百ヵ日法要
■ 拝む対象
友人のTさんが事故死したのは7月26日夜のことだった。翌朝、行方不明のTさんを探しに行った。現地に着いた時にはすでにトラックが川から引き上げられており、何も役に立たなかったのであるが、車から遺体が引っ張り出されて道路わきに寝かされ、検死を受ける様子や、救急車で運ばれていく一部始終を眺めていた。通夜、葬儀も一部参列した。
仏教でもタイは上座仏教であるから、日本とは弔いの仕方が少し違う。坊さんは部屋の中でお経を唱えていたが、部屋の中にはお棺も位牌も遺影もなかった。庭のテント下に集まった人々はお坊さんたちがいる部屋、庭に安置されたお棺とその祭壇、あるいは遺体の保管されている冷凍庫がある母屋などてんでんばらばらの方向に手を合わせていた。
■親切な保険会社
葬儀期間中に保険会社が駆け付け、遺族に交通事故の死亡保険金の目録を渡した、という。「この度は・・・・」とこっそり渡すのではなく、よくゴルフで「優勝賞金xxx万円」と書いた縦30センチ横120センチほどのプレートを前に選手とスポンサーが記念撮影というシーンを見るが、それと全く同じ。死亡保険金xx万バーツと書かれたプレートの前で未亡人になったばかりの奥さんと保険会社の人が記念撮影。
ゴルフの優勝の時のように全員笑顔であったかどうかはその場に居合わせなかったのでわからない。
日本なら不謹慎ということになろうが、突然の出費がかさむ遺族にとっては力づけになるだろう。日本に比べ、タイの保険会社は親切だ。昨年、左足首を骨折したが、手術が終わって病室に戻った時、保険会社からの果物の盛り合わせ篭とお見舞い状が届いていた。
傷害保険に入った時、プラスチックのカードをくれた。病院に担ぎ込まれた時、このカードを渡しただけで、入院費、治療費、リハビリ費用、松葉杖に至るまで費用はすべて保険でカバーされ、立替費用、自己負担は発生しなかった。そればかりか、お見舞い金として幾らかの現金まで出た。日本であったら取りあえず立替払いで、あとあと証明書を添付して自分で書類を作成する必要があっただろう。
これでもタイの保険会社は儲かっているのだから、日本の保険会社の利益はいかほどのものか。傷害保険、生命保険でも被保険者の申し出がない限り、保険金の支払いには応じない。つまり遺族が保険のことを知らなければ、支払い義務については頬かむりである。
■最後の法要、100ヵ日法要
インド仏教では命日から7日ごとに法要を行い49日を持って魂は六道のいずれかへ生まれ変わる。これでお終い。
日本では泣き納めを意味する「卒哭忌」を命日から100日目と定め、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌と続いていく。
タイでは葬儀と並んで大切なのが100ヵ日法要、死者の魂はこの日まで現世をフラフラしている。だから遺族は遺品や財産の整理をこの日がすむまで行わない。100ヵ日の法要には坊さんを呼び、近所の人にお斎をふるまう。これで法要はお終い。1周忌もない。遺灰はどこかに撒かれてしまっている。あるいは花火に仕込んで空中でポーンと爆発して風に流されてしまっている。
Kさんが火葬場にTさんを迎えに行ったよ、という。火葬場にTさんを祭ったサンプラプーム(お社)があり、そこにTさんがいるので、助手席に乗せて(もちろん助手席は空席)Tさん宅へ来た。庭にしつらえられた宴席にはTさんの席が決められ、そこにビールや料理が置かれる。
チェンライ郊外メ―カムトムタシュット村にある日本寺(ワット・イープン)の住職、Mさんにより法要が執行された。Mさんは日蓮宗の現職の僧侶である。室内に大きなTさんの遺影が飾られていた。遺影の下の部分にはタイのお金が印刷されており、遺影とお金を一緒に拝むことになる。
やはり日本式の法要は有難味が違う。途中、関係者がお線香を上げるのも参加意識が高まってよろしい。ご焼香はタイ人にはなじみがないようで、参列していたタイのおばさん達は顔を見合わせるだけで参加しなかった。お経の途中、奥さんがKさんにいくら包んだらいいか聞きに来た。「キモチ、キモチ」。もちろんMさんはお布施は受け取らなかったが。
30分ほどの法事と法話が終わったあと、カレーとワカメスープのお斎が出た。
話は、Pさん、日本に帰って連絡がないね。Fブックにも返信が来ない、国でお父さんの看病してると聞いたが、そんなことはない、親父さんは物心つく前に亡くなった、と本人から聞いた、などと、故人を偲ぶような話ははさっぱり出ず。まあ卒哭忌だからいいのだろう。これでTさんも完全に成仏されたことと思う。
写真は上から「お棺」「読経」「関係者焼香」