チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーン小旅行 7

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ナーン小旅行(7)

■ワット・プーミン
ナーンの見所として外せないのは、タイを代表する古刹、ワット・プーミンだ。1596年にカーオ王国の国王チェータブットプロミンによって建てられ、ワット・プロミンと呼ばれていた。プロミンがなまってプーミンになったらしい。1704年には敵国であったビルマ軍の攻撃を受けて、仏像が破壊されている。
ナーン王国が成立し、アナンタヨットが1857年に年即位すると、アナンタヨットはナーンの寺院の改修・建立を積極的に行った。ワット・プーミンもこの時改修が始められ、これは1875年まで続けられた。現国王プミポンの4代前のラーマ5世チュラロンコーン大王がタイを治めていた時代に当たる。ナーンは形ばかりの貢物を差し出し、チュラロンコーン大王のチャクリー朝に服属していたが、実際は独立領土であった。フランス人が来て、ナーンのチーク材を盛んに切り出していた時期だから、木材利権で王室経済も豊かであったのだろう。

このワットは国立博物館を出て右に100mほど行ったところにある。十字形の美しい本堂は、以前1バーツ紙幣の図案に使われたこともあるという。日本なら法隆寺の夢殿、といったところか。本堂には前後左右に4体の本尊が鎮座していて、どこの入り口から入っても正面に仏様を拝むことができる。

残念ながら自分が行った時は、本堂は改修中で屋根は鉄板に覆われ、仏様も布がかけられていた。
このワットには世界的に有名な壁画がある。工事中で暗い堂内ではあったが入り口と窓からの光でしっかりと見ることができた。

壁には釈尊の前世の物語「ジャータカ」、ランナー地方の民間伝承、ナーン地方の人々の生活が3層に分かれて描かれている。「エロチックナーン」という解説もあるように、男性が女性の体に手を回したり、女性が男性を口説いている場面などもある。お寺の本堂の壁画として如何なものか、という気がしないではないが、いろいろな表情を持つ人々が、洗練された筆さばきで描かれており、見ていて楽しい。壁画は雲南から渡ってきたタイ・ルー族の移民によって19世紀に描かれたというが、作者は不明である。

■地獄ジオラマ
ワット・プーミンの境内にトーチカのような饅頭型の建物がある。中に入ってみると亡者が地獄の責苦を受けている様が、人形を使って再現されている。鶏や牛の頭の獄卒が盛んに釜の火を焚いている。釜の中では亡者が煮られている。舌を抜かれて苦悶する男もいる。8大地獄の中の叫喚地獄である。この地獄に落ちる人は殺生、邪淫、飲酒の戒を犯したものとなっている。ビールとラオカオを愛する自分もこの地獄に落ちるのか。

その横ではトゲトゲの木につるされた男がお尻を獄卒に突かれている。これも地獄のお約束事、「衆合地獄」だ。淫らな行為を繰り返した人が落ちると言われている。剣の葉を持つ林の木の上に美人がおいでおいでと誘惑して招き、亡者が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに亡者の体から血が吹き出す。肉も削げる。果ては鉄の象に踏まれてぺしゃんこになる。しかし、獄卒の「活きよ、活きよ」の声でまた肉体を取り戻し、同じ責苦を受ける。

「淫らな行為を繰り返す」という定義を素直に解釈するならば、タイのロングステイヤーの7割はこの地獄に落ちるのではないか。
その前に、タイ娘に騙されてすってんてんになり、この世でもう地獄を見てしまいました、という人も少なからずいる。

この地獄ジオラマは、大層おどろおどろしいように思われるかもしれないが、実際はユーモラスである。亡者も獄卒も、中央後方にどっかりと座る閻魔大王と思しき人物まで短パン一丁、上半身裸なのだ。釜ゆでになっている亡者は釜の大きさからいって、下半身が無いように見える。
まあ、言ってみれば高校の文化祭で見掛けるお化け屋敷のノリといったところか。

■カリビもよくやった
この日は午前中、博物館とお寺をいくつか見て、ホテルに戻った。昼からビールを飲んで、2時間400Bのタイマッサージを頼んだ。マッサージのあとはベッドで読書、夕方、ナーン川岸の公園を散歩、カップルや家族連れ、それに川面のドラゴン艇などを見た。夜はホテル周辺の食堂でさびしく食事。でもナーンの良さを満喫した1日だった。(世の中に まじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞ われはまされる)

3日目は、9時過ぎにナーンを出発、地図で近道を探しながらチェンライへ。往路より100キロ近く短く、昼食を自宅で取れる時間に着いた。往復約600キロ、愛車カリビアンの信頼度がほぼ100%となったことも旅の収穫といえる。(この項終わり)