チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本から来てくれた(1)

トートカティンの祭り、近くの寺で

タンブンをする人の列が何百メートルも

坊さんの数も60-70人

同上

タンブンが生きがいの人

夕暮れのワットロンコン

日本から来てくれた(1)

■大人、子供各2名

娘と5歳、3歳の孫、並びに義妹がチェンライに来てくれた。一時帰国の折、多少の爺ちゃん風を吹かせ「チェンライに来たら象に乗っけてやる」と広言していた。娘は独身の時3回ほどチェンライに来ている。義妹は医師だが子守を兼ねてきてくれた。多忙なので日程は日本の総選挙の終わった日に日本を発ち、アメリカの大統領選挙の前日に帰国するという短期の滞在だった。

男の子2人には象さんを見せるくらいでいいが、義妹にはチェンライの観光名所を案内しようと思っていた。久しぶりの日本からのお客さんである。10年ほど前は日本からの友人、知人並びに介護ロングステイの見学者が引きも切らず、その度に定番観光コース並びに定番レストランに案内したものだ。娘は叔母に自分が行ったことのある名所を吹聴しているに違いない。

久し振りのガイド兼運転手、テニス仲間には10日ほど休むけんね、と言って車の空気圧や燃料をチェックした。メコンの小型ボートクルーズ、白いお寺で知られるワットロンクンは外せない。象キャンプはここ7,8年行っていないが昔通りだろうか、値上げは仕方ないが、まず営業しているかどうか。象キャンプは先の洪水で被害を受けたと聞いている。象が流されて営業停止にでもなっていたら、おじいちゃんは噓つきだ、(どこかの首相と変わりないじゃないか)となじられ、祖父の権威失墜となる。石破さんと違ってやめるわけにもいかない。予め象キャンプ近くに住む友人にキャンプは営業中の確認を取った。やれやれ。

 

カオマンガイ

機内で子供が寝るようにと夜行便を利用して早朝にバンコク着、乗り換えて9時40分にチェンライ空港に到着した。車で空港から20分ほどの我が家へ。幼い男の子2人だから家の中ではじっとしていない。雨季明けの乾季、それほど暑くないし、子供は外に出て虫探し、アリがいるだけでもうれしいらしい。門扉を閉めておけば野犬は入ってこないし、蛇や毒虫が来ないように庭の雑草はきれいに刈ってある。

ちょうど鳥が突き始めたバナナがあったので、娘たちも集めてバナナの収穫、バナナを収穫した幹はもう実が生らないのですぐ切り倒す。切り倒された幹の横には代りの幼い幹が育ち始めている。バナナは離乳食から老人食まで万能食品、バナナさえあれば生きていける、新芽が出る限り、バナナは生り続けるのでバナナが植えられている家は貧乏な人が住んでいる。年金暮らしの自分には相応しい庭なのだ。この説明も初めての人は感心して聞いてくれる。

到着日のお昼は市内のカオマンガイの店に行った。カオマンガイ蒸し鶏ご飯のこと、ご飯は鶏のスープで炊き上げる。大抵この店にお客を案内する。安いし、美味しいのでみんなに満足してもらえる。日本ならカオマンガイ1皿千円はするが、チェンライなら200円前後だ。

 

■初日は白い寺

到着日からの観光は疲れもあると思うし、家で珈琲を飲みながら今後の予定やら近親者の近況、それに日本からの土産の配布、説明などで時間を過ごした。漬物の素、100円ショップのレンジで簡単手作り茶わん蒸し器など嬉しいものばかりだ。義妹は別れたカミさんの妹であるが、娘と仲が良く娘も何かと叔母を頼りにしている。カミさんはカミさん、義妹は義妹、昔からさっぱりした性格なので自分も話しやすい。

庭の子供は「虫だ、虫だよ」と大興奮。別に外に連れ出さなくても庭に出しておけばそれで満足のようだ。このくらいの年の子は好奇心の塊で何を見ても何があってもそれが「冒険」である。我が家にもガマガエルがいるし、カエルを狙って蛇も来る。バナナの葉を食べる毒虫もいる。マンゴーの木に蜂の巣があって刺されたことがある。一応、娘一行が来る前に人を頼んで庭の雑草を刈り、隣家から蛇が来ないようにし、バナナの葉に毒虫がいないことを確かめてある。アリやテントウムシゲジゲジ、蝸牛の殻を見つけては「オカーシャン、オカーシャン」だ。そのうちオフクロなど見向きもしなくなる。今、この時を楽しんでもらいたいものだ。

この日は観光には行かないつもりであったが、タイ人がチェンライ観光の第一に推す白い寺「ワットロンクン」に案内した。車で15分くらいの距離、夕暮れの寺はきれいかな、と思ったのであるが確かに美しかった。でも寺の拝観時間を過ぎていたので写真を何枚か撮っただけで帰宅した。自分が初めてチェンライに来た2002年はこの寺はまだ建設途上だった。何百年もの歴史を持つ古寺も多くあるのにこの「白い寺」がチェンライを代表する寺となっている。自分はちょいと理解不能だ。(続く)