チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

読書について

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読書について

■チェンライの読書環境
本を読まなくなったのは図書館や書店がないからだろうと思われるかもしれないがそうではない。日本の書籍がチェンライでも読めないわけではない。

チェンライ郊外パーンにTさんという邦人が住んでいる。読書家である。毎日、ビールを飲みながら文庫本を読むのが楽しみという退職者だ。なんとなく読み終えた本をみんながTさんの家に持ち寄るようになった。自分も友人のくれた中古文庫本をかなり寄付している。また彼には都下の公立図書館に勤務する友人がいて、図書館で廃棄処分になった文庫本を時折船便で送ってくれる。

そんなわけで、Tさんのところに行けばかなりの数の本があり、誰でも貸してもらえる。ノートが1冊あって、名前と日付と借りた本の点数だけを書けばいい。返す時はその横に返却点数と日付を書くだけ。旅行者が置いていった本が多いからフランス書院から講談社学術文庫までバラエティに富んでいる。中には「部下を持ったら読む本」とか「気くばりのすすめ」、「組織を動かす」といった今更、自分が読んでも仕方ない本もあるが、井筒俊彦先生の「イスラーム文化」、「マホメット」などの名著もあり、しばしウズベクイスラム社会を回想することもできた。
新田次郎大沢在昌池波正太郎赤川次郎宮城谷昌光等、小説は多数ある。本の選び方によっては相当楽しめる。

■本当の読書とは
仕事関係の本を読むのは社会人として当たり前、これは読書とはいえない、と聞いたことがある。医療用機器を販売していたころは医学書を、監査室にいた頃は、内部監査の本を、シンクタンクに出向していた時はアジア政治経済に関する本を、ウズベク赴任中には経営学ベンチャー論の本を読み、その時々、まるでその道の専門家のような口をきいていた。口をきく程度ならまだしも、ずうずうしく人前で講義までした。

仕事の必要上読む本は面白かったかというと、自分が好きで読む本に比べれば退屈だった。その証拠に殆どその内容を覚えていないし、読み返したいとは思わない。
学生の頃、熱をあげてスペイン語を学び、一時はスペイン語の新聞まで読んでいた。しかし今はグラシアスとかアディオスくらいしか出てこない。読書も語学も同じようなものだ。昔は結構やったような気がするんじゃが、今となってはさっぱり思い出せんのう、といったところだ。

ウズベクから戻ってはれて完全無職の身になった。仕事関係の本はもう読まなくてもいい。図書館は近くにあるし、時間もある。
遅ればせながら井上靖の西域紀行を拾い読みするうちに、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのシルクロード雲南紀行を読みはじめた。そして司馬遼太郎福原麟太郎に言及していることを知り、福原麟太郎随想全集全八巻を全部読んでしまった。また福原麟太郎が同じ英文学者、吉田健一の文章を絶賛していたので、彼の全集に取りかかったところで、タイに来ることになった。こういった芋づる式読書は先人の道しるべがあったからとはいえ、実に楽しく興味深いものだった。これが本当の読書というべきだろう。本を読むならこういう読み方をしたいのだが、残念ながらチェンライでは無理だ。

■読書しない人が半数
公文研究所が日本を含む世界十カ国・地域の10歳の子供を対象に実施した読書に関するアンケート調査(2006年)によれば、読書好きの水準は、香港、フィリピン、オーストラリア、アメリカなど十カ国の中で日本が最下位だったという。ゲームやテレビアニメなど本以外に子供の興味をひくものが多いからだという。
子供ばかりでなく、文化庁の平成20年度調査でもこのひと月全く本を読まなかったという人の割合は46.1%、6割以上の人は読書量が減ったと答えている。

自分もタイでの読書量は激減している。その上、読んだ本の内容は覚えていない。となるとそれでよくブログが書けるな、と言われそうである。実は原稿の情報の多くはネットに頼っている。
以前、何本か山蛭について原稿を書いた。気持ち悪いからやめろ、という知人がいたので連載を中止したが、あの時はネットからコピーしたかなりのヒルネタがあった。飛騨のヤマビルが登場する泉鏡花の「高野聖」もPC画面で読み通した。今や名作をwebで読むのは常識。

確かに読書時間は減ったが、webで「活字」を追っている時間は確実に増えている。日本でも書籍を買わなくてもiPadで読書を楽しむ世代が育っている。そうであれば、識者が若者の活字離れを嘆く必要はないのかもしれない。


写真はチェンセンのワットチェデルワン、小さな仏さんはビアンカロンのお寺のものです。どこの仏像もキンキラキンです。