故郷へ廻る六部は
■一時帰国
テニス仲間から日本に里帰りしないのか、とよく聞かれる。オランダ人のトンや米国人のジョージも奥さん連れで時折、帰国している。トンのタイ人奥さんは、いつも寒い時期に欧州に行くから行きたくないのよ―、などと言っているが、ファランのほうが気軽に故国を往復するようだ。兄は年に3,4回、ここ1,2年は2回ほど一時帰国している。自宅関係の雑用があるし、母の身の回りのものを仕入れに行く。でも介護用品はこちらで揃うものも多い。だから帰国回数が減っている。
兄に引き換え、自分の場合、こちらに来て6年8カ月になるが、2年前に運転免許証の書き換えのために一度だけ帰国しただけ。この時に更新した免許が失効するのは2016年、来年である。
しかし、免許更新のために帰国する必要があるか。タイで自動車、二輪車、両方の免許証を取得した。日本で運転することはもうないと思うし、必要ならばタイで国際運転免許を発行してもらえばいい。費用はわずか500B。日本で免許更新すると少なくとも、ン万円はかかる。これで、来年帰国する理由がなくなった。
別に用事がなくても日本に行こうかなあ、と思う時はある。特にテレビで海鮮料理、寿司、温泉、花見や地方の祭りなどの番組を見ると里心がつく。シンクタンク勤務のとき、グローバル経済化における日本の進路といったタイトルの研究会を手伝っていた。委員の一人、日本経済新聞の論説主幹が「外交官だって、駐在員だって、みんな早く日本に戻って熱燗で刺身を食って、温泉に浸かりたいと思ってるんだ。そんな国がグローバル化がどうだ、なんておこがましい」と発言、妙に納得したものだ。
熱燗で刺身、さしつ、さされつ・・・、いいですね。帰国の費用や時間を捻出する程度の余裕はある。でもキップの手配が面倒だし、テニスをして、ラオカオ飲んで、マンゴーやライチを食べて、時にはネットを読んで悲憤慷慨、こういう生活も悪くない。美味しいものはどこにでもあるし、住めば都。というより、積極的に行動を起こさない、何ごとにも退嬰的で怠惰な性格が一時帰国をためらわせていたのかもしれない。
■知合いの死
ずっとチェンライ住まいかな、と漠然と考えていたが、この春、ちょっとした出来事があった。
カナダ在住のS先生とは面識はないのだが、友人の紹介でブログを交換し合う仲となった。お互いの文章を転載しあったことも何度か。S先生は民俗学者で、エスキモーや中東、それに宗教への造詣が深く、いつも先生の配信を楽しみにしていた。本文のほか、個人的な近況も書かれる。その中で、友人が、がんの後遺症で3カ月の闘病生活を送ったが、退院の直前に奥様を交通事故で亡くされたという痛ましい話が紹介されていた。
前後の話から、友人とは自分が40年前、IJPCでお世話になった方ではないか、という気がしてきた。直接、本人にメールしてみたらその通り。
「実は、昨年7月中旬に一昨年手術した胃がんの後遺症なのか胆管炎を発症し、手術入院しました。 約3ケ月の入院でしたが、術後の体調回復がままならず、次にリハビリ病院へ直行転院。 本年1月末に退院したのですが、小生入院中の昨年12月、家内が、交通事故がもとで帰天するという事態がありました。
目下は、介護ヘルパーの手助けで夕食・掃除・洗濯のサービスを受けながら、独居生活を送っています。 入院中、一日置きに見舞いに来てくれた家内とは『退院したら、ゆっくり温泉に行って美味い魚でも食べよう。』と話していたことが実現できず残念で、残念でなりません。」
180cm近い長身の方だったが、「52キロまで落ちた体重を何とか引き上げて体力をつけたいと願っている状況です」とメールは結ばれていた。
実はカナダのS先生もがんに侵されていた。文章を書く気力がなく、と「チェンライの市場から」の記事転載の許可を求められてきた。何度か内容確認のメールを頂いたが、その原稿をアップする前に亡くなられた。ホスピスに移られて1月も経っていなかった。
■ 諸行無常
年や行いを考えると自分もS先生のように、萩原流行のように、いつあの世に行くかわからない。これっぽっちも世のため、人のためになるような人生ではなかったが、多くの人のご厚意におすがりして何とか生きてきた。生きているうちにお礼を言っておかねばならない人は少なくない。今年は4年に一回のIJPCのOB会がある。この会の開催に合わせ、10月に一時帰国することにした。故郷へ廻る六部は、の古川柳ではないが、残り少ない人生、人に会い、熱燗で刺身も食べて悔いのない旅としたい。