チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タシケント交通事情②白タク事情ほか

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なんでもありの白タク事情など
タシケントは1966年に大地震があり、壊滅的な被害を受けた。当時は東西冷戦のまっさかりでソ連は米国と覇を競っていた。それでソ連政府はリキを入れてタシケント復興に努め、そのおかげで道路は片側3車線、木々が植栽され、緑地に恵まれた高層建築の立ち並ぶ近代都市となった。タシケントはモスクワ、レニングラードキエフに次ぐソ連4番目のモデル都市として、整備が進められた。その頃の友好国インドに対して、地下鉄を含めた都市計画のデモンストレーション効果を狙っていたともいわれる。ともあれ、タシケント市内はモスクワと感じがよく似ている。違いはモスクワより多少広告が多いことくらいだろうか。

道路が片側3車線と広いので、あまり交通渋滞はない。そこで市民の足はタクシーとなっている。道路に出て腕を地面と平行または多少下に下げていると、普通の車が止まる。いわゆる白タクだ。運転手に行き先を告げ、値段交渉をする。近いところだと500スム(50円)、空港のように市内から12,3キロ離れているところだと1500スムくらい、もちろん外国人と見ると高くなる傾向があるが、市内であれば1000スム、人数や天候によって多少高くなる。プラスチック製の「TAXI」の標識を車の屋根に取り付けている「正規タクシー」もあるが、値段交渉が必要なことは白タクと変わりがない。それにタクシーの標識はバザールで誰でも買えるので、タクシーも白タクも区別がない。

タクシーに限らず、運転マナーはよくない。割り込み、信号無視も珍しくない。自分も青信号だったので安心して横断歩道を渡っていたら、クラクションを鳴らしながらバスが突っ込んできたことがある。自動車優先らしい。これでよく事故が起こらないものだと思うが、これは道路が広く、左右の確認が楽であること、また走行している車が少ないせいだろうと思う。

信号付き横断歩道はあるが、ひとつの目安であって、歩行者は左右を見渡して車が来ていないと思うと道路を横切る。とりあえず道路中央までいって、そこでしばらく車列が途切れるのを待っている人もいる。歩行者用の青信号は点滅無しに、突然赤に変わるので、おちおち安心して横断歩道を渡っていられない。それならばリスクは自分持ちで、好きなときに横断するほうがいい、ということになるのだろう。

なお道路を見ていて気づくことが二つある。まずオートバイが1台も走っていない。2番目は極端にトラックが少なく、ほぼ95%の車が乗用車ということだ。

「どうしてオートバイが走っていないのですか。」とロシア語の先生に聞いてみたが、「安いロシアの中古車が流れてくるので、高価な輸入品であるオートバイは売れないのでしょう。」というよくわからない返答だった。

しかし先日、タシケントの原宿、ザイルゴフ通りの歩行者天国で初めてオートバイを見た。1台はカワサキのGPZ、600cc、もう1台はデュカディ、それにまたがらせて写真を撮る商売をしているのだ。ワンショット1000スム(100円)で結構高いと思うのだが、子供や若者が次々にまたがって写真を撮っており、いい商売になっているようだった。もちろんエンジンなどかけない。オートバイはまだまだ高嶺の花、憧れの的という感じがした。

トラックを見かけないのは未だ理由がわからない。バザールでも屋根がつぶれるのではないかと思われるほど荷物を載せている乗用車をよくみるが、小型トラックをほとんど見かけない。また日本であれば流通産業への配送業務は人間の血流のように常に活動しているが、小売店やコンビニをあまり見かけないタシケントではトラックによる配送業務の必要性が低いのかもしれない。