チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

4月に入った

 

モークアン(煙害)で遠くが霞む

朝8時でも太陽が肉眼で見える

家の近くのサンサーイ市場

ニラが1束5Bだったので買った。

オクラは10B

花屋さん

 

4月に入った

■AQIは危険レベル

空気質指数(くうきしつしすう、英: Air Quality Index (AQI))、または大気質指数とは、いくつかの国や地域で採用されている大気汚染の程度を示す指標である。大気汚染モニタリングにより空気中の粒子状物質(PM2.5)や二酸化硫黄などの汚染物質の濃度を測定し、空気の汚染度を指数化したもの。

今年のチェンライはAQIが異常に高くなっている。3月下旬はAQIが300を越え、時間によっては500以上を示す時もあった。300 超は、米国環境保護庁の健康影響によると「全ての人が屋外活動を中止する必要がある。特に、心疾患や肺疾患を持つ人、高齢者、子供は、屋内に留まって激しい活動を避け静かに過ごす必要がある」の最高危険レベルである。

AQI300越えの日にテニスコートに行ってみたら、全く人がいない。しばらくしたら韓国人とスイス人が現れ、もう一人、日本人がやってきてダブルスができたが、コート全体がうすぼんやりしていて、爽やかに汗を流す、とは程遠い息苦しい世界だった。結局、この日コートに現れたのは日本人2名、スイス人2名、韓国人1名の外人ばかりでタイ人は一人も来なかった。いつもなら9面あるコートの内、2,3面はコーチについてテニスを習っている子供や女性がいるのだが誰も来ない。週5日のテニスを続けてきたが、「全ての人が屋外活動を中止する必要がある」の大気の中で頑張る必要はないと思って、その後、コート通いを中断した。旅行を除き、4日以上テニスをしなかったのはタイに戻って初めてのことである。

暑季であるから気温も上がってきた。概ね、最低気温20-21度だが日中の最高気温は36-37度となる。午前9時を過ぎると気温は26-27度に上がってくる。乾季には殆ど汗をかかなかったが、今はシャツがぐっしょり濡れる。30度を越える10時以降になると、コートは全くの無人となる。タイ人は日中、運動はもちろん出歩くこともない。

 

ITFツアー、開催されず

昨年の4月にはこのコートでITFのワールド・テニス・ツアーが開催されていた。10年以上テニスをやっているのに、それまでプロのテニスを観戦したことがなかった。観戦は無料、嬉しくて毎日通った。日本ではインターハイ、インカレ優勝経験者の選手を相手に、ここにきている選手はみんなプロなんですか、などと間の抜けた質問から始まって、いろいろ教えてもらった。日本を始め、各国の女子選手は美女揃い、確か「日本の可愛いテニスプロ10人」というネット記事があって、その内の7,8名がチェンライに来ていたと記憶する。また元プロのコーチの方とも知り合いになり、彼の解説付きで観戦できたのもいい思い出である。

スポーツ選手であるから皆礼儀正しく、いつも顔を合わせるので挨拶を交わすようになった。日本では若い女性に声どころかハナもひっかけて貰えなかったが、チェンライで大和撫子と挨拶を交わすだけでなく、時にはお話しできるという光栄に浴した。

タイの健康美少女、サラチップちゃんも、朝の練習の時、ちょっと膝を曲げてワイの挨拶をしてくれる。すっかりファンになって、彼女の写真を撮りまくったものだ。コート外でカメラを向けたところ、わざわざポーズをとってくれた。日本なら変なおじさんが盗撮してるんです、と警察に通報されてもおかしくない。チェンライにいてよかったよ、と思う瞬間であった。

ITFワールド・テニス・ツアー・チェンライは成功裡に終わったので、恐らく翌年(2003年)もチェンライで開催されるでしょう、と関係者が言っていた。でも3月に入ってもコートのペンキ塗り直し、穴の開いたネットの交換がなく、結局、ツアーはなかった。お知り合いになれた女子プロやサラチップちゃんに再会できなくて残念ではあるが、この危険レベルの大気の下であの苛酷な試合を行うことには無理がある。選手の健康を考えてもチェンライのワールド・テニス・ツアーが再度、開催されなくてよかったと思っている。

 

■自立の時

3月、4月は卒業式、入学式、就職、転勤など移動の季節である。2009年以来、兄とタイで暮らしてきたが、品川区の家の建て替えを機に兄は3月末に帰国し、日本で暮らすことになった。自分はこのままタイに残る。兄とは30年ほど別の人生を送ってきた。それが母のお陰で14年一緒にタイで過ごすことができた。別の仕事をしてきた人と話すことは面白い。弟に気を使って我慢したこともあったのではないかと思うが、お互い退職してこういった時間を過ごせてよかったと思っている。

弟根性が抜けなくて、これまで何かと兄を頼りにしてきたが、これからは自立して残された人生を頑張っていくつもりである。