チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

800号記念回想

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800号記念回想

■チリも積もれば
本号でタイで書き始めたブログが800号となった。確か500号をアップした時だったと思うが、友人から「チリも積もれば山となる」という激励メールをもらった。それからさらにチリを積み上げたことになる。八百というと「嘘八百」、「八百屋」、「八百万(やおよろず)」などの言葉が思い浮かぶが、八は多くの数字を表すそうで、嘘八百はウソばっかり、八百屋も800種の野菜を売っているわけではなく、多くの品を商っております、くらいの意味らしい。江戸市中の町数は八百八丁、大坂市中の橋の数は八百八橋というのも、数が多いという意味。

ウズベクにいた時に書いたブログは200本を越えていたから、この10年で1000本以上か。週2回のアップであるし、毎日ブログをアップしている人も世の中におられるから、自分の800本は人から見ればどういうこともない。
ただ、一回につき1850字として800をかけ、400で割ると3700、400字詰め原稿用紙にして3700枚ともなると、確かにちり紙交換に出せる量となり、個人的にはある種の感慨を覚える。

■着地が大切
友人からお前のブログはいつもパターンが決まっていると笑われた。確かにその通り。まず、あれ、そんなことあるの、といった奇妙な書き出し、続いてその書き出しに関連している事象に話を広げる、そのあと、まるで反対か、前段と関係ないような話題に移って、最後に書き出しの内容に戻って話を締める。ご存知、起承転結の構成手法。でもいつもこううまくいくわけではない。我ながら締りのない文章だな、とか、言いたいことが伝わらないな、という文章もある。それだけに、構成が思い通りにできると、体操選手がピタリと、ま、ちょっと足を踏み出したが、無難に着地を決めたような気分になる。自惚れをやめれば他に惚れ手無し、の古川柳ではないが自画自賛、自己満足の域を出ない。しかしながら自分としては週2回、自分に課した義務であるから、上手くクリアできた時は、また次回も書けるかな、という希望が湧いてくる。願わくは伝統芸能の如く、構成に精緻を極め、読者が最初の段落を読んだら、もうあとはわかった、しかし最後まで読んでみようか、という気持ちになるくらい奥義を窮めたいものだ。

■結局は自己満足
ウズベクでブログを書き始めたころは1日の閲覧者数が2桁に届かなかった。多くて20人位か。今では1日数十人、時には100人を越すことがある。世の人気ブログに比べれば少ない閲覧者ではあるが、自分としてはこの冗長なブログ読んで下さる方々に深く感謝している。時には過去のブログをウズベク時代に遡って全部読ませて頂きました、などという奇特な人が現れる。思わず土下座してお礼を言いたくなる。その方の忍耐力にも感動する。ウズで書いたブログはほとんど読み返したことがない。段落もなく冗長、誤字、脱字あり、ここは書き換えが必要、と自分で突っ込みを入れるので、読み通すのにかなりの苦痛を感じる。

旅行などで長期に家を留守にする場合、ウズで書いた原稿を再録することがあるが、全面書き直ししたい衝動にかられる。でも、文章は気に入らないが、あの時はこういう考えを持って行動していたのだな、懐かしく思い出すことはある。シルクロードの古都の情景は写真で想い出せる。でも例えば、サマルカンドの片田舎で、その昔日本人抑留者と交流したという老人との邂逅は文章にしておかなかったらもう忘れてしまっていただろう。ザラフシャン川のほとりで村人と飲み交わしたウォッカや歌の応酬、今度来るときまでにもっと抑留者のことを思い出しておくよ、と言ったポダローノ老人はあの時87歳だった。一期一会、もう会うことはないだろう。

結局のところ、ウズで書いたことも、今、書いているタイでのブログも自分のために書いていることに気が付く。閲覧者の数が数人であろうと何百人であろうと関係はない。生きることと同様に、書くことも自分の至らなさ、恥をさらすことかもしれない。でもすべてが自己嫌悪に陥る事柄の連続ではなく、時には砂の中の黄鉄鉱のように鈍くとも光るものはある。エブリ・ドッグ・ハズ・ヒズ・デイズ、どんな人にもいい時はある。自分の心の中にそういう時があったと、いつかブログを読み返して微笑むこともあろう。でも自分自身がこの世のチリになるとき、それさえも無意味になって消える。それでいいし、そうありたいと願っている。