介護ロングステイ3年9ヶ月
■映画好きだった母
友人から映画のコピーソフトを大量にもらった。これで老後、時間を持て余すことはないと思う。コンピュータ画面上でスクロールすると「第三の男」、「禁じられた遊び」、「ローマの休日」、「カサブランカ」などの懐かしい映画名が出てくる。
母は若い時から映画が好きだった。自分は小学校に上がる前から、よく映画館へ連れて行ってもらった。母はジェラール・フィリップというフランスの2枚目俳優のファンだった。北国の小都市の映画館で母と「夜毎の美女」を見た覚えがある。
この映画の公開は1952年となっているから、半世紀以上前のことになる。
淀川長治が編集長をしていた頃から「映画の友」が母の愛読誌だった。自分がハリウッド映画全盛の頃の女優さんの名前をよく知っているのは母の影響と言えるだろう。
認知症にかかってから母は映画にもテレビにも本にも興味を示さなくなった。新聞も読まなくなった。外界に好奇心が薄れていくにつれて、不安感からか「お腹が痛い」と頻繁に訴えるようになった。
少しでも刺激になれば、と兄は古い映画のDVDを買ってきて母に見せていた。しかし、映画館へ行くことが生き甲斐だった母なのに1、2分テレビ画面を見ただけで、「お腹が痛い、足が痛い」と言い始める。この映画、昔見たことあるでしょう、と言ってもわからないと答える。
買ったDVDは兄がウズベキスタンにいた自分に送ってくれた。JICAタシケントのフロアの一角に通称「隊員部屋」と呼ばれる図書室兼集会室があった。見終わったDVDは全て本棚に置いた。今でも協力隊員やシニアボランティアが「酔いどれ天使」、「7人の侍」といった黒澤映画や「シェーン」、「駅馬車」などの西部劇を楽しんでいるだろうか。
■確実に進む老い、整体の効果は?
2009年1月にタイに来た。その当時、母は、時折訪れるお客さんにもまあ普通に応対していたし、時には冗談を飛ばしてみんなを喜ばせていた。一時は足も丈夫になって、家の中や庭を歩くほどに回復し、徘徊老人になるのではないかと心配したほどだった。
でもそれから3年以上経った今、長い会話はしないし、歩行はできなくなった。仕方のないことだが、老いは確実に進行している。
整体をすれば歩けるようになるでしょう、と整形外科医に言われ、7月から毎日1時間、整体師のリハビリを受け続けている。医師は一応、1月を目処に、ということであったが、やはり歩くまでには回復しなかった。でも足や手の屈伸、立ったり座ったりの運動は、歩けるようにならないまでも体力維持には役立つであろうと思ってその後も継続している。
脳のCTスキャンフィルムを見ると母の右脳が左に比べて萎縮の度合いが大きい。そのせいか、左目の視力がゼロになり、左足の膝が曲がって伸びなくなっている。左手の握力も右手に比べれば弱い。でも整体のおかげで左手の握力が少し回復したように思うし、ベッドの端に座らせた時、体が倒れなくなったのは整体の効果だと思う。
整体師のジェニさんは30歳くらいのスラリとした美人である。彼女にママさん、ママさん、歩く?などと声をかけてもらうことも多分いい刺激になっているのでは、思っている。
■車椅子
以前は母を車椅子に乗せて団地内を散歩したものだ。母は「歩く」と言って車椅子での散歩を好んだ。声をかけてくれるタイ人には「ご苦労様でございます」と答え、赤ちゃんには「可愛いねえ」を連発して若いお母さんを喜ばせていた。いつも吠えかかる性悪の犬には、「こら」と車椅子から叱ったりしていた。
兄が車椅子を押していたら、そういうことは女中さんにやらせなさい、とタイ人から忠告されたそうだが、話しかけたり、時には一緒に歌を歌いながらの散歩は母にとっても良かったと思っている。
町内会長ナーさんの奥さんから「最近、車椅子を押している姿を見ていないが、ママさんは元気ですか」と聞かれた。
いつごろからか、母に「歩く?」と聞いても頭を振るし、車椅子で散歩しても外界にはほとんど関心を示さなくなった。整体を始める前だから姿勢が崩れ、椅子からずり落ちそうになる。それで散歩は中断してしまい、車椅子はベランダの片隅に置かれたままになっている。
整体で姿勢もしっかりしてきたし、夕方は全く暑さを感じない爽やかな乾季も到来した。車椅子で団地内を回り、ご心配頂いている皆さんを安心させようかな、とも思うのだが、当の本人が喜ばないのでは散歩の意味もないのかなあなどと考えている。
写真は最近の母の様子