チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

王侯貴族の暮らし  

ラオスの旅から ルアンパバン メコン

この階段を上がった。5年後はムリ

進入禁止、ではない。

進入禁止、ではない。

ベトナム戦争時の高射砲

王都があった時は80以上の寺があったとか

 

旅行中につき2019年11月14日付「王侯貴族の暮らし」を加筆訂正の上再録させて頂きます。

 

王侯貴族の暮らし                                  
■いくらあれば暮らせるか
タイで暮らすといくらかかりますか、という質問を受けることがある。案外、この質問に対する答えは難しい。質問者がどういったレベルの生活を送りたいかわからないからだ。
東京は物価高で暮らせない、とにかく生活費を安くあげたい、ということであれば、タイの田舎で月1万円以下のアパートに住んで、庶民と同じ食事を摂っていれば月5万円で暮らせるだろう。でも食べて寝るだけ、普通の日本人がこんな環境で満足できるとは思わない。タイの食事は辛いものが多いし、香辛料も違う。たまには和食が食べたくなると思う。チェンライでも和食店が増えてきたが、店によってはなんだかなあという料理が出てくる。
外国に住む以上、ある程度の妥協を要求されるし、妥協のレベルが高い人はそれなりのコストを覚悟しなければならない。あなたの要求レベルによって生活費は変わってくるでしょう、が正しい答えかもしれない。
 

最近、ヤフーニュースに「タイにプチ移住してみた 生活費はいくら必要かリアル検証」という記事があった。業界紙の記者がバンコクでロングステイしてみたという体験記である。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191107-00000004-moneypost-bus_all
東京ーバンコク間の航空運賃が日本円で3万円前後、夏服だけで過ごせる、セブンイレブンの弁当が150円、エアコンをつけっぱなしでも電気代は3500円、といった体験が綴られている。記者は、「月10万円あれば充分暮らせる、少し余裕ある贅沢をしたいなら、月15万円ほどあれば十分といえそうだ。もし、日本の生活に不満を抱いているならタイ移住を検討してみてはいかがだろうか」と結んでいる。
 
■ストレスだらけ
この記事を読んだ日本の友人から、年金だけでもこれなら王侯貴族の生活が可能ではないか、とメールがきた。ウーン、王侯貴族ねえ・・・・。
業界紙の若い記者と違って年金生活者はどこかしら体調に問題を抱えている。屋台のぶっ掛け飯でおなかを壊さないとも限らない。冷房の部屋に引きこもり、というわけにもいかないから30度の炎天下を歩いて脱水症状、体力を消耗して生活習慣病が悪化する、タイの医療レベルはどうか、同じ薬を処方して貰えるか、常備薬を受け取りに日本を往復するのではとても月10万では暮らせない。
 
自分を含め、老い先短い年金生活者に残された楽しみは食事、たまには和食もどきで故国を偲びたい。ところがそのわずかな楽しみが、ええっ、これが和食かよ、とストレスの元になりかねない。周りは言葉も通じず、気転も効かず、何事にもお気楽なタイ人ばかり、アー、もう嫌だ、日本に帰ろう。それほど短気でなくても病を得て、心弱くなりひっそりと日本へ帰国する人は少なくない。帰る家が日本にある人はいい。「父帰る」ではないが、自分勝手なことして暮らしてきたんだから、と日本の親族、友人から見放され、帰るべき家もなく、タイ嫁にも逃げられて、北タイのアパートで孤独死という末路を迎えたご同輩もいる。どこが王侯貴族なものか。
 
■生活を比較すると
ところで王侯貴族の生活とはどんなものだったのだろうか。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらさんのブログによると中世ヨーロッパの王侯貴族の生活は

①祈りと勉強:精神のやすらぎ、統一と自己啓発
②領国の業務:午前中に集中し、短い時間で効率的に
③休養と娯楽:効果的に休養し、夜は娯楽に
というものだった。朝は早起きで、領主としての重要でかつ難しい仕事は、午前中に詰め込んで終わらせている。午後は、狩りや貴族同士の会談、人脈構築のための行事で、現在の接待ゴルフみたいなもの。そして夜は、晩餐のあと音楽、ダンス、道化芝居を楽しみながら身近な人との交流・歓談って感じ、だそうだ。
 
今の自分の生活は、というとお祈りも仕事もせず、狩り(テニス、ドライブとか)と娯楽中心、PCで貴族でも聴けなかった最高級のクラシック音楽を聴き、道化より笑えるバラエティのユーチューブを見ている。晩餐といっても中世の貴族は手づかみで肉を頬張るくらい。こっちはタイ飯、イタ飯、和食、肉、魚、野菜なんでもござれ、酒だって世界の酒が金さえ出せば飲めるし、実際飲んでいる。何千キロも離れた友人との歓談、交流も思いのまま。これは王侯貴族どころか、神様でもできなかった恵まれた生活ではないか。

 考えてみれば自分は何と言う幸せな時代に生きていることか。昭和、平成を生き、令和の御世に暮らす幸せを感謝しなければバチが当たる。
まあ「いくらあれば」も大切だが、どこで暮らそうと、面白く住みなすものは心なりけり、の気持ちが一番大切ではないだろうか。