チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本語について

ポスター

全員故人

チェンライ土曜市

ナツメヤシを売っています。

時計は一つ100B, ちゃんと動きます。

屋台の下で

 

 

日本語について

■語彙数の差
ある日、黒沢監督の「七人の侍」を観たくなった。無料配信動画を検索してみたが、古いとはいえ人気映画なのか、無料で全編見ることはできないようだ。30分刻みではあるが英文の字幕付きのユーチューブが見つかった。通しでは見られないが1時間半ほど、つまり全体の半分くらいだが、なつかしい映画を観た。この人も死んじゃったなあ、などと思いながら視聴したが、名作と言われるだけあって、カット割り、群集の配置など事細かに計算されている。登場人物の性格もよく描かれている。改めて名作と言われる理由がわかったような気がする

英字の字幕付きだから見るともなく、どのように翻訳しているのだろうと読んでみた。ああ、こういう英語表現になるのかと感心したが、いくつか引っ掛かるところがあった。それは、英語には語彙が少ないということだ。百姓の「ありがとうごぜえますだ」も侍の「かたじけない」もThank  youだ。お前様もお主もお侍様もyou、おら、それがし、おのれ、わしはIである。英語では全く平板で情緒、感情が伝わってこない。

タイ語にはあなたを表す言葉が12ほどあって、相手と自分の上下関係を常に考えながら使い分けている、と聞いて感心したことがある。ピー(年上の人に対する呼びかけ)とノーン(年下の人に対する呼びかけ)の使い方で喧嘩になることもある。

でも日本語でYouを表す言葉を上げてみると、あなた、あんた、あんさん、そなた、あなた様、おたく、君、貴殿、そこもと、貴様、うぬ、お前、てめえ、お主、コンニャロ、これだけで15もある。英語ならYouひとつで済ませるところを、時代、身分、職業、性別、更には年齢まで類推できる二人称を我々日本人は使い分け、理解している。タイ人の二人称の豊富さに感心する前に日本語の豊富さに驚くべきかもしれない。

ひょいと思い出したが、昔、イーデス・ハンソンという関西弁を操るタレントさんがいた。彼女が好きな日本語は「はんなりとした」のはんなりと言っていた。名詞ばかりでなく形容詞にもおびただしい数があり、日本人はそれらを使い分ける。ところではんなりは何と英語に訳すのだろう。英語に訳せない日本語はかなりあるのではないか。

■翻訳って何だろう
やったことはないが文学の翻訳は難しいことなのだろう。源氏物語与謝野晶子谷崎潤一郎瀬戸内寂聴など10名以上の文学者による現代語訳があってそれぞれに評価されている。しかし外国文学となればいくら日本語の語彙が豊富であっても、原文のリズム、感動を伝えるのはなかなか難しいのではないか。シェイクスピアの戯曲は古今の英文学者が訳しているが、福田恆存の「ハムレット」は英語の音韻や劇場の俳優の動きまで計算して訳されているというのでかなり評価が高い。

福田恆存氏は「翻訳には創作の喜びがある。自分が書きたくても書けぬやうな作品を、翻訳といふ仕事を通じて書くということである。それは外国語を自国語に直すといふことであると同時に、他人の言葉を自分の言葉に直すといふことでもある。そういふ創作の喜びは、また鑑賞の喜びでもある。本当に読むために私は翻訳する」と書いている。

翻訳機能付きのPCがあれば、翻訳など問題ないという人がいるが、他人の言葉(英文)を自分の言葉(しっかりした日本語)に直す、これを「翻訳」ではなく「創作」という福田氏の言葉をかみしめれば、文学の奥深さを思わずにはいられない。何種類かの源氏物語、或いはハムレットを読み比べて、あー、そうなのかという感慨に耽ってみたい気もするが、読書と全く縁のない暮らしで、それは叶わぬ夢である。というより時間も根気ももう自分には残されていないような気がする。

■翻訳文化
語彙の豊富さが翻訳の質の高さにつながるような気がするが、日本は世界有数の翻訳大国である。世界の文学を読みたかったら日本語をマスターしろ、と言われるがそれは誇張ではない。英語やフランス語でタイ文学が読めるかというとそうでもなさそうだ。ノーベル文学賞の作品がすべて訳されていて自国の言語で読める国は日本しかないだろう。翻訳しても読む人がいないのでは誰も翻訳などしない。古今東西の文学を読む日本国民がいるから翻訳文化も花開く。やはり日本は文化度が高いと言えるのではないか。

日本人に生まれてよかった、と思うことは幾つもあるが,曲がりなりにも「日本語の読み書きができる」もその一つである。