歴史は繰り返す
■思い込み
誰でも自分を基準に物事を考える。こういった思い込みは誰にでもある。その思い込みが普遍的であると思っていると打っちゃりをくう。例えばチェンライの垢ぬけたレストランでテーブルを囲む。皿とスープカップ、フォーク、匙のセットが各自の前に並べられる。ところが一人分だけ足りない。せいぜい数人しかいないのだから、はじめから人数分のセットを持ってくればいいのにと思う。取り残された人のセットが到着するまでしばらく居心地が悪い。
スープが大きなボールに入って到着する。誰かが気を効かせて各自のカップにスープを取り分ける。ところがボールについてきた取り分け用の匙が小さい、本来は大きめの柄杓を用意すべきと思うがタイ人にはそういった気遣いが乏しい。始めはイラついたり、違和感を持つが、そのうち、まあここはタイだから、と達観するようになる。匙だってもっと大きな匙持ってきて、と言えば済むことだ。異文化に慣れるとはそういうことだろう。
国によって習慣、ルール、考え方等、いわゆる文化が異なる。ハドソン研究所中国戦略センター所長のM.ピルズベリー博士は、豊かになれば中国も欧米と同じように民主化すると思い込んでいた。中国には民主的な歴史も思考も存在しないと気づいて、博士が反中国に転じるまでに10年以上掛かってしまった。思い込みがテーブルマナーくらいなら罪はないが国際政治の思い込みは時として国を危うくする。
■中央と地方
安全保障、インテリジェンスに詳しい江崎道朗という評論家がいる。自分もこの人のファンである。台湾有事に関してこのような発言をされていた。
中国人民解放軍は台湾侵攻のための軍事演習を盛んに行っている。2023年には人民解放軍の軍用機、艦船が中台の中間線を越えて侵入した。また、台湾周辺では航空母艦「山東」が演習を実施している。だが江崎さんの話によると、人民解放軍発足以来、毛沢東の時代から地方で解放軍が演習を行う場合、演習に係る費用、即ち、解放軍の移動費用、糧秣、燃料、宿営地の確保等はすべて現地の省政府の負担になるそうだ。
だから演習が度重なると地方政府は疲弊する。昨今の中国経済悪化で、省によっては公務員の給与も支払われていない。南シナ海や尖閣列島付近に1000隻を越える中国漁船が押し寄せたことがあった。この漁船群の燃料代や休業補償料は福建省や広東省が支払っている。漁船も支払いがなければ遠くに行かない。要するに北京政府は地方政府の力を削ぐ、参勤交代のように北京を守っているわけだ。
■文化は歴史から
江崎さんは中国の地方苛めは毛沢東以来と言われている。あれ、それより前に、とネットで元寇を検索した。
元寇は、日本の鎌倉時代中期に、モンゴル帝国および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。蒙古襲来とも呼ばれる。1度目を文永の役(1274年)、2度目を弘安の役(1281年)という。弘安の役では、元軍、高麗軍、旧南宋の連合軍の兵士15万、軍船4400艘という世界最大規模の艦隊が襲来したが、軍船の造船は高麗、南宋に命じられた。また兵士の8割は高麗、旧南宋出身だった。
クビライは2度の敗戦にもめげず、弘安の役直後の1282年、1283年、1284年と、毎年のように日本侵攻を計画したが、造船に使用する木材の払底と部下の諫言により1286年に正式に第三次日本侵攻を断念する。この知らせが江浙の軍民に伝わると、軍民は歓声を上げ、その歓声は雷のようであったという。
中国共産党のもとにある浙江省、福建省政府なども台湾侵攻の演習や漁船動員の費用捻出で疲弊していると思われる。習近平主席が台湾併合を断念すれば、台湾有事を担当する東部戦区(江蘇省、上海市、浙江省、福建省、江西省、安徽省)の軍民は歓声を上げ、その歓声は雷のようになる(はずだ)。
中国共産党もモンゴル帝国と同じ用兵をする。これも国の文化の一つなのだろう。
■おまけ
クビライが3たびの日本侵攻を断念した理由の一つに、服属していたベトナムのチャンパ王国がモンゴル帝国に反旗を翻し、その戦況が思わしくなかった、があげられる。この紛争には本来、日本侵攻用であった艦船や兵士が動員されたが、モンゴル帝国はベトナムでも壊滅的な敗北を喫する。
南宋遺臣の鄭思肖はチャンパ王国が元朝に背いた理由について「弘安の役で元軍が敗れた後、日本がチャンパ王国へ使者を送り、元朝と戦わずに属国でいることを責めた。チャンパ王国は元朝に背くことを決めた」と書き残している。
俄かには信じがたいが、先頃訪問したベトナムが少し身近に感じられる逸話だ。「何故、中共を経済封鎖しないのか」と日本がベトナムを責める日が来ないものか。