チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

台湾で一番有名な日本人

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故宮博物院5大宝物の一つ、彫象牙透花雲龍紋套球

 

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ズズちゃん

 

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ズズちゃんとマナちゃん

 

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士林夜市、人出がなかった

 

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士林の地下美食街、人がいない

 

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誰もいない故宮博物院、これでも開館時間内


 

台湾で一番有名な日本人

 

■ユーチューバー三原
最近、サンエン台湾というユーチューブをよく見るようになった。サンエンこと元フジテレビ社員三原慧悟が始めた。約15分の長さでほぼ毎日更新されている。登録者数130万人、総再生回数約4億、今や台湾で一番有名な日本人は三原慧悟という。
サンエン台湾の意味を彼は、昨年こう述べている。

サンエン台湾を設立したのは「日本の人に台湾を知ってもらおう」というのが一番の理由です。僕が日台友好を掲げて活動してきた中で、「親日である台湾に対し、日本人が台湾にあまり興味を持てていない」という部分を解消したく、「日→台」のベクトルで活動できるチャンネルを作りました。
という事で、この1年間はいわゆる「お役立ち」という内容を中心に観光情報やお得情報を中心に動画を作ってきた訳です。「台湾」に興味がある人に動画を見てもらいたいという理由です。

しかし、1年が経ちある程度動画も撮ってきた中で更にこの「お役立ち」を突き詰めると、相当ニッチなものにフォーカスせねばならず「そもそもこれ誰かの役に立つの?」という動画になってしまいます。それはそれで「日→台」を目指す身としては、少し物足りなさを感じでしまうのです。

僕が台湾で活動をしていて本当に嬉しかったのは「三原の動画が好きだから、日本語を勉強し始めました」って言われた時です。それまでは「日本が好きだから、三原の動画を見ている」と言っていたのですが、それが変わった。「日本に寄りかかる」側から、「日本に貢献する」側に変われたかなと思った瞬間でした。

サンエン台湾もまさに今その時期を迎えていると思っていて「台湾が好きだからサンエン台湾を見る」という方だけではなく、「サンエン台湾が好きだから、台湾に行きたい!」と思ってもらえるようなチャンネルに変わっていくことが僕の願いです。僕的にはそれこそが、「世界を変える」なんです。

■評価されている活動
日台友好の志が高い。これは誰もが認めるところであって、昨年、中国語で日台のグルメや文化をコミカルに発信する「三原JAPAN」では、蔡英文総統とのコラボ動画を配信している。サンエンたちが昼食をご馳走になり、総統から料理に取り分けてもらって恐縮している様子がほほえましい。https://www.youtube.com/watch?v=rX3WXL89Hys&list=RDCMUCQimp8PIBqQSDHXtPg7_g9Q&index=1

また、日本台湾交流協会台北事務所(実質的な駐台湾日本大使館)泉裕泰代表とのユーチューブを製作した。泉代表は「私もねー、ズズちゃんの『台湾で役立つ5つのフレーズ』を見て勉強したんですよー」などと台湾人のズズちゃんを喜ばせていた。
サンエンは現在7人のグループである。古株であるズズちゃんと日本女性、マナちゃんの掛け合いによる動画が面白い。いくつかテーマを上げておきたい。

台湾で騙されないための、5つの方法。
台湾人感激!日本のスーパーでお土産爆買いしてみた。
日本好き台湾女子の、日本で受けた5つのカルチャーショック。
日本人が台湾旅行で絶対に注意すべき5つの事

ズズちゃんは毒舌のズズと言われるくらいはっきりものをいう。マナちゃんは日本人だから感情をあまり表にあらわさないし、言葉遣いも優しい。コンビを組んで変わったことというと、ズズちゃんは怒らなくなった、遠回しに言うようになった、マナちゃんは逆にはっきり言いたいことを言うようになったという。お互い、影響を受けあったということか。

■台湾人に生まれた幸せ
李登輝元総統が司馬遼太郎氏との対談で「台湾人に生まれた悲哀」と語ったのは1994年のことだった。当時、李登輝氏は台湾総統ではあったが、台湾は外省人の国民党に支配されていた。多くの日本人は外省人も日本統治を経験した本省人も同じと思っているかもしれない。でも李登輝総統の出現以前はそうではなかった。例えば台湾大学の入学定員の半数は外省人と決められていた。外省人は台湾の人口の1割強である。東京都民は日本の人口の1割強であるが、東大、京大、東北大始め、全国の大学の入学定員の半分は東京都民に割り当てられていたら、地方人の憤懣はいかばかりであろう。大学ばかりでなく公務員定員の半数も外省人と決められていた。あらゆるところで「差別」があった。
その差別を一つずつ消していった人こそ李登輝氏である。ズズちゃんが育った頃には本省人外省人の差別は殆どなくなっていた。屈託のないズズちゃんから「台湾人に生まれた幸せ」が感じられる。サンエングループのライブに集まった数万の観客にもそれを感じた。

日台の友好が更に深まり、日台国交回復、そして日台安保条約締結の日が来ることを期待している。

 

ズズ https://www.youtube.com/watch?v=Mg1ePeluw44

マナ サンエンも出ています。https://www.youtube.com/watch?v=afh8rWNd2dE

 

 

米中、日欧の違い

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靖国神社

 

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神門

 

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神門から拝殿を臨む

 

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大村益次郎

 

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石灯籠

 

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九段下駅近くの鳥居

 

 


米中、日欧の違い

 

■中国の宣伝
中国の国家主席はえらいものだ。今年の3月に武漢肺炎は収束せよ、と命令を出したらウィルスがその命令通りに活動を止めた。感染者も死者も殆どゼロとなった。

ジョンズ・ホプキンス大学のデータによると、中国における武漢肺炎の感染者は4月末で82,858人、死者は4,633人である。9月下旬になると感染者数は85,322人、死者数は4,634人と1人増えただけ。同時期、アメリカは感染者が100万人から730万人に、死者も6万人から約21万人に増えている。日本も4月から9月にかけての感染者は1万4千人から8万人に、死者は394人から1,500人に増加している。中国は武漢肺炎を抑え込んで、世界の工場として経済も回復し、世界各国に医療物資の援助を行っている。

米国はウィルス対策に失敗し、死者が拡大、経済は停滞、更にデモが頻発し、放火、略奪、銃撃戦が当たり前になっている。「ニューヨークやシアトルに比べて、我々の生活は安全だ。我々国民を守ってくれるのは習近平主席以外にない」。今や習近平国家主席は中国を救った英雄、のみならず世界の救世主だと中国人は信じている。世界は民主主義ではない国が大半だ。金や女、脅しに屈して大国の言いなりになる為政者が多い。だから国連では多数決で中国の意見が支持される。

それでも医療物資の援助に対し、習主席への感謝状を書けと要求したり、マスクを供給してやる代わりにファーウェイの5Gを導入しろと上から目線で迫る中国に反感を持つ欧州の国が増えている。反中というより、やはり中国は異質だということに気が付いたということであろうか。

■米中共通の歴史
香港の人権弾圧、チベット・ウィグル問題で米国は中国を激しく非難している。でも中国は言う。黒人奴隷に人権はあったのか、インディアンを殺しまくったではないか、血塗られた歴史の国が中国の国内問題に口出しするな。

BLM運動では奴隷制度があった時代の大統領や南軍の将軍の銅像が引き倒されている。ピラミッドは奴隷に作らせたものだから破壊しようという。過去を全否定するという意味では共産革命もBLM運動も似たところがある。実は歴史的にも米中には共通点がある。これは渡部昇一先生の本で教えられた。以下、先生の受け売り。

「米国には中世がなかった」。これは米国の歴史家、セシル・チェスタートンが第一次世界大戦に参加した後、書いた「アメリカ史」に出てくる言葉という。米国に移民したのは「中世は悪いものだ、暗黒時代だ」と決めつけるピューリタンだったから過去を全然見ない。それによって何を失ったかというと、中世千年の間の智慧と知識、それがすっぽりと抜け落ちた。中世は悪いものだとしているので、手本はギリシャ、ローマとなる。だから建物もゴシック建築はなく、ギリシャ、ローマ風となる。

また中世がないもう一つの特徴は、騎士道がないことである。騎士道では対等、平等に戦う、勝ち負けはあっても善悪はない。ところが米国にはその伝統がないから自分勝手にふるまう時、邪魔となる存在は悪であり、敵となる。インディアンが邪魔になればインディアンを殺す、日本人が歯向かえば日本人を殺す、それだけの話だった。日露戦争でも第一次世界大戦でも戦争犯罪人として裁かれた人はいない。ところが第二次世界大戦ではアメリカ主導で敵を裁いた。

■日欧の共通点
日本には武士道、ヨーロッパには騎士道があって、戦いがあっても終わればそれまで、殺したほうが正義で、殺されたほうが悪だったということはない。戦時国際法はヨーロッパで生まれた取り決めで、敗戦国を戦勝国が事後法で裁いていいとは書かれていない。

日本とヨーロッパの共通点は封建制度の歴史を持つことだ。封建制度の下では村落共同体とかギルドとか諸侯と家来の結びつきといった小集団が機能する。そこでは伝統、文化、慣習が育まれる。共通意識が育まれれば無茶なことはしない。今の常識で過去を消し去ろうなどとは思わない。日本人が「封建時代はよくなかった」といって徳川家の子孫を殺したり、日光東照宮、上野寛永寺、芝の増上寺を焼き払う暴挙に出たこともなければ出ることも考えられない。

封建制度の歴史を持たない米中は時として過去を全否定し、正義の名のもと敵を抹殺する。砂をかむような個人主義、「今だけ、金だけ、自分だけ」は米中共通。ところが一旦、ことあらば星条旗五星紅旗のもとに集まる全体主義(BLMもひとつの全体主義)。言いたくはないが両国とも民度の低い国だ。

米中が徹底的にやりあった最終段階で、多少、民度の高い日欧がその仲裁に乗り出す可能性はあると思うのだが、米中対決どうなることか。

 

 

台湾の温泉

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日本統治時代の関子嶺温泉

 

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1905年創業の温泉ホテル

 

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このあたりにスパランドがあるらしい

 

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ホテルの内湯 かなり大きい

 

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湯量は多い

 

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公共浴場の記念碑

 

 

台湾の温泉

 

■関子嶺温泉
台湾は温泉大国である。その数は100を優に超える。湯けむり台湾紀行とかバイクで廻った台湾温泉50といった書籍やネット記事もある。台北から日帰りで楽しめる温泉には北投温泉、泰安温泉 、烏来温泉があって、温泉は台湾庶民に親しまれる文化となっている。日本からの観光客にとってグルメ、夜市、故宮博物院見学と並んで台湾の「温泉」はこれから注目されていくだろう。


台湾には、十数回出張したが、仕事だったから台湾の温泉に浸かったことはない。それに40年以上前は北投温泉というと、農協ツアーのオジサンが大挙して押し寄せるいくらか不健康なイメージがあった。今は家族連れで楽しめるリゾートとなっているが。
台湾の温泉が開発されたのは1895年に台湾が清国から日本に割譲されてからのことで、各地の温泉には大正、昭和の趣を残した和風旅館が数多く存在する。
台南の関子嶺温泉は、北投、陽明山、四重渓と並んで、台湾の四大名湯の一つに数えられる。関子嶺は文字通り、山であってここに日本軍の要塞が造られた。その時に兵隊さんが温泉を発見、温泉地として開発されたのは1900年前後らしい。

昨年10月に金門島に行くついでに台南に立ち寄ったが温泉には行けなかった。2月に兄と故宮南院を訪問したので、それを機会に台南の関子嶺で温泉に浸かることにした。
故宮南院でタクシーを呼んでもらって関子嶺温泉のホテル名を告げる。近いと思っていたが、車は高速道路をひたすら走り続け、更につづら折りの山道を登り始めた。日本ではありえない勾配と角度だ。約1時間、外は薄暮が迫っていた。

鄙びた温泉町
値段と朝食付きにつられてネット予約した中級ホテル、国道に面しており、裏に1905年創業の関子嶺温泉大旅社があったので泉質はいいのだろう。ここの温泉は別府や秋田の泥湯温泉と同じく湯に土が混じった泥湯である。泉質は、アルカリ性炭酸泉、硫黄成分を多く含み、灰色。湯温は75度と高め。オープンのスパランドがあると聞いていたので外に出てみる。温泉街ではあるが閑散としている。武漢肺炎の影響だ。ホテルや旅館の前には従業員が立っていてお泊りですか、などと聞いてくる。半纏を着て旗を持っていれば昭和30年代の熱海か伊東と変わらない。鄙びた、素朴な印象の温泉街だ。ネット情報通り英語も日本語も全く通じない。

大浴場はあきらめてホテルに戻り、室内の内湯にお湯を張る。浴槽は日本の銭湯と変わらないほどの大きさがある。バルブを捻ると粘土色の湯が勢いよく流れだした。これならば満水になるにも時間がかからない。泥水と聞くとバッチイように思われるかもしれないが、この湯はさらさらしていて泥特有の芳香があった。兄はこの香りが気に入って泥湯に浸かった後も泥成分をシャワーで流すことはしなかったという。浴槽に浸かっている間に底に泥が沈殿してくる。実はこの泥を掬って顔に泥パックする、が関子嶺温泉のお約束事だそうだ。顔の角質が取れて、肌がつるつるになるという。でも兄弟揃って頭はともかく、今更お肌がつるつるになってもねえという年代である。

■一泊だけ
ホテルにはレストランはないし、朝食はどうなるのだろう、と思っていたが、朝7時過ぎにドアがノックされ、僅かに開いた隙間から袋入りのマックハンバーガーが差し入れられた。感染防止のため接触を極力抑える、というより、ホテル代を極力抑えた結果だと思われる。

嘉義駅行きのバスが出るまで時間があったので、温泉街を歩いてみた。前日探してもわからなかった日帰り露天大浴場はホテルの向かい側、10mほど坂を下ったところにあった。もし入っていたら貸し切り状態だったと思う。戦前、関子嶺温泉は台湾で最高級の温泉とされ、台湾総督を始め高級官吏の接待の場として使われたという。皇族である伏見宮様も滞在された由緒ある温泉であるが、決して日本人租界であったわけではない。
「台湾人に入浴の風習を身に着け個人衛生観念を養成する」という台湾総督府の方針にもとづき、1913年11月に台湾人も入れる公衆浴場が造られている。ホテルから数m離れた駐車場のわきに台南市政府が建立した「公共浴場遺址」と刻まれた大きな石碑があった。

台湾人の温泉好きには歴史的に日本人が深く関わっていた、とわかるエピソードだ。
前日、夕方に故宮南院から関子嶺に到着し、夕食を挟んで2回、朝1回と3度、温泉を楽しんだが、この日の午前中に嘉義経由、台南に出立した。折角の名湯、あと2泊ほど逗留すればよかった、と後悔している。

 

 

台湾旅行の続き

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翆玉白菜、P900で撮影

 

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ガンダーラ仏頭

 

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江戸時代の楽焼

 

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VR鑑賞中

 

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モナ・リザ

 

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モディリアニの少女像

 

 

台湾旅行の続き

 

■台南地方
今年2月に兄と友人のIさんと3人で台湾を旅した。台北でIさんと別れ、我々兄弟は嘉義にある故宮南院を訪れた後、台南市北部にある関子嶺温泉に一泊した。その後は台南市に移動して2泊、台南観光し、台鉄で台南から台北に戻り、桃園空港からチェンマイへ戻った。チェンマイ空港では健康チェックに時間がかかり、中々到着ロビーに出ることができなかった。マスクをしていなかったため、到着時に空港職員から無料マスクの提供を受けたことを覚えている。

ウィルス騒ぎがなかったら3月中に東京からチェンライに戻り、旅行記をのんびり書いていたはずであるが、疾風怒濤の数カ月、旅日記も故宮南院で停まったままである。忘れ物をした感じが残っているので、故宮南院その後を書いておきたいと思う。

■バーチャル・リアリティ
故宮南院の収蔵物は豊富で、アジアの美術品、特に安土桃山から現代までの日本の焼き物には日本の美術館でもなかなかお目にかかれない逸品が数多くあった。でも南院で印象に残っていることというとやはりバーチャル・リアリティ(VR)である。

VRとは
➀コンピューターグラフィックスや音響技術などを利用して人間の視覚や聴覚に働きかけ、空間や物体、時間に関する現実感を人工的に作り出す技術。
➁➊により作り出された、現実感を伴う空間や環境。◆頭文字から「VR」ともいう。また、「仮想現実」ともいう。(出典 講談社IT用語がわかる辞典について) 

下記VRページで故宮博物院の傑作、翆玉白菜が虫眼鏡で見るように細部まで詳細に観察できるし、一部ではあるが館内を360度眺めることができる。
翆玉白菜
https://artsandculture.google.com/asset/jadeite-cabbage-unknown/TgGKKWQUwn0sRA

■初めてのVR体験
故宮南院のロビーにパソコンや椅子が置いてあって係員が観客に目を覆うヘッドギアとヘッドフォーンを装着している。展示室の客は少ないのだが、パソコンの前には客が絶えない。何だろうと自分も試してみた。日本語がなくて済みませんと言いながら、係員が英語バージョンのヘッドフォーンを装着してくれた。

眼前一杯に現れたのはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたモナ・リザである。絵ではなく、モナ・リザが瞬きをしながらこちらに微笑みかけている。まるで生きているようだ。彼女が何か話しかけてくれたかもしれない。でも、アイドルを前にしたオタクのように緊張しまくって何も答えることができない。そんな自分にモナ・リザは暖かく微笑みかけている。英語の説明など全然、耳に入ってこない。すると突然、轟音と共に自分は空飛ぶ木舟に乗せられて、モナ・リザの背後に広がる荒涼たる風景の中へ飛び出した。

■背景の意味
モナ・リザは上半身で背景の中央部分を遮って、見る者に向かって微笑みながら「わたしの背後で風景がどう繋がっているのか、分かる?」と問いかけている。実際、彼女の右側と左側に展開する風景がチグハグで、両者が彼女の背後でどのように繋がっているものか、これまで誰も納得できるような説明をしたことがなかった』。これは、~モナ・リザの背景はなぜ荒涼とした風景なのか?~『ダ・ヴィンチ絵画の謎』斎藤 泰弘著、中公新書の一節である。

絵の背景に込められた意味とは? 斎藤先生の説明は続く。
『向かって右側では、アルプスのような山岳地帯を水源地とする川が、きわめて自然に蛇行しながら流れ下ってきている。それに対して左側では、山々や水に浸食されて倒壊し、水はその行く手を塞がれて、湖となって広がり、次いで近い将来、その堤防を食い破って湖を崩壊させ、その下流域に襲いかかって、地表にあるものすべてを洗い流すはずである』。最終的にこの世界は水没する。この絵はこの世の終末を予言したダヴィンチの警告の絵だそうだ。

そのような恐ろしい意味があるとはつゆ知らず、まるでドローンから見る風景じゃないかと、子供のように興奮して眼下に広がる風景を楽しんだものだった。

■画家のアトリエ
もう一つのVRはモディリアニのアトリエの中だった。キャンバスには描きかけの女性、モディリアニが好んで描いた首の長い女性像だ。キャンバスの前にはパレットと絵の具、絵筆、灰皿にはまだ煙が出ている煙草が置かれている。絵を描いている途中にちょっと席を外したのであろうか。ストーブにかかったヤカンからは盛んに湯気が立ち上っている。自分が体を動かすことで、アトリエ内を歩くことができる。窓から外を眺めると寂しげなパリの街路が見えた。1910年代のパリと質素な画家のアトリエ、35歳で夭折した天才画家を生活感をもって感じることが出来た。

故宮南院は大人も子供も楽しめるテーマパークだ。

 

最近したこと、思うこと

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銀座4丁目交差点

 

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ニコンプラザ

 

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銀座ライオン

 

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銀座資生堂

 

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満男役の吉岡秀隆

 

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ゴクミもさくらも年取った


最近したこと、思うこと

 

■修理代が高すぎて
先月、思い立って銀座にあるニコン・プラザへ出かけた。昨年5月に手に入れた83倍超望遠のデジカメ、ニコン・クールピックスP900の修理のためである。ファインダーからみえる被写体の色彩がちとおかしい。通常は液晶モニターを見ながら、それもオート撮影機能を使うので、自分のような初心者であれば使用上特に問題はない。

なぜカメラに不具合が生じたかについては思い当たる節がある。昨年7月、ラオスをツーリングしていたときにスクータの座席下に収納してあったカメラに衝撃を与えたせいだと思う。タオルにくるんで振動を和らげる努力をしていたが、やはりカメラは超精密機械、衝撃ばかりでなく絶え間ない振動もよくなかったのだろう。何とか頑張りますが、ちょっと目が霞みまして、とカメラに言われているような気がしていた。偶々、日本にいることだし、カメラの完全修理を、とプラザに持ち込んだわけだ。

1週間ほどして見積金額の電話連絡があった。「技術料1万7千円、部品代2万6千円、消費税込みで4万7千3百円になりますが、修理いたしますか」。実はそれくらいの価格で購入した。3万円も出せばネットでほぼ新品に近い中古が買える。丁寧にお断りして、また銀座へ行った。ニコン・プラザから修理センターへの送料往復2200円を支払ってカメラを引き取る。不甲斐ないばかりに治してやれなんだが、ずっと愛用して骨を拾ってやるぞよ、と思いながら銀座通りを撮影しながら戻った。

■映画
先日、シリーズ50作目となる「男はつらいよ お帰り 寅さん」を観た。車寅次郎の甥の満男はサラリーマンを辞め、念願の小説家となり、中学3年の娘との二人暮らし。彼のサイン会に初恋の人、後藤久美子が現れて、と言った筋立てだ。満男が幼児のころから見てるよー。おっさんになっちゃったなー。

映画は「男はつらいよ」第一作との2本立てだった。1969年の制作だから渥美清笠智衆志村喬はもちろんマドンナ役の光本幸子も故人となっている。さくらは丸の内で働くOL、キーパンチャーという最先端の仕事をしていた。さくらと博が結婚にこぎつけるまでの話だが、寅次郎が博に「大学も出ていねえナッパ服の職工に可愛い妹がやれるか」と啖呵を切る。どうもこの職工が「差別」にあたるらしく、映画の終了時に当時の社会状況が云々、の言い訳があった。ネットの「放送用語一覧」を見るとOL も差別用語で女子社員と言い換えるのが望ましいという。寅さんの職業のテキ屋もダメで露天商と言わないといけない。

落語番組がラジオ、テレビから消えて久しいが、落語は差別用語のオンパレードだ。少なくとも与太郎が出てくる噺はダメだろう。
言葉狩りについては何度か書いた覚えがある。言葉を言い換えることによって差別はなくならないし、言葉や文字を介在して伝わる文化を破壊していく。座頭市シリーズはもうテレビで見ることはできない。米国でも「風と共に去りぬ」はもう配信されない。

■ポリコレの悪夢
米国を中心にポリティカル・コレクトネスという差別過敏症が蔓延している。ポリコレはまず言葉狩りから始まる。ニグロはアフリカ系アメリカ人、インディアンはネイティブ・アメリカン、チェアマンはチェア・パーソンとなって久しい。でも差別はなくなったか。ポリコレのお陰で、これまで差別されてきた黒人は入試点数が低くてもハーバードやバークレー等の一流大学に入学できるようになった。しかし、どうせお前はゲタはかせてもらっては入学したんだろ、と大学で、また社会に出て差別される。本当に実力ある黒人はポリコレを憎んでいるという。

ミスXX大学コンテスト、地域のミスコンでやたらと黒人女性ばかり選ばれた時期があったが、黒人女性はこれを侮辱と思わないのだろうか。ミス・コンテストやミスター・コンテストは風貌での差別を助長するという理由で禁止されるようになった。性差別をなくすため更衣室、トイレを男女共用とする学校も増えている。

階層、美醜、貧富、身体能力、肌の色、世の中にいろいろな違いがある以上、区別、差別はあるだろう。すべて同じにすることはできない。差別がない社会は全体主義社会であり、中国共産党が言う「和階社会」だ。BLM活動の異常さは文化大革命を思わせる。良識はBLMが排斥する伝統、文化、歴史の中から生まれる。紅衛兵モドキのBLMに面と向かって反論しない人々がサイレント・マジョリティだ。バイデンはBLM暴動を静観している。法と秩序を訴えるトランプが良識ある人々の支持を得て大統領選に圧勝するに違いない。そうでなければこの世は闇だ。

気概を取り戻す旅

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台北 故宮博物院展示品から

 

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同上、翡翠

 

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商の時代か

 

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故宮博物院展示品

 

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同上

 

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同上




気概を取り戻す旅

 

■老後にしてみたいこと
毎日、汗水たらして仕事をしている人でも、65歳になるとやってくる「定年退職」。今から、「あれやりたい、これやりたい」と、なんとなく計画を立てている人も少なくないはず。では、特に人気なのはどんなことなのでしょう? 今回は、3629人の「老後にしてみたいこと」をランキング化します!

アンケート団体「みんなの声」が2019年1月に行った調査によると「老後にしてみたいこと」の第1位は約半数の49%が回答した「国内旅行」、続く2位には、「世界一周」が21%でランクイン。そして3位には、「新しい仕事」、一億総活躍社会であるし、定年後も再雇用で頑張る人もいるのだろう。以下、4位「習い事」、5位「農業」でそれぞれ10%前後、最下位は「スポーツ」で、わずか3%という結果だった。
老後の過ごし方に関するアンケート調査は何種類もあるが、老後やりたいことのトップには常に趣味も含めて「旅行」が来る。

自分の場合、60歳で働くことをやめた。世界一周の経験はまだないが、タイの国内各地、東南アジア中心だが国外旅行にはよく出かけた。ある意味で大半の退職者が羨むような生活をしてきたといっていいだろう。旅をするにはまず健康、そしていくばくかのお金が必要だ。定年後、配偶者と旅を楽しみたいという男性は少なくないが、亭主と行くのだけは真っ平御免という奥さんが多い。そういうデータもある。健康並びに懐に余裕があっても、危ないから、無駄遣いだからと言って旅に出ることを阻止する配偶者もいるに違いない。自分の場合、思いたったらスクータに跨って、「しばらく帰んないからね」という旅ができたことは幸せだった。

■里帰りの自粛
幸せだった、と過去形で書いたのは今、旅行が制限されているからである。独り身であるし、スクータもある。新幹線も国内便も運航しているがやはり、昨今の流行病で東京人はウィルス媒介者として地方で疎まれる存在らしい。嫌がられてまでねえ、といった地方人に対する忖度がある。都知事も里帰り自粛などと言わず、こういう時だからこそ故郷に戻り、先祖の墓参りをして、日本人の絆を深めてください、くらいのことを言ってほしかった。

2年前の8月に母が亡くなった。今年は3回忌ということになり、娘と自分の二人でささやかな法事を営んだ。流行病のせいで法事も激減しているそうだ。一部にはオンライン法事も行われていると聞く。本来であれば久しぶりに親族が再会して、墓参りをし、近況を聞き、亡き人の思い出話に花を咲かす。もちろん、ビールや酒も出る。子供たちはまとめてスイカなどを食べ、虫取りや川遊びを楽しむ。今、自分たちが生きているのは先祖がいたお陰であり、一族の繁栄が子々孫々、続きますように、里帰りはこの願いを新たにする機会ではなかったか。また、子供たちがもう亡くなった人のことを聞き、祖父母、父母もこの墓に入ると聞き、生とか死を朧気ながら認識する機会でもあると思う。

人は木の股から突然ポッと生まれてきたわけではない。人には父母が、父母には祖父母が、祖父母には高祖父母が、更に先祖がいて一人欠けても自分はこの世にいない。そう考えてみると人は多くの人のおかげで生まれ、成長し、生きている。それに気づけば、伝統の大切さにも思いが至るかもしれない。

■先人の気概に触れる旅
最近旅した外国というと昨年10月の台湾、今年1月のミャンマー、2月の台湾、それにトランジットで3月に1泊の台湾である。台湾には日本統治時代の建物や史跡が残っている。現代の日本人は腰抜けか、武士道を忘れたのか、と亡き李登輝元総統は日本を叱咤激励していた。

李登輝さんが称賛してやまない日本人の足跡を台湾にたどってみた。台湾が清から割譲されたその年、明治28年に数人の教師が台湾に渡り、台北の芝山巌に学堂を開いて現地人教育にあたった。不幸なことに翌年、6人の教師(六氏先生)は蛮族に虐殺される。六氏先生の慰霊碑がある芝山巌学堂に詣でた。戦後、慰霊碑や墓は国民党政権の下で荒廃していたが、李登輝総統の時に公園として整備された。芝山巌魂は引き継がれ、六氏先生の殉難があった直後に全国から数百人の教師が名乗りを上げ、そのうち46名が希望通り、台湾に赴任してきたという。明治の人々の気概を思うと胸が熱くなる。

不毛の嘉義平野を豊かな穀倉地帯に変えた八田興一、金門島、古寧頭戦役を指揮した根本中将、信義を守り、公に尽くす、旅をすればここ、かしこに気概に溢れた先人の心に触れることができる。日本人の誇りはウィルスや無知な都知事の戯言に影響されない、と信じたいところだ。

 

冷静に、冷静に

 

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大切なのは黒人の命だけか

 

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撤去されない「少女像」

 

 

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デモのついでに放火

 

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商店略奪

 

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 背後に中国共産党の影も

 

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米国の分断を狙う

 

 

冷静に、冷静に

 

■可処分時間増加中
まだチェンライに戻れない。基本的にタイが国際便の乗り入れを禁止している。ナショナルフラッグであるタイ国際航空は、日本路線について日本発・バンコク発共に10月24日まで特別便を除いて運航を再開しないことを発表している。全日空が9月から週1便、羽田からバンコクへ飛ばしているが、健康チェック、高額保険の付保、到着後14日間の隔離など条件が厳しい。会社といった組織的支援がなければ、とても搭乗条件を満たすことはできない。

3月以来、何度かバンコク便の予約、キャンセルを繰り返してきたが、8月以降、航空券の予約はしていない。今年中は無理ではないかと考えている。
しばらくは戻れないとなれば、日本での計画が立てられる。本を読む、映画を観る、旅に出る、人と会うなどであるが、パンデミックのせいで今のところ、旅と会合は憚られる。可処分所得は少ないが可処分時間は十分にある。新しいパソコンを購入したおかげで、ストレスなく、ユーチューブ、ニュースが視聴できる。またPCに慣れてきたので楽に原稿が書ける。これまで、書き上げた原稿が一気に消去される、思い通りの熟語、漢字がすぐに出てこないといった不都合があったが、最近はPCのほうで折り合いをつけてくれるようになった。

■ストックはゼロ
ブログのアップは週2回である。旅行へ出る前に数本の原稿を書き溜めることはあった。でも今はどこにも出かけないし、時間だけはあるので、原稿ストックを持たない、が普通になった。アップの2日前に第一稿を書く。前日または当日に書き上げて慌ててアップする原稿は出来がよくない。誤字、脱字も多い。だから原稿をうどんのように1日寝かせて、見直しをする。

チョンチョンと無駄な枝を切ると、植木の見た目がよくなる。それと同じでいくつか文章を省き、言い回しを変える。自己満足にすぎないのだが、楽しみの一つかもしれない。国際政治に関し、怪しからん、と興奮して書く文章はよくない。口角泡を飛ばして怒鳴っているが、何を言いたいのかよくわからんという人がいる。文章も同じだ。江川君ではないが「冷静に、冷静に」だ。そういえば江川卓投手が巨人に入団するときの騒ぎ、あれ覚えている人はどれくらいいるかなあ。

■情報を見比べる
中国や半島関連のブログはかなり書いている。2015年12月28日に突然、「慰安婦問題日韓合意」が発表された。この時は憤懣やるかたなく、即座に「韓国は合意を守らないだろう」という趣旨の原稿を書いた。拠出した10億円はどうなったのか、大使館前の少女像撤去とか「完全かつ不可逆的合意」という約束はどうなったのか。

ホレ、見たことか、という原稿を書いたこともあるが、後味はよくない。ウソつき半島のことならいくらでも書けるが、書く価値がないと思うし、書いても決して楽しい気持ちにはなれない。不快な気持ちは免疫機能を低下させるという。熱中症パンデミックに罹りやすい年齢であるから、好んで免疫機能を下げる必要もない。

世の中、不快なことが多いけれど、なぜこういうことになるのか、マスコミや右翼が騒ぐ理由は何だろう、そういう謎解きを数ある情報を拾って考える。ネットばかりではなく多少は本や雑誌も読む。自分で納得できれば興奮が少しは収まる。

■BLMの裏側
また、米国ウィスコンシン州で黒人男性が警官に撃たれた。抗議デモのついでに放火、略奪、更には銃撃戦が起こっている。米国は民度が低いなあと思う。無抵抗の黒人を撃ったと非難されているが、映像を見る限り、男性は警官の制止を聞かず、車に乗り込もうとした。米国では警官の命令に従うは当然の義務だ。容疑者の反抗的態度が事件を引き起こしたと、自分は感じる。車に乗り込んだあと男性が銃を取り出す可能性はなかったとは言えない。

米国の黒人の人口比率は13%だが、殺人容疑者は53%、強盗容疑者の60%は黒人である。2019年に警察の発砲により死亡した非武装の黒人は9人、白人は19人、黒人だけが警官に撃ち殺されているわけではない。BLMだけではなく、HLM(White lives matter)でもある。警官が黒人男性に殺害された数は、非武装の黒人男性が警官に殺害された数の18.5倍である。銃社会だから警官だって命がけ、ピリピリしている。また、白人警官より、黒人系、ヒスパニック系警官のほうが非武装の黒人を撃ち殺す比率が高いことも知られている。

こうして数字を眺めると、どっちもどっち、底には長きに亘る社会問題がある。善良で無抵抗の黒人が横暴な白人警官に理由もなく撃ち殺される、という図式は簡単には成り立たない。でもそれを指摘するメデァが少ないのは何故だろう。