チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

フアヒン一人旅(2)

 

見渡す限り砂浜が続く

蟹の作った模様

砂団子を巣穴の周りに並べる

第5航空隊歴史博物館

勇敢なる航空兵の彫像

日泰戦闘のレリーフ

 

フアヒン一人旅(2)

■旅の目的
たまたま購入したチェンライーバンコクの航空券を無駄にしたくないためにフアヒン旅行をくっつけた。もともと海に行きたいという気持ちはあった。「あした浜辺をさまよえば昔のことぞしのばるる」というではないか。シャム湾の静かな波打ち際をそぞろ歩きすれば、過去の記憶もいくらかは蘇るかもしれない。それにここまで行けばチェンライでは口にできない海の魚や海老も食べられるだろう。観光名所を目指してあちこち徘徊する元気はない。南海のどこまでも続く砂浜と静かに打ち寄せる白波を見ながら、デッキチェアに身を横たえ、冷たいビールを飲む。椰子の葉を渡る微風に吹かれながら意識が遠のくように午睡に入る。

怠けるならチェンライですでに怠けているじゃないか、と思うのであるが、生きている以上は刺激が必要だ。それにタイ有数の海浜リゾートであるフアヒンがどんな状況になっているか自分の目で確かめてみたい。観光客は戻っているのだろうか。ファランが多いのだろうか。それともインド、アラブの客が大半か、若い人や家族連れが多いのか、それとも年寄りばかりか。

フアヒンはバンコクから車で3時間、100年ほど前に王室の保養地として開発された海浜リゾートで、他のリゾートより品がよく治安もよいと言われている。バンコクからゴルフに来る駐在員も多いとか。バンコクから列車で行く方法もあったが、感染症のため間引き運転、最近復活したバスの定期便を利用した。以前は乗り合いのミニバスが頻繁に往復していたし、200キロしか離れていないのにバンコクから航空便も出ていた。

■浜辺の観察
バスに乗るとすぐに宿泊先を聞かれた。ホテル名を告げると100B徴収された。バスはフアヒン空港横のバスターミナルが終点で、そこに待っていたミニバスに乗客は乗り換えた。ミニバスでホテルまで送ってくれるシステム。100Bはミニバス代だった。

ホテルはフアヒンビーチから300mほど、絶好の位置だ。荷物を置くとすぐに海へ行く。両側に土産物や海水浴道具の売店が並んでいる小路を抜けると目の前にシャム湾が広がっていた。浜の長さは数キロあるのではないか。左手にパラソルを密集させてその日陰にデッキチェアーとテーブルを並べた一角があった。日本で言う海の家だ。但し、200近いチェアがあるのに座っている人は殆どいない。海で泳いでいる人もいない。気温は高いが見た目は日本の秋の海だ。

丁度、引き潮で水の引いた浜はきれいな幾何学模様の砂絵になっている。じっと見ていると5ミリから1センチくらいの小さな蟹が1ミリほどの砂団子を抱えて穴から出てきて、その団子を穴の外へ並べていく。並べる場所は予め決められている如く一定で、団子の位置に乱れはない。無数の小蟹がせっせとこの作業を続けて、砂浜に幾何学模様を描いていく。人の気配を感じると蟹は一斉に穴に隠れる。1分くらい経つと再び砂団子を抱えて作業を続ける。幾ばくか、蟹観察の時間を過ごした。

■貸しバイクでツーリング
一応滞在中、浜辺のデッキチェアに横たわってビールも飲んだし、ナイトバザールで海の魚も食べた。一人旅だと魚一匹でも持て余してしまう。ラップトップのPCを持ってきたので、ホテルでネットを見ている時間が長くなった。自宅にいるのと変わらない。気が滅入るニュースばかりで、翔平クンが打ったとか勝利投手になったくらいしか明るいニュースはない。

貸しバイクを100キロ走らせてプラチュアップキリカーンを再訪してみた。ここに大東亜開戦直後、日本軍が上陸し、防備していたタイ国第5航空隊と銃火を交えた。実は日本とタイはアジアの独立国として友好関係にあり、日本軍は当然、無害上陸が認められるものと思っていた。しかし。その許可を出すピブン首相が雲隠れしており、停戦命令が届くのが遅れたため、無益な衝突が起こった。

その上陸地点は現在も空軍基地ではあるが、その一角が歴史公園として整備され、記念碑や戦史博物館がある。ミュージアムの視聴覚室で、日タイの「激戦」のビデオを見せられた。日本軍の上陸用舟艇にはローマ字で船名が掛かれていたから、多分ノルマンジー作戦のフィルムを盗用したのだろう。

タイ語だから理解はできなかったが、如何にタイ軍が奮戦したか、いかに頑張った史観で作られていた。戦史叢書によるとここに上陸した第15軍の宇野支隊は30分の戦闘の末、警備隊を武装解除し、飛行場を占領した、となっている。(日本軍進駐下のタイ - Wikipedia )

 

タイの子供たちはこのビデオ視聴して愛国心を掻き立てられることだろう。でもどこかの国と違って謝罪と賠償を求めてくることはなさそうだ。