001、相撲の商品券のほうが1万倍、当たる確率が高い。
琴奨菊など人気親方が当り札を選ぶので、皆待っている。要するに密を避けるため、4回に分けて客を出口に誘導するというわけ。相撲協会にも智慧者はいるなあ。

日本国民は頑張っている。これから暖かくなっていくし、ワクチン接種も始まる。止まない雨はない、明けない夜はない。日本の夜明けは近い、デラシネとしてはそう信じたいところである。

 

食べながら楽しむ

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都営地下鉄両国駅付近

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AIによる復元板絵

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ポーランド人画家による

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初日協会挨拶

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初日取組から

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誰だっけ?



食べながら楽しむ

 

■のんびりと
ソファに寝転がって、あるいは布団に包まって相撲観戦をする。取り組みの間にお茶を飲んだり、お勝手に行って缶ビール取ってくる。菓子盆からイカ燻の袋を取って破く。袋が手ごわいので、歯で喰いちぎる。入れ歯だったらこんなことできないよ、と満足しながら、早めの一杯、あれ、1番、取組みが終わってしまったよー。ま、お目当ての相撲はこれからだ、慌てる必要はない。

のんびりと観戦できるスポーツは相撲をおいて他にはないような気がする。サッカーやラグビーだといつ攻守が逆転するかわからない。ぼんやりしていたらゴールやタッチダウンの決定的瞬間を見逃してしまう。

国技館の入場時間は13時からであるが、朝から夕方までだらだらと繰り広げられるスポーツは相撲くらいだ。今場所の初日、友人の好意で国技館へ相撲観戦に行った。桟敷に座った時、幕下上位の取り組みが始まっていたが、相撲好きが集まる館内は独特ののんびりとした雰囲気がある。

10年ほど前に亡くなった俳優、小沢昭一がこういっている。「昔の寄席にはとろんとした空気がありました。今、そんな空気が残っているのは相撲くらいのものじゃないですか」。

■場内飲食禁止
昔は芝居も寄席も相撲も朝から入れ替えなし、観客は弁当や酒を持ち込んで、1日を家族や仲間と楽しんだらしい。今、感染症のせいで国技館での飲食は禁止となっているが、以前はお茶屋さんから桟敷へ焼鳥や酒、ビールが次から次へ運ばれてきた。

独文学者で高橋義孝という先生がいた。横綱審議会の委員長を務めている。彼の言う最高にうまい酒とは「ご招待の桟敷で飲む酒だ」と書き残している。桟敷席の飲食代はすべて招待側の負担、懐の心配なしに好きな相撲を観戦できるのだから、酒の味も一段とうまく感じるに違いない。

寄席もつい最近まで客席での飲食は自由だった。弁当、酒の持ち込みは勿論、幕間には2つ目が籠を持って「えー、おせんにキャラメル、」などと売り歩いていたらしい。酔って、落語の途中に睡魔に誘われてしまう。そして夢見心地で語りが耳に入ってきてまた目が覚める。これを幸せな瞬間と言わずして何を幸せというか、と書いている人もいた。
今は椅子席であるが、昔は高座から見て両端が桟敷、観客席は座布団だけの平場だった。今のように開演から満席なることは少なくて、午前中、修行の足りない二つ目が噺を始めると、くるりと高座に背中を向ける老人がいる。落語家は、何とかその爺さんにこちらを振り向かせようと躍起になったという。

歌舞伎座では昨年8月から劇場内での飲食が禁止になった。それまではデパ地下で買ってきたお弁当を幕間に座席やロビーで食べることができた。今は劇場内の一部の食堂以外では食事できない。でも入場券の半券を持っていれば幕間に劇場外に出て飲食できるようだ。

自分の行く2本立て映画館では飲食が自由で、座席でホカ弁を搔き込む老人を見かけたものだが今は禁止。30分の幕間に一時外出カードを受け取って食事をする。日比谷シャンテなどの封切り館では上映中の飲食は原則禁止だが、場内販売のポップコーン、コーラ等は許されている。

■テレビ中継との違い
館内で見る相撲はテレビと違って再生がない。そのまま淡々と相撲が流れていく。テレビに「分解写真」が登場し、一番を振り返るようになってから相撲観戦は変質したと思う。呼び出しの朗々たる声、力士が土俵上へ上がってくる、行司の仕切り、次第に緊張が高まって制限一杯、待ったなし、となる。この一連の盛り上がりがテレビの相撲観戦ではブツブツと切れるのだ。

土俵上の行司の動きだけを注視していた。相撲が神事と言われる所以もこの無駄な動きのない行司の所作にあることがわかる。力士が動であれば行司は静、英語で力士はスモウレスラー、行司はレフェリーというのかもしれないが、英訳したとたんに1500年の歴史を持つ相撲が汚される気がする。
懸賞旗を持って呼び出しが土俵を一周するが、NHKは企業名を映すまいとカメラをスーッと引いてしまう。「お茶漬けの永谷園清酒大関、ラーメンひとすじ万珍軒、」といったテレビでは聞けない懸賞読み上げが館内に流れる。これも相撲の一部だ。

相撲の桟敷席から煙草盆が外され、館内禁煙となったのは平成25年だそうだ。いろいろ批判のあるお茶屋制度も300年以上の伝統がある。桟敷席の差配をほぼ独占と言っても、これでずっとやってきたんですから、だ。

国技館でも寄席でも劇場でも、早く飲食しながら楽しめるようになって欲しい、それが何百年も続く伝統なのだし。