チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(10)

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ヌラタのカシム・シェイク・モスク その2

バスの終点となっている広場を50メートるほど登るとカシム・シェイク・モスクの門(写真)にたどり着く。
モスクは古典的な正方形を基礎としたつくりとなっている。建築材料には、焼き物の正方形のプレートとレンガが用いられている。敷地内にはモスクの2倍の高さにもなる塔が立っている。このカシム・シェイク・モスクの塔はザラフシャン流域で最も高い建造物で、キジルクム砂漠を通るキャラバンがその往来の目印として利用していた。このモスクには2000人の人が入ることができ、イマームイスラム教の司教)の住居やメドレセ(イスラム学校)として使われていた建物が今でもある。石畳の道や噴水にはカズガン大理石がふんだんに使われている。

門からモスクの建物沿いに続く直線の道には古くは市が立ち、さまざまな物品が取引されたという。1559年に建てられたこのモスクは典雅で、それほど大きくはないが品のよさと落ち着きを感じさせる。観光地として開発されていないせいか訪れる参拝客はウズベク人の家族連れが中心で、外人は見かけない。

きれいに清掃された大理石の石畳を通り、モスクの前を少し行き過ぎると用水にぶつかる。石造りの用水の幅は1,5メートルくらいであろうか。相当の水量である。2,3段の階段を下りて水辺にいけるのであるが、そこでウズベク一家がその澄み切った冷たい水を何本ものポリビンに汲んでいる。流れの中には10センチから50センチくらいの魚(写真)が無数に泳いでいる。これがスノー・トラウト(雪鱒)、マリンカといわれるカシム・シェイクの聖魚である。20世紀初頭にサルミッシュ渓谷にも群生していた淡水魚だ。
ウへー、うまそう、と思ったが、食べられる心配がないせいか人を恐れる様子もない。 この水は聖魚の泳ぐ清らかな水は聖水ということになっており、参拝したウズベク人はこの水を家に持ち帰り、健康長寿の水としてありがたく飲む。1月そのままにしておいても濁らないという。

用水をたどっていくと25メートルプールほどの池があり、ここにニジマス養殖場ではないかと思うほど無数のマリンカが遊弋している。この池は5メートルくらいの高さから見下ろすことになる。池の水は絶えず流れて用水に注ぐのだがこの水源が池の隣にある井戸(泉)だ。井戸の中にも多数のマリンカが泳いでいるのがみえる。誰かが投げたノンが浮いており、小銭がたくさん沈んでいる。この下流の水を飲んでも大丈夫なのかと思うが、この泉の湧水量は半端なものではない。常にきれいな水が流れていると考えてよさそうだ。

用水と池、井戸をカギの形で囲むように土色のドーム屋根の大きな建物がある。モスクのドームは天蓋をあらわし、中を覗き込んでも何もない。ただじゅうたんが敷かれているだけだ。ここはダルフィーシュ(イスラム教の托鉢僧)や巡礼者がお祈りをささげる場所となっている。池を見下ろすテラスでベンチに腰をおろし、この建物から流れてくるコーランの朗誦をしばし聞く。時は春、少し高台となったモスクを渡る風はさわやかで、思わず睡魔に襲われる心地よさだ。このドームの向かいに池を挟んでカズガン大理石でできた棺がいくつかある。言い伝えによればカシム・シェイクと彼の一族の墓と言われている。ウズベク人家族がそこで写真をとっている。

井戸のある場所をを登ると小さな博物館がある。階段の横では子供が、聖水お持ち帰り用の空瓶を売っている。また屋台のお土産屋さんも出ているが、ウズベク人相手と見えてイスラムカレンダー、お祈り用具、髪飾りなどが売られていた。ヒバやブハラなど観光地で見かける外人用のバッグや財布、スザニ刺繍の布などは見かけない。店の人もチョポン(ウズベク風どてら)を着て所在無さげに立っていて、特に客引きをする様子もない。

おばさんが二人みやげ物の置時計をいじっていた。突然、時計から「オンギャラヤー」といった大音量が鳴り響く。こっちは腰が抜けるほどびっくりしたが、おばさんたちは「ああ、アザーンだね」と動じる様子もない。目覚ましがアザーンイスラムの朝のお祈り呼びかけ)とは面白い。お土産にどうかと思ったが、どうせ中国製だろうと思って買うのをやめた。(続く)