チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

乾燥気候

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乾燥気候

先週まで雪が降っていたと思ったら今週に入り、日中15度を越えるような暖かい天候となった。雪もすっかり融けた。街を歩く人の頭からシャプカというロシア帽や毛糸キャップが消え、黒革のコートやジャンパーも見かけなくなった。すっかり春、と言ってもいいが、まだ油断は禁物だ。気温20度近い日が続いたあと、突然、雪が降るということもある。3年前には4月に降雪があり、タシケント市民を驚かせた。

今年はウズベク人が20年ぶりという寒い冬だった。タシケントでも零下20度以下という日が何日かあった。零下10度以下となると、寒さで耳タブが痛くなるので、耳を隠すフードやキャップが必要となる。手袋をしていないとかばんを持つ手が2,3分でかじかんでくる。北海道の人には笑われそうだが、零下10度の寒さを生まれて初めて経験したので、面食らうことが多かった。

暖房のスチームがこの寒さに追いつけず、教室では生徒全員がコートを着て授業を受ける。通訳のナフォサットもコートを着ていたが、自分は脱いで授業をした。風邪を引きそうになった。

アパートもスチーム暖房だ。部屋の中は非常に乾燥している。濡れてしずくが垂れるようなタオルを寝る前に寝室にかけておくと朝にはパリパリに乾いている。SVの中には寝る前に寝室の床に水を撒く人もいる。午前中メードさんが来て洗濯物を室内に干していくのだが、夕方にはバスタオルまで完全に乾いてしまう。

夏は気温40度、湿度5%などという天然乾燥機みたいな日が続くから、洗濯物を干し終わったら、直ちに取り込みにかかる、ということになる。だから夏にウズベクを旅行する人は着替えを1組持ってくれば大丈夫だと思う。シャネルの5番で寝る気ならば着替えは持参しなくてもいい。

イカやメロンの皮をほおっておくと腐敗する前に乾いてきて皮がよじれてくる。乾燥メロンがウズベクの特産品というだけのことはある。

昨秋、冷凍の秋刀魚がアライスクバザールに出現した。クチコミで噂が広まり、あっというまに売り切れになったが、幸い2キロ手に入れることができた。生では食べられる量も限られているので、解凍した秋刀魚を塩水に潜らせ、丸干しとヒラキを作ってみた。夕方干し始めて朝になったらもう干物が出来上がっている。ヒラキを30度を越える日中も干し続けていたら、すっかりせんべいのようにカチカチになってしまった。それでも、おお、秋刀魚のヒラキだ、これがウズベクで食べられるなんて、と差し上げた人たちから喜んでもらったものだ。

なぜ中央アジアはこんなに乾燥するのか。
それはハドレー循環に関係がある。ハドレー循環とは、赤道付近で上昇した空気が緯度30度付近まで北上した後、下降し地表付近を南下して赤道に戻る循環のこと。ハドレー循環により赤道付近には常に上昇気流が存在し、低圧部となっており雨が多い。逆に緯度30度付近は恒に下降気流が存在し、亜熱帯高気圧となっていて雨が少なく乾燥気候となっている。

ジェームス・ハドレーはイギリスのお医者さんで、趣味で気象学をやっていたらしい。彼がこの論文を発表したのは1735年、日本では享保の時代だ。

いつも高気圧に覆われている緯度30度というとアラビア半島あたりで、タシケントの位置する北緯41度とはずれがある。どうしてかなと思ったら地球が自転しているので上昇、下降する気流が一定方向の流れを生じる。偏西風、貿易風と呼ばれるものだ、この気流がヒマラヤ山脈天山山脈パミール高原で分断され、乾いた空気が中央アジアへ流れこんで乾燥気候を作るとのことだ。一方、湿った空気はモンスーンとなってアジアを湿潤な気候にしている、という。

とにかく乾燥しているので静電気が発生して、何かに触れるたびにバチバチ音がする。JICA事務所は床が絨毯だから特に帯電しやすい。ドアに触れたり、書類を人に渡すときに火花が散る。

実際の経験は無いが、キスをすれば文字通り「キス・オブ・ファイア」となるはずだ。ウズベクの人は、一般に静電気を気にしない。余りにも日常的な自然現象だからだろうか。

静電気は体にいいのだと教えてくれたウズベク人もいたが、絶対、体にいいわけない。あと任期は1月たらず、この不愉快な静電気さえいつか懐かしく思い出す時が来るのだろうか。