チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイから日本へ(THAI FOR JAPAN)

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タイから日本へ(THAI FOR JAPAN)

■ タイ人っていいな
バード・ソンチャイを知らないタイ人はいないだろう。タイの国民的歌手、彼のアルバムは2千万枚以上の売り上げがある。
東日本大震災に被災した日本を励まそうと、多くのタイ人とバードが協力して、THAI FOR JAPAN(タイから日本へ)という歌を作った。それはUチューブで見ることができる。
是非、この映像(http://www.youtube.com/watch?v=zgy8bFVWM2E&feature=player_detailpage )を見て頂きたい。

バードの歌をバックにタイの人々が「日本頑張れ」、「前へ進め」などと書かれたボードを持って微笑んでいる。その微笑みの数々も素晴らしいが歌詞もいい。バードはタイ語のみならず、日本語でも情感を込めて歌っている。

もうすぐ新しい日が訪れる
もうすぐ地平線に太陽の光が見えてくる
もうすぐ失った気力と心の力を取り戻せるだろう
今すぐ 今すぐ

大波が去り、涙の波が残された
それを思いやりの波に変える
運命が多くの命を奪っていった
それでも涙を拭いて歩き続けよう
辛いことはやがて去っていく

最初、このUチューブを見た時、タイの人々の優しさに胸がいっぱいになり、思わず涙がこぼれた。いい年をして、と笑われるかもしれないが、感動するということは決して悪いことではないだろう。

当初、歌手の名前が分からず、タイ語のジアップ先生にUチューブをメールして教えてもらった。ジアップ先生もこの歌を聴いて、滂沱の涙を流されたとのこと。「バードの日本語の発音は大丈夫ですか、わかりましたか」と語学の先生らしい質問をしてくれた。このUチューブのおかげで、また少しタイが好きになったような気がする。

■メナムの残照
バードはもともと銀行員であったらしい。銀行員で歌手というと小椋佳みたいだが、比べ物にならない。バードはタイポップミュージックの大御所であるばかりでなく、国民的スターとしてテレビドラマ、映画、ミュージカルでも大活躍。彼の最大の当たり役は、「メナムの残照」の主人公、小堀大尉だ。

「メナムの残照」は原題「クーカム(運命の相手)」、タイの女流人気作家トムヤンティが1969年に発表した小説である。
太平洋戦争期のバンコクを舞台に、バンコクに駐留した大日本帝国海軍大尉のコボリと、タイ人女性アンスマリンとの悲恋を描いた物語。角川書店から邦訳が出ていて読んだことがある。甘ったるいメロドラマで、それほど完成度が高いとは思えなかった。大体、兵営を度々抜け出して大日本帝国の海軍将校が現地女性とデートすることからしておかしい。

これまでに何度もテレビドラマ(1970年、78年、90年)、映画化(1973年、88年、95年)されている。テレビドラマが放映された時は、時間になると街路から人影が消え、バンコクではスリやひったくり、強盗事件が激減し、チェンマイのナイトバザールの売り子たちもファランの客を店先に待たせたままテレビを観ていた、というから凄まじい人気である。コボリとおしんはタイ人によく知られた日本名だ。
バードは90年のテレビドラマ「クーカム」26話完結と95年制作の映画でコボリ役を演じて、絶大な人気を得た。

■コボリの描かれ方
「クーカム」はフィクションであるが、比較的、史実に忠実に描かれている。
戦争末期になると、連合軍によるバンコクの日本軍拠点を狙った空襲が激しくなり、バンコク・ノーイにある造船所への空爆が行われる。実際にここには海軍が買収した造船所があり、南方戦場の沿岸や河川で使用する木造船を建造していた。空爆で瀕死の重傷を負ったコボリと造船所に駆けつけたアンスマリンとの2人の場面が悲しいラストシーンとなっている。

小説ではコボリは、アンスマリンに好意を抱き続ける誠実な男として描かれている。作者の、また多くのタイ人の日本人観が反映されたものであろう。

中国のテレビでは戦争ドラマが四六時中、放映されている。西部劇のインディアン並みに日本兵八路軍に殺されるのだが、それはまだいい。将校が部下に命じて、中国女性の服を剥ぎ取らせ、レイプするという場面も出てくる。上から下まで悪逆非道の日本軍人という設定だ。

実はタイに派遣された日本軍の多くは支那戦線から送られてきた。もし、中国で悪行の限りを尽くしていたのであればタイでどうして、それも敗走する日本兵はタイ人に疎まれるようなことをしなかったのか。

日本人は誠実だ、戦前からずっとタイ人は日本人に温かい目を向けてくれた。それは今も変わらない。洪水被害に際し、ブアがビックリするくらいの義捐金を出したのは、タイ人の優しさにいくらかでも応えたいという気持があったからだと思う。


写真はバード作品のポスターと彼の記事から