チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

頑張らない風土(2)

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頑張らない風土(2)

個人主義
同じ性質、形の部品を大量に作るには金型が必要である。マレーシアのマハティール元首相は工業化のカギは金型造りにあり、と見抜いて、在任中、金型関係企業が集積する川崎に何度も足を運んだ。企業進出も要請した。さらにはクアラルンプールに日本にもない「金型大学」を設立し、金型技術者の育成に努めた。しかしながらこの取り組みは成功したとは言えない。金型工は一人前になるまでに10年はかかると言われる。金型は金属加工、焼きいれ、機械設計、CAD/CAM多くの学問の集積で、更に技術は日進月歩、とても数年の勉強ではモノにならない。卒業して金型企業に勤めても、叔父さんの旅行代理店を手伝う方が収入がいいと言ってあっさり辞めてしまう。技術の蓄積は個人レベルでも国レベルでも簡単ではない。

以前、自分が勤務していた会社でイラン人修業生を受け入れた。研修中、テストをすると言ったら、初めは拒否(みんな分かっているから必要ないという理由)、その次はテキストのどのページから出るか、最後は設問と答えを予め教えてほしい・・・・。さらに研修終了後は、「日本で研修した」という実績を元に、他社あるいは他国に行ってしまった人が結構いた。もし、日本人技術者たちが海外研修に派遣されたら、夜はみなでノートを見せあって、全員が研修内容を理解できるよう頑張るはずだ。帰国途中に脱走して外国に転職など考えられない。

■公(おおやけ)を優先する伝統
できる人はできない人に教えてやる、これは日下公人氏によると江戸時代から続く日本の伝統だそうだ。勘定方見習いの若侍には同輩や組頭が仕事を教える。自分も若手社員が親切に教えてくれたおかげで、ワードやエクセルが使えるようになった。年配社員にコンピュータを教えるということは彼の職務マニュアルにはない。もし外資系の会社だったら、ちょっと教えてと頼んでも、それ、私の仕事じゃないですから、で終わりだっただろう。昨今のいわゆるグローバル経済下の会社では、自分は落ちこぼれになったに違いない。

北里柴三郎ベルリン大学でコッホ博士のもとで学んだ。北里の優秀さを認めたコッホは大学に高給の教授職を用意するから、このままドイツにとどまってはどうかと勧めた。しかし、北里は私は天皇陛下からの下賜金で留学しております、帰国してそのご恩に報いねばなりません、と言ってコッホの申し出を断った。戦前はもちろん、戦後も留学生のほとんどが日本に帰国し、持ち帰った学問、技術を後進に伝えている。

因みにお隣中国では、政府教育部の発表によると、改革開放開始から2013年末までの、国外留学者数の累計が305万人に達し、そのうち帰国者数は144万人あまりと約半数以上が国外に留まっているとのこと。


■切磋琢磨しない社会
タイの陶磁器について書いたブログに「1960年代に陶器の勉強に日本に来たタイ人たちが、定年退職して、日本語や英語のテキストのタイ語訳を作り始めました」というコメントを頂いた。このタイ人の陶工たちは、自分の技術は自分の中に納めて、現役時代は後進を指導しなかったのだろう。穿った見方をすれば、自分の地位が脅かされる心配の無くなった退職後にタイ語訳を作り始めたのではないか。経験がモノ言う職人の世界でテキストがどれだけの意味があるかわからないが、タイの陶工はテキストを読みこんでよりよい陶磁器を、あるいは伝統を打ち破る陶磁器を作ろうとするだろうか。50年前にできなかったことが、今ならできるのか。

タイ語のジアップ先生のお父さんは役所で農業指導の仕事をしていたそうだ。世界開発2008年報告によると、タイの農村人口は国民の68%、農業部門のGDPに占める割合は11%と農業生産性は低い。農業経営、農業技術の向上は農業国タイでは重点課題である。さぞかし、ジアップ先生のお父さんは多忙であったろうと思ったが、実際は閑職で、いつもぶらぶらしていたようだ。というのは、積極的にお役人が農民の中に入っていって農業指導、啓蒙活動をすることは無く、農民が聞きに来れば教える、といった体制だった。だから尋ねてくる農民がいなければ仕事は無い、というわけ。

Kさんはパヤオにある農業高校の先生を訪ねて、米作りの技術指導を仰いだそうだ。聞けば親切に教えてくれるという。でもタイ農家は来ない。タイ人がよりよいものを目指し、努力し、結果として豊かになる、そうしないのはタイ人が怠けものだから、成功体験が無いから、あるいは個人主義だから、などの理由はあげられるだろう。
でももっと根本的な原因が他にあるのではないかと自分では感じている。(続く)



写真はチェンライの花博から