雪をタイ語で・・・・(その2)
今回は前回からの続き、羅刹に姿を変えた帝釈天が雪山童子に偈文を説くところから始める。
「お前が本当にその身を捨てるというなら、残りの偈文を説いてやろう」。
雪山童子は、羅刹の言葉を聞いて、身につけていた鹿皮を脱いで、羅刹のために法座を設け、「大士よ、どうかここにお座り下さい。」と言うと、合掌してひざまづいて、一心に残りの偈文を求めた。
羅刹は、厳かに残りの偈を説いた。
生滅滅已 (しょうめつめっしおわりて)
寂滅為楽 (じゃくめつをらくとなす)
こう説いてから、羅刹は、約束通り、雪山童子の肉体を求めた。
「出家者よ、お前は、すでに、偈のすべてを聞いた。願いはかなえられたのだから、約束通り、私に肉体を施してくれ。」
雪山童子は、覚悟の上のことだから、肉体を捨てることに何のためらいもなかった。しかし、このまま死んでしまっては、他の人々のためにはならない。そこで、辺りの石や、壁、道や樹木に、手当たり次第に、この偈文を書き留めてから、死後に身体の露出することを懼れて、衣服を整えると、高い木に登った。そして、羅刹との約束を守って、地上へと身を投げた。
ところが、雪山童子の身体が、まだ地上に落ちないうちに、羅刹は帝釈天の姿に還り、空中で童子の身体を受けとめると、地上に置いた。
時に、帝釈天を初め、諸天の人々は足下にひれ伏して、童子にこう言った。
「あなた様は、無量の衆生を利益して、無明の闇の中に、大法の炬(たいまつ)を燃やそうとする以外には、何も求めようとしない。あなた様こそは、真の菩薩です。そんなあなた様を苦しめたのも、ただただ、仏の大法を愛すればこそです。どうか私の懺悔をお聞き届け下さいまして、未来に悟りを得られた暁には、お救い下さいますようお願い致します。」
半偈のために身を捨てた苦行外道の雪山童子は、後の世の、お釈迦様である。
また、この物語にちなんで、「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」を、雪山偈と呼び慣わしている。(おしまい)
これが施身聞偈(せしんもんげ)で知られるお釈迦様の生まれ変わりの物語である。本生譚には他に、捨身飼虎(しゃしんしこ)で知られる薩埵王子(さったおうじ)の話がある。釈迦の前世である王子は、飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投じて自らを虎の餌とした話である。法隆寺の玉虫厨子に、施身聞偈の雪山童子とと捨身飼虎の薩埵王子が描かれていることをご存知の方は多いのではないだろうか。
仏教経典には、さまざまな前世の因縁物語が説かれ、主に釈迦の前世による因縁を明かし、現世や来世を説いている。これをジャータカというが、広義には釈迦のみならず、釈迦の弟子や菩薩などの前世の因縁も含めてジャータカ、あるいは本生譚と呼ぶ場合もある。漢訳仏典ではこれらの経典を『本生経』と総称し、パーリ語仏典には547もの物語がジャータカとして収録されている。
パーリ語は古代インドの言語である。パーリは「聖典」を意味する。パーリ語はスリランカ、ビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスなどに伝わった南伝仏教の聖典に用いられている。インドの古典語というとサンスクリット(梵語)が有名であるが、サンスクリットは洗練した書き言葉(文語)であるのに対し、パーリ語はサンスクリットがなまって俗語、日常語に近くなった言語(口語)である。もともと同じ言語だ。サンスクリット語もパーリ語も滅びてしまったが、タイ語の語彙の3分の1はサンスクリット、パーリ語起源という。特に文化的語彙はほとんど全部がサンスクリット、パーリ語起源で、丁度、日本語における漢語といった位置づけになるらしい。
タイに来たことがある人はタイの挨拶、「サワッディー」をご存知と思うが、このサワッディーももともとはサンスクリット起源である。
雪をタイ語で「ヒマ」というがこの単語もサンスクリットから来ている。ジャータカに出てくる雪山童子が「ヒマパーン」ということ前号で述べた。辞書には「雪山」のタイ語が載っている。もちろんそれは「ヒマラヤ」である。(正式にはヒマラーイと発音)
ということですぐ忘れてしまう「ヒマ」という単語をやっと覚えたという次第。タイ語で雪をなんというか、皆さんにも覚えて頂けただろうか。