チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

頑張らない風土

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頑張らない風土

■儲けるためには
S-C=P。これは経営学の初歩。つまり売り上げ(S)からコスト(C)を引いたものが利益(P)となる。ビジネスの目的は利益を上げること。利益を大きくするには、売り上げを大きくする、あるいはコストを削減する、この2つしかない。売り上げ大きくするには投資が必要だ。投資はもちろんコストになるが、それ以上に売り上げが増えれば利益も増える。

今、我が家の周りでは今年最初の田植えが始まっている。田植え機が入った整然とした田もあるが、多くは直播(じかまき)である。直播だと田植えの手間がいらない代わりに、刈り入れまで田んぼに入ることができない。乾季に作る米は余り味が良くなく、クイッティオや煎餅の原料にしかならないという。あまり高く売れないのであれば、できるだけ手を掛けないほうがいい。おそらく肥料もやらないのだろう。肥料をやらなければ収量が悪く、収量の悪い米は味も良くない。コストはかからないが利益はそこそこ。大きな利益を求めようとする考えは無い。

米という字を分解すれば八十八となる。88回も手を掛けてやっと米ができるというのが日本の考え方。草取りを3回やるのと4回やるのでは1回多くやる方がほんの少しだが収量が上がるという。5回、6回と草取りをすれば効果は低減するが、収量は微増する。苦労は報われるわけだ。

Kさんの村の農家がどうして教えを乞い、利益の上がる米作りをしないのか、不思議に思う人がいるかもしれない。でもKさんのやり方は、多分、タイ人から見れば理解の外である。Kさんは、毎日のように田んぼへ出て、20センチほどの鉄の爪がついた除草機を押したり引いたりしながら雑草を取り、田の土をかき回す。これで稲の苗が刺激を受けて、しっかりと根を張るようになる。稲の生育期間に合わせ、7回ほど特殊な液体肥料を散布する。散布の方法は20キロ入りタンクをしょって、田の条を行き来する。さすがに日中は暑くてできないから、朝、夜明けとともに昼前まで作業を続ける。まさに重労働、そこまでやるか。

肥料代や労働力はコストである。でもKさんのやり方であればコスト以上の売り上げ、利益が確保できる。でもタイ人にはそんなに体力とカネ(肥料代)を掛けるくらいなら、ラクな自分たちのやり方を選ぶ。コストを掛けてまで売り上げ、利益を大きくしようという気持が無い。

■生きる目的はサバイサバイ
タイ人が全員そうだといわないが、苦労はしたくない、という気持は日本人よりは強いのではないかと思う。自分はどちらかというとサバイサバイ重視のタイ人に近い。だからどちらの考え方がいいかとは言えない。

ところで、コシヒカリあきたこまちなどの銘柄米は、馬でいえばサラブレッド、犬でいえば血統書付きのチャンピオン犬みたいなもので、そのあたりの煎餅用タイ米のように蒔いておけば実る、というものではない。温度管理、水管理、施肥の時期、非常にデリケートな芸術品である。タイ人に日本米を栽培させると、いくら高く売れるからといってもこんなに手がかかるのでは、もう作るのはごめん、というそうだ。

北タイでタイ人に蕎麦を作らせていた人がいる。蕎麦は痩せた土地にもできると聞いていたので、手がかからないのかと思っていたが、やはり水やりその他、いい蕎麦を育て上げるには細かい世話が必要だそうだ。毎年、委託栽培農家が変わってしまう。というのは、蕎麦づくりの面倒さに音をあげて、いくら儲かってもこんな苦労するならもう作らない、ということになるからだ。田には米あり、水には魚ありの飢えを知らない豊かな風土、足るを知る経済ではないが、高望みしなければ、サバイサバイで暮らしていける。

■先進技術の共有
心ある為政者、官僚であれば、このような国民性は許せないことだろう。国民が勤勉に働き、豊かな生活を送り、国力を充実させ、国威発揚を、と思っているはずだ。だから先進国からの技術援助を積極的に受け入れる。

陶磁器製造技術向上のため日本から専門家が指導に来ていることを知ったが、同じように米作りにも多くの農業指導員がタイに来ている。日本米の品種改良を行い、あまり手をかけなくても実る品種もできているに違いない。でも陶磁器作りを学んだ陶工の技術が広まらないように、日本米の栽培を学んでも他人には教えないという風潮があるのだろう。技術は自分の財産、教えたら自分の存在価値が無くなる、この考え方は日本以外の国では常識と思う。よりよいものをみんなと一緒に作りたい、タイにはこの思考は薄い。