チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

1月ほど兄弟同居

荏原の兄の家

2階は甥一家の2世帯住宅

チェンライの我が家

居間はは広い

 

ダークダックス 若いときの写真

同上、熟年時代



1月ほど兄弟同居

■東京とチェンライで

9月に半月ほど帰国した。兄が今春に建て直した家に初めて滞在した。小学校から結婚して出るまで同じ場所にあった家に住んでいた。タイに移住する前も母と兄と一緒に住んでいた。たまに帰国しても住み慣れた自分の部屋で古机や書籍、数ある衣服に囲まれて滞在していた。でも建て替えに伴って家財道具の一切合切を処分したから、兄の新居には昔を偲ぶよすがは何ももない。

お前の部屋は作ってあるから、と自分用の個室が用意されていた。初めて見る部屋で布団も新しい。ありがたいとは思うがちと「部屋住み」の後ろめたさを感じた。尾羽打ち枯らして帰国したわけではないが、部屋も含め、何かと兄に世話になった。寿司屋や蕎麦屋などで供応に与ったことも再々である。

その兄が9月末から10月中旬まで半月ほどチェンライにやってきた。テニスやゴルフをしてタイマッサージを受けるためである。日本に戻って4キロも体重が減ったという。医師は何でもない、年のせいでしょう、と言うが本人にしてみれば気になる。東京で週1回テニススクールに通っているが運動の後は体が痛む。筋肉痛だから問題ないとかかりつけの鍼灸師に言われたそうだが、これも心配だ。

年を取って体が痛む、はよくあることで友人にも同症状の人がいる。体を動かしているときはそれほど気にならないというところも同じだ。チェンライでゆっくり療養すれば体調は戻るだろうか。

 

■体調、体重回復

兄がチェンライの我が家に来てくれたので、東京でのお返しを、とシンハビール、豚串焼き、焼き鯰などで接待した。東京では兄が、チェンライでは自分が支払う、はかなり有利なディールであるが、自宅訪問は日・タイでも同等であり、接待の責任はお迎えするほうにある。それでも長幼序ありというか、結構こちらでもご馳走になってしまった。

滞在中、兄は知人との会食、テニス、ゴルフ、タイマッサージと充実した日を過ごした。みんなに日本のお土産に渡していた。テニス仲間のジョンなど2か月一回くらい日タイを往復してくれ、と言いながら土産のチョコを受け取っていた。

マッサージは2週間連日受けていた。東京で30分のマッサージを受けたところ、料金は2700円だったがこちらは2時間たっぷり揉んでもらって300B、4分の1の価格、それに痛い場所を言えば集中的にそこを揉みほぐしてくれる。体の痛みが軽くなり快適だという。揉まれている間に寝入ってしまうこともあり、疲れも取れるのだろう。

特に豪華な食事ではなかったと思うが、帰国する直前には体重が3キロ以上増えてBMIが23半ばに回復したそうだ。なんか東京にいるときより良く食っているな、という気はしたが、動物も人間も食べられるうちがハナ、何でも美味しく食べられるということは健康の基本だ。人間、体調がいいと性格まで明るくなるような気がする。

 

■つまらぬ話題で

チェンライの家は2部屋のGHといった造りであるから、ドアを閉めればお互いの干渉は全くない。食事は一緒に取る。ビールも飲む。お互い、情報源がほぼ同じであるが国際政治、日本の行く末などに話が及ぶ。話し相手がいる、はいいことだ。酒量も増える。

それほど高尚な話をしているわけではない。例えば、唐突に「ステンカラージンの舟という歌があるが、あれはステン・カラージンじゃなくてステンカ・ラージンという名の人らしいな」、「そんなこと知らなかったのか、帝政ロシアにたてついたコサックの勇士でな、ロシア革命の先駆として持て囃された感があるな」、「ペルシャの姫なり燃えたる口とうつつに華やぐ宴が流る、とダークダックスが歌ってたな、ダークダックスってまだ生きているのか?」、「ゲタさんは死んだと思うけど、まだ誰か生きてるんじゃないの。ネットで調べてみな」。

ダークダックスは息の長い4人のボーカルグループで紅白板合戦には必ず出場していた。我々の年代なら彼らの雪山賛歌、銀色の道、それにトロイカカリンカ、ステンカラージンの舟などのロシア民謡を覚えていると思う。

しばし追憶に耽り、食事が終わったらネットで調べようと思っているのだが、食卓から3歩歩くとすっかり忘れてしまう。年のせいか。

今、調べてみた。トップテナーのパクさんは2011年に77歳で、セカンドテナーのマンガさんは2016年に84歳で、バリトンのゲタさんも2016年に85歳で、ベースのゾウさんは今年9月に老衰と慢性心不全のため93歳でお亡くなりになっている。

ある時代を代表するボーカルグループだった。ご冥福を祈りたい。また同時に、そろそろ我々兄弟の順番か、とも考える。