チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タシケント交通事情①地下鉄

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地下鉄
スタンの付く国の中で唯一地下鉄がある。それがウズベキスタンの自慢である。3路線あるが駅の数は全部で29、それも路線が交差する3つの駅は路線ごとに別の名前がついているから、駅数は26だけということになる。営業キロ数がそれほど長くないので、市民の足というほどではない。時間によるのかもしれないがホテルの近くのユーナスラジャビー駅からJICAのあるボドムゾール駅まで乗っている感じでは常に全員席に何とか座れるといった混み具合である。
地下鉄の改札口に行くまでの構内は広くて暗い。外光の入る入り口付近では屋台のパン屋やタバコ屋が店を開いている。パンは包装なし、裸で並べられているが、作り立てと見えていいにおいがする。

地下鉄に乗るには改札窓口で、ジェトンというプラスチックのコインを買う。1つ160スム(16円)これで全線乗れる。このジェトンがちゃちなプラスチック製で、子供ポーカーゲームのチップにそっくり。隊員の一人が「こんなもの誰でも偽造できるじゃん。」とびっくりしていた。ジェトンを改札口に入れると回転式のバーが回転して中に入れる。入り口には怖い顔をしたおばさんと警官が常駐していて不正乗車がないように見張っている。たまにジェトンを入れてもバーが作動しないことがあり、そういう時、おばさんは機械ををこぶしでどんどん叩く。それでもだめならば自分の立っているバーのない入り口から入れてくれる。時折、何か身分証明書のようなものを見せて、ジェトンなしでそこを通る人もいる。

駅の天井は高く、ホームの幅も日本の地下鉄の2,3倍はある。天井はびっくりするくらい高く、シャンデリアと見まごうばかりの豪華な照明器具がぶら下がっている。隊員が「おっこってきたら怖いよね。」という。ただし電気が全部ついているわけではないので少々暗い。ドーム状の天井を支える柱は大理石でできていて、美術館の中にいるような気がする。ソ連の地下鉄は核シェルターをかねているので、日本の大江戸線並みに深く造られているが、タシケントの地下鉄はそれほど深く無い。しかし一朝事あったときはかなりの人数が逃げ込めるだろう。駅のホームにも警官が2,3名たむろしている。駅員はいない。準軍事施設ということなのだろうか地下鉄内は写真撮影禁止となっている。

構内放送はない。ホームの端に時刻と電車がこの駅を出発してからの時間がデジタル表示されている。あと何分すると次の電車が到着しますではなく、先ほど電車がこの駅を出発してから何分たっているという時間である。利用者の利便を考えているわけではない。でも10分以内に電車が来るようだから、待ち時間に関してある程度の目安にはなる。車内は忘れ物をしないようにというありがたい配慮からか網棚はない。つり革はなく、代わりにに鉄棒が目の上の高さに設置されている、つり広告もなく殺風景というか殺伐という感じだ。車内の蛍光灯がところどころ消えているので、薄暗く、新聞や本を読んでいる人はほとんど見かけない。ウズベク語で「次はXX駅です」の車内放送がある

ユーナスラジャビー駅にはごうごうと工場を思わせるような騒音を出しているエスカレーターがある。昔、モスクワの地下鉄を利用した時、エスカレーターに足を乗せた瞬間、あまりの速さにひっくり返りそうになったが、こちらのエスカレーターは日本と同じ程度の速さ。幅はやはり広い。
エスカレーターに乗ってベルトに手を置いた。それほど長いエスカレーターではないのだが、手だけどんどん前に進んでいく。エスカレーターとベルトの移動速度が同調していないのだ。タイのドンムアン空港動く歩道があり、手をベルトに載せたら手だけ、どんどん後ろに取り残されていったことがある。エスカレーターとベルトのシンクロナイズされた動きが当たり前という国とそうではないという国があるのは事実である。

別にベルトにのせた手が前に行こうが後ろに行こうが、ちょっと手を動かせば済むことである。そんなことに目くじら立てるほどのことのことではないかもしれない。しかし、きっちりと当たり前のことが当たり前にできて、それができていないと気分が落ち着かないという国民性は、窮屈かもしれないが、ものつくり国家発展のためには必要不可欠な感性のように思う。

中西英樹

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