チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ6年8カ月

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介護ロングステイ6年8カ月

■長寿の祝い
この9月で母は90歳となった。90歳を卒寿という。なぜかと言うと卒の旧字体が九と十を重ねたように見えるからだ。でも卒寿は数えで90歳になった時というから、実際は89歳のときに卒寿だったということになる。還暦も満60歳というより数えで61歳が正確。還暦のあとは古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)となるがこれはすべて数えで呼ぶらしい。

長寿はめでたいことなので、それぞれの節目でお祝いをする。還暦を赤いちゃんちゃんこで祝う風習はまだあるのだろうか。60なんて年寄りじゃない、祝う必要はない、と言い張る爺婆も少なくないと思う。でも90ともなれば、年寄りと言われても本人も納得、家族の用意したお祝いの品を喜んで受け取ってくれます、とプレゼント販売のネットにはある。一生に一度のことです、和風の雑貨など如何でしょう、と切子ガラス、漆塗りのお椀などが紹介されている。

一族郎党集まって、三味線、踊り、カラオケの宴会もお勧め。「今までの人生を一緒に振り返り、この歳まで、元気に生きてきてくれたことへの『尊敬』と『感謝』の意を表し、これからも健康で、長生きできるように、楽しい時間をプレゼントしてあげましょう」。

■誕生日新聞
卒寿祝いにお誕生日新聞を送りませんか、という広告もある。
「お誕生日新聞は、140年以上前に発行された新聞から入手可能ですので、90歳の方も0歳の誕生日に発行された新聞を贈ることができます。90年前は、現代とは違い、交通・通信手段が発達していない時代ですので、そのころの新聞は見ごたえがあります」、「0歳~90歳まで、毎年の誕生日に発行された新聞をセットにして贈ることができます。90年前の新聞からさかのぼり、時代の変化を一冊でお楽しみいただけます。ご家族、ご友人とともに、過去の出来事を思い出し、楽しい時間を過ごしましょう」。

ウーン、確かに楽しそうだ。ネットで明治時代からの新聞を読むことは可能あるが、みんなと一緒に読む、というところがいい。

でも、今の母は寝たきりで、新聞を読むどころか、三味線、踊りも楽しむことができない。認知症の兆候は喜寿を過ぎた頃から表われていたと思う。お祝いして喜んでくれたのは傘寿くらいが限界だったのではないか。もちろん、その頃は兄が介護に明け暮れていてお祝いどころではなかったが。

■母の日常
母の日常はほとんど変化がない。朝は8時過ぎに着替えと朝食、食後、しばらくソファで休むのであるが、この時が一番しっかりしているように思う。話しかけるとしきりに何か訴えるようにモゴモゴというのだが聞き取れない。でも目はこっちを見ているし、手の握りも強い。朝食のあとベッドまどろむ。この時話しかけてもほとんど反応はない。

昼になると、女中さんたちに抱えられて、ソファへ移動、昼食、お粥はニイさんが3日分ほどまとめて作ってある。ふりかけやレトルト食品で多少バリエーションをつけてくれるが基本的には同じもの。息子としてはいくらか申し訳ない気になるが、食事は女中さんの専管事項、それにこの食事だからこそ、ここ7年弱、変わらず健康であるのかもしれず、口は出さない。副食の茶碗一杯のバナナがいいのではないかとも思う。

トイレは2日に一回、女中さんがそろそろ、と気配を感じて連れていく。トイレでは2人がかりで母を立ち上がらせたり、座らせたりする必要があり、自分も介助することがある。「ハイ、終わりました。コップクンカ―」と女中さんが言うが、ありがとうはこちらがいつも言いたい言葉である。
日中はまたベッドで横になっている。紙パンツの交換は、これも女中さんが、頃あいを見計らって行う。夕方5時に夕食、食事のあとすぐに横になると戻すことがあるので、食後は暫くソファで休む。

■蚊帳
夜になると女中さんが母のベッドに蚊帳を吊る。こちらは蚊が多い。殺虫剤、電気式蚊取り機、ラケット型高圧蚊取り機などいろいろ試したが、結局、蚊帳に落ち着いた。蚊取りラケットは充電式、高圧電流でバチッと蚊が一瞬にして死ぬ。達成感があるのだが、蚊が1匹とは限らないし、それに中国製だからすぐ壊れる。おそらく10本以上購入したと思う。

先月、日本からやってきた23歳の女性が我が家に投宿した。彼女は「私、蚊帳の実物を生まれて初めて見ました」と感激していた。日本ではもう蚊帳など使う家はないのだろう。子供の時、蚊帳の中でコロコロ転がって遊んでいて、母に怒られたことを思い出した。せめて母が傘寿の頃ならば、こんな思い出話をしてお互い笑えたのに、などと思った。