チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

興味は広がる

f:id:hidenaka24:20210202123115j:plain

六本木の新国立美術館

f:id:hidenaka24:20210202123136j:plain

昨年秋の日展

f:id:hidenaka24:20210202123159j:plain

展示作品

f:id:hidenaka24:20210202123217j:plain

写真撮影はOKとなっていた

f:id:hidenaka24:20210202123237j:plain

撮影の時、光の反射が少ない

f:id:hidenaka24:20210202123259j:plain

女性の絵ばかり撮った


興味は広がる

 

■戻れないこともないが
昨年の春は、例えば新しいトイレットペーパーをフォルダーにセットするときこれを使い切るまでにはタイに戻れるかなあ、などと思っていた。麺つゆのボトル、液体洗剤、石鹸などをはじめて使う時、これが無くなる頃は国際便が飛んでいるよなあ、と淡い期待を抱いていた。

映画館では予告編がある。近日上映、といった極大キャプションが画面に踊るが、それが3,4カ月先だったりする。上映前にタイに戻っちゃってるよ、など思っていたが、今はこの新作、鑑賞できるかも、と考えている自分がいる。させもが露をいのちにて、あはれ 今年の秋もいぬめり、秋どころか新年1月も過ぎてしまった。

高額の保険を付保し、駐日タイ大使館で証明書を発行してもらい、バンコクで政府指定のホテルに14日間滞在して武漢肺炎に感染していないことが確認されれば、チェンライに戻ることは可能である。但し、総額で30万円くらいの費用がかかる。払えない額ではないが、そこまでしてなあ、と思う。待つ人もいないし、テニスも楽しいことはわかるが、やらなければやらなくてもすむ。どうして週5回も6回もコートに出ていたのだろうと不思議に思う。そのうちできなくなる、体が動くうち、とムリをしていたのかなあ。

小林秀雄は59歳の時に「老人意識を持つべきだ。この年で若者のような振る舞い、考え方をしているようでは歳を取った値打ちがない」と述べている。彼は明治35年の生まれだ。彼が59歳の時、多くの企業の定年は55歳だった。昨今の定年は65歳、まあ70ならば老人意識を持って無理せず、気ままに暮らしてもいいのか、と感じる。チェンライに戻るもよし、東京でこのまま過ごすのも悪くない。値打ちがあるかどうかは別にして無為自然、やっと老人らしくなってきたようだ。

■随筆からネットへ
文芸家協会編のベストエッセイ集を読んでいる。収録された弔文で記憶にある人、ない人の逝去を知る。プロだから友人を悼む文章も人の心を打つ。そう感じるのも知人、友人の訃報をポツポツ聞くようになったからかもしれない。それで、悼まれる人ははどんな人だったのか、とすぐPCに向かう。

忌野清志郎の歌を聞いたのは彼の大ファンである角田光代さんの「忌野清志郎がいない」という随筆を読んだからだ。

「ロックは単に輸入品ではないということも、音楽は何かということも、日本語の自在さも、詩の豊饒さも、清志郎の音楽で知った。それから恋も恋を失うことも、怒ることも許すことも、愛することも、本当の意味を知る前に私は清志郎の歌で知った」(角田光代

ロックに興味はなかったので、奇妙なメイクの顔を何となく覚えているくらい。
清志郎の実母は彼が3歳の時に亡くなっており、伯母夫婦に育てられた。30代のとき叔母から実母の写真を渡されて、初めて見た母親に対し、
「わーい 僕のお母さんって こんなに可愛い顔してたんだぜ こんなに可愛い顔して 歩いたり 笑ったり 歌ったり してたんだね」と、子供のようにその嬉しさを綴っている。その写真をいつも持ち歩き、人に見せていた。メイク無しの顔は実母そっくりだった。
ユーチューブで清志郎のヒット曲、「デイ・ドリーム・ビリーバー」を初めて聞いた。その歌詞「そんで彼女はクイーン」には実母への思慕が込められている。

上記はたまたま手にした角田さんのエッセイやネットで知ったこと。読んでみて、聴いてみて「清志郎っていいやつじゃん」と思った。角田さんの小説も図書館で借りなければ、と思う。

■本からネット、広がる世界
チェンライでは兄と2人で食事をとっていた。30歳まで一緒に暮らしていたが60歳になって母の介護で再び同居、老人の話は繰り返しが多い。最近の政治、国際情勢の話は情報源が重なるから、それ、XXに書いてあったじゃん、で終わりになる。でも昔の映画やテレビ番組、社会人の経験談などは面白い。俳優、芸能人、芸術家などに話が及ぶと、すぐ「その人、まだ生きてたっけ?」となる。お互いタイの片田舎に逼塞する情弱老人、はてどっちかな。どちらからともなくネットで調べてみたら、で話が終わる。食事のあとPCに向かうのだが、人名検索のことなどすっかり忘れている。席を立つまで覚えていたのに冷蔵庫を開けた途端、何を取りに来たか忘れている、それと同じ。

その点、今は本の横にPCがある。いくらボケていても布団から起き上がるくらいの短時間なら検索すべきことを覚えている。随筆から小説、コミック、絵画、音楽、映画へと、ネットで寄り道、興味は広がる。本は図書館で借りられるし、映画館へも行ける。東京住まいも悪くはない。

忌野清志郎 - デイ・ドリーム・ビリーバー の歌詞 |Musixmatch