チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

熟年ライダー(13)

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熟年ライダー(13)

■チャアム
7日目に宿泊したチャアムはバンコクの南西約170劼飽銘屬垢襦30卍?イ譴織曠▲劵鵑畔造鵑罵ゲ蹐奮ど優螢勝璽斑呂箸覆辰討い襦もともとは静かな浜辺の漁村だったが、王室の保養地であるホアヒンにつづいて別荘がつくられるようになり、モダンなビーチ・リゾートや高級ホテルなどが集まる現在の街並みとなった。落ち着いた雰囲気の白い砂浜のビーチ、ゴルフやスパといったリゾートステイの楽しみに加え、周辺に点在するバンコク王朝歴代王の美しい離宮が見学できることも、チャアムの魅力とのこと。
チャアムには4年ほど前に泊まったことがある。海浜のレストランで2キロ近いハタを食べ、その美味しさと価格にビックリした覚えがある。ゲストハウスに泊まっていても使うべき時にはけちけちしない。そうでなくては旅の思い出はいじましいものになってしまう。

4年前は偶然見つけた日本人経営のGHに泊まった。泊まるつもりであれば、あらかじめ名刺など探しておいたと思うが、チャアムに着いた頃は夕暮れが迫っていた。4年前のGHが見つからない。暗くなる前に、浜辺を走る道路から50mほど入ったサラタイというGHに決めた。1泊550Bは高くはないが安くはないという感じだ。1泊500Bの GHの標準装備は、温水シャワー、石鹸、バスタオル、テレビ、(冷蔵庫)、ペットボトル飲料水、(エアコン)といったところ、カッコつきの装備は必ずあるとは限らない、あったらラッキーと思える。

朝はお粥、昼はパッタイ(タイ焼きそば)で走り通してきたので、GHで紹介して貰ったタイ料理店でかなり豪華な食事を摂った。でもハタやカニを頼まなかったのでビール込みでせいぜい一人300Bほどだった。

■カンチャナブリへ
チャアムからカンチャナブリへは距離にして約200キロ、3時間足らずで到着。Nさんはまずカンチャナブリ駅に車を停める。駅を基点として土地勘が働き始めるらしい。鉄路に沿ってミャンマー国境へ走るか。

泰緬鉄道はバンコクトンブリ駅からミャンマー、タンビユサヤに至る415キロの鉄道だ。制海権を奪われた日本軍が物資補給ルートとして、英国人技師が5年はかかると言った工期を1年3ヶ月の突貫工事で完成させた。現在はミャンマー側の鉄路は撤去されているが、バンコク―ナムトック間190キロが健在で、今でも1日3本ほど電車が走っている。カンチャナブリ―ナムトック間は80キロほどだが、戦場にかける橋で知られるクウェー川にかかる鉄橋を渡るので、カンチャナブリから乗り込む観光客も多い。

駅舎に入ったNさんが、丁度ナムトック行きの列車が出ますよ、これに乗ったら、という。フォルツァを駅前に置いて片道100Bの乗車券を買った。10時35分カンチャナブリ発だが、3両ほど客車を連結し、30分ほど遅れて出発した。駅を出てからすぐにクウェー川にかかる鉄橋を渡る。その日は休日とあって線路際には観光客が一杯。鉄橋の途中にいくつか設けられている退避所にも列車にカメラを向ける人々がぎっしり。こちらも車窓から手を振る。

■亡き叔父を偲ぶ
完成したばかりの木橋に向かってポー、ポーと汽笛を鳴らしながら機関車がゆっくりと進んでくる。それを橋の下から日本兵、連合軍捕虜、現地労働者が固唾を呑んで見上げる。ギシギシと橋が鳴る。機関車が渡り終わった瞬間に大歓声が沸き、兵士も捕虜も労働者も抱き合って喜んだ。これは叔父から自分が実際に聞いた話である。カンチャナブリにあるJEATH戦争博物館、泰緬鉄道博物館の英文説明とは異なるエピソードはたくさんあったのだろうが、それは歴史の陰に埋もれてもう知ることはできない。

当時日本には制空権がなく叔父は度々、連合軍の戦闘機に襲われたという。機銃掃射を避けるため体を伏せていたが、傍らにいた現地労働者がやられた、慌てて抱き起すと「マスタル(master)、」と言ってパタッとこと切れた。本当に可哀そうだったよ、と叔父は呟いたが、我々兄弟は子供だったせいか、「マスタル、パタッ」を暫く口真似して面白がった記憶がある。

どうして叔父の戦争経験をもっと聞いておかなかったのかと思う。今の若い人の中にも祖父の戦争経験をもっと聞いておけば、と悔やんでいる人は多いらしい。

列車はやがてチョンカイの切り通しに差し掛かった。建設工事の難所で崖を削って線路を通した。車窓から手を出せば岩肌に付いてしまう。左手にクウェー・ノイ川の渓谷を見乍ら列車は進む。天竜峡温泉に行くみたいだ。実際、この辺りにはいくつか温泉があり、中でも1942年、工事中の日本軍が発見したヒンダット温泉は有名、叔父も浸かったかもしれない。



3枚は遊就館から、後半3枚は車窓から