日比谷
タイ人は、と言えない訳
■タイ人はいない
タイに長く住み、いくらかでもタイ社会に知見のある人ならば「タイ人はこうだ」とか「タイはああだ」といった決めつけはしないと思う。何度も書いているが大阪外大の元学長、赤木攻先生が著書「タイのかたち」の中で「タイにはタイ人はいない」と書かれている。タイ研究の第一人者である先生の長年の研究、考察によると、まず、人種的にタイ人は存在しない。先祖をたどればクメール系、華人系、モーン系、ラーオ系、マレー系、インド系など様々だ。
チェンライ市内のショッピングモールを歩く人々を見ても色の白い人、黒人とまではいわないが日焼けでは説明できないほど色黒の人、背の高い人、小柄な人、さまざまな人々が行き交っている。最近はファランの血が入ったエキゾチックな女の子もいる。タイにはベトナムのキン族やミャンマーのビルマ族のように国民の70-80%を占める主要民族集団はない。どうやら外来人が新しく外来人と混血して、さらに混血を繰り返し、ハイブリッドなタイ人ができているらしい。この自由な混血には西欧人も日本人も含まれていると思う。
血は混じりあいながら、内紛もなく一つの国としてまとめていく、にはスコターイ、アユタヤに始まり、現在のバンコク朝に繋がる王朝の苦労もあったことと思う。ともすればバラバラになりがちな国民を国としてまとめ上げる原動力となったのは王朝と仏教であろう。タイは多民族国家でもないし単一民族国家でもない。
■別の国だった
北タイ、チェンライは現バンコク王朝から見れば辺境の地でランナー王国という別の国だった。ランナー語、ランナー文字とタイ語とは違う言葉、文字が使われていた。最近できた陸橋に妙な文字が書かれているので聞いてみたらランナー文字だそうだ。ブアさんの年代の人にはもう読めない。でもブアさんたちは通常はランナー語で話している。タイ語、ラオス語に近いというが自分には全く理解できない。いくつかランナー語の単語を覚えて使ってみると皆大喜びする。
半世紀以上前、スペインのゲルニカに行ったことがある。そこでいくつかのバスク語の単語を覚えてGHで使ってみた。「アレー、ハポネスがバスク語しゃべっただよー」とGHのお婆さんが大興奮したことを思い出す。ちと違うかもしれないがダニエル・カールが山形で人気があったのと同じ。
ランナーとは「百万の田」を意味する。13世紀から20世紀まで存続し、20世紀バンコク王朝のシャムに併合された。チェンライ土着の人の中には「私はタイ人ではありません。ランナー人です」という人もいて結構誇りは高い。
バンコクから見ると北タイへ辺境の地で、なまじバンコクでチェンライ風発音のタイ語を話すとバカにされるという。バンコクは一種特別の高度文化都市だからバンコクの中流階級は北タイや東北部の人間を下目に、はっきり言えば差別視している。
■差別と階層社会の国
タイは階層社会で7千万人の国民がいればこの人は私より上、いや下かと王様を1番にして7000万番まで番号付きの上下関係がはっきりしているという。年上の人にピー、年下にはノーンと呼びかけるが、このピー、ノーンの使い方を間違えただけで喧嘩になり、時には殺人事件に発展する。タイ語にはあなたという2人称が12あると聞いたことがある。これを使い分けて暮らすのだからタイ社会に生きるのも楽ではない。
一応、大きく分けてタイには3つの階層があると言われている。
上流階級
(王族、それに準ずる人、大金持ちなど)
中流階級
(いわゆるホワイトカラー、医者、経営者、大学ー大学院卒などの高学歴たちなど)
日本は階層分化が進んでいると言われているが実際は総中流社会、両親の職業、学歴に拘わらず、東大の法学部を出て中央官庁に入れば上級国民となれる(見込みがある)。
タイではそれぞれの階級がそれぞれの文化の中で安定的に暮らしており、階級間を上がったり、下がったりしないという。偉くなって上流階級の仲間入りをしようといった「赤と黒」の世界は存在しない。
北タイの庶民に囲まれている自分とバンコクの企業駐在員が「タイとは、タイ人とは」と話をしても嚙み合わないと思う。人種的にタイ人はいないと赤木先生は言われているが、属する階層で文化、社会、考え方が違う。住んでいる場所、都会と地方でもこれで同じタイ人?というほど違いがある。
だから邦人同士でもタイ人について話すときは「私の付き合っているタイ人は」という枕詞が必要だ。タイを理解することはむつかしい。