チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブランコ祭り 4

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ブランコ祭り(4)

■祭りの会場
アカセンターを訪れること3回目、今日は間違いなくブランコ祭りだ。2,3日前からずっと雨模様であったがこの日は快晴。アトゥも張り切っている。ブランコ祭りはこの時期、アカの各村々で行われるが、センジャイパタナのブランコ祭りが有名であるのには訳がある。それはこの村の祭りにあわせ、近郷近在のアカ族が集って、民俗舞踊のコンテストが開かれるのだ。この日は日本から日テレ、バンコクからもテレビクルーが取材に来ていた。今年で4回目の開催という。あちこちから賛助金を集め、コンテストの企画、立案、関係者との連絡、調整に当たったのがアカ協会のアトゥである。プロモータとしてもかなりの能力があるようだ。

村の広場には舞台が設けられ、その前に大きなテントが張られ100ほどイス席が用意されている。この会場の隣の広場に高さ7,8メートルのブランコができていた。ブランコといっても4本の木を組み合わせ、その下に1本の蔓がぶら下がっているだけだ。蔓の一番下は輪になっていて、男はここに足をかけて、女は輪に板を挟んで座る。ブランコの後ろにはガラチュ(西洋ブランコ)と呼ばれる観覧車タイプの乗り物があった。大きな水車にイスが4つぶら下がっていてこれを人力でまわす。

■民族衣装の女性集団に圧倒される
そうこうしているうちに4トラックやミニバスに乗ったアカの女性が次々に会場にやってきた。タイの山岳民族の数は12といわれるが誰でもすぐアカ族の女性を識別できる。それは彼女たちが銀色の特徴ある兜をかぶっているからだ。黒か紺地の長袖、ミニスカート、膝下には脚絆、それぞれ精緻な刺繍が施されている。盛装したアカ女性を見るのは初めてではないが、この数の多さはどうだろう、ざっと数えて300名くらいいたのではないだろうか。
尖がり兜のウロアカ、兜の後ろに板があるミロアカ、破風に似たなだらかな兜のパミアカ、パミの女性はこの日ミャンマーからやってきたという。
彼女たちはそれぞれ長さ120センチほどの孟宗竹を持っている。竹にもあでやかな模様が描かれている。彼女たちは会場入り口に道を挟んで2列に並び始めた。手にした竹筒を縦に持ち地面に打ち付ける。10人に1人程の割合で直径15センチほどの小さなシンバル、あるいは1メートルほどの細長い太鼓を持った女性がいて、竹筒のリズムに合わせてドンジャンやる。ドンドン、ドンジャンドンドンジャンジャン、法華宗の太鼓のリズムによく似ている。300人が土を打つ竹の音は単調ではあるが勇壮でもある。朝日が女性たちの兜に白く反射する。華やかに着飾ったアカ女性の間をアトゥ始め地元有力者、長老たちがゆっくりと会場へと入っていく。今年の祭りの始まりだ。

■ブランコに乗ってみた
ブランコをぐるりと大きな輪で女性たちが囲み、ブランコの安全を祈る儀式があった。ジュマと呼ばれる祭司がお米や聖なる草を蔓の輪にちょっと載せ、2,3度揺らす。このあとデモンストレーションで村の若者が乗り、蔓が水平になるかと思われるくらい大きくブランコを揺らす。観衆から思わず歓声が上がる。このあとは女、子供、観光客、外人、誰でも乗ることができる。自分で漕がなくても、蔓に結んだ縄を引っ張ってくれるので10メートルくらいの距離を行ったり来たりできる。アトゥに勧められて自分も乗ってみた。女性、子供と同じく蔓に挟んだ板に跨って乗った。遠心力は掛かるし、何せ蔓1本であるからブランコが回転し、はるか下に見える地面がぐるぐる回って、気分が悪くなりそうになった。とても宇宙飛行士にはなれないと思った。
日テレのクルーとタレント嬢は祭りの開始から終了までずっとカメラを回しっぱなしで、話しかけるのがためらわれるほどの精勤振り、タイのテレビクルーの3倍ほど労働密度であった。
昨日、アカセンターで出会った写真家パブロはブランコや観覧車に乗ることもなく、ひたすらストイックに写真を撮り続けていた。アカの民俗衣装の女性がブランコに乗ると、カメラマンやテレビクルーがレンズを向ける。やはり「絵」になるのだ。
ブランコに乗りながら透き通るような声で歌を歌うアカ女性がいた。もちろん意味は分からない。古来、アカの女はブランコに乗るときにこの歌を歌っていたのだろう。その美しい歌声は高いブランコの上から風に乗り、山あいをわたっていったに違いない。アカの女性はその昔、森の妖精だったという伝説はもしかしたら本当ではないかと思える瞬間であった。