チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

読書の秋

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読書の秋

■秋の夜長
9月は異常気象かと思うほど残暑が厳しかったが、さすが10月に入ると気温が下がり、秋涼という形容がふさわしい気候になってきた。この頃になると書店には「読書週間に読むこの100冊」、「秋の夜長に読むミステリー50冊」、「本屋の店長お勧めの30冊」と言った宣伝ビラが張られる。本を読まない人は非国民だ、と言わんばかりの熱の入れようだ。

「読書の秋」とか「灯火親しむ」の出典は唐代の文人、韓愈(かんゆ)の「符、書を城南に読む」の詩にある。
「時、秋にして積雨はれ、新涼郊?(こうきょ)に入る。灯火ようやく親しむべく、簡編巻(かんべんけん)舒すべし」、長い雨の季節は終わり、秋になって爽やかな気候になってきた、ともしびが気持にしっくりくる季節である。だからしっかり本を読んで勉強しなさい、と韓愈が息子の符に教え諭した詩とのこと。

秋は気温が14~16度と脳の活動に最適な温度になるため、読書や勉強に没頭しやすい時期なのだそうだ。秋になると日本では陽が落ちるのが早くなり、紅葉した木の葉を渡る風もひんやりとしてくる。秋の夜長、書店にいわれなくても、日ごろの忙しさにかまけて読めなかった本をじっくり読んで見ようか、という気になる。

ところがここチェンライでは10月になっても日中の気温は30度前後、脳の活動に最適な気温にはならない。乾季、雨季の区別はあるが年間を通して短パンにTシャツで過ごせる。地球の軸が傾いているから、チェンライでも夜明けは遅くなったし、日が暮れるのも早くなった。でも木の葉は紅葉しないし、庭の草木も青々としている。毎日同じような天気、締まりなく日々が過ぎていく。季節の変わり目にしみじみとした情感を感じるといったことは全くない。少なくともゆっくりと読書をする気分にはなれない。

■読書遍歴
読書しない理由を気候に求めてはいけないとは思うがチェンライに来て本を読まなくなった。

子供の頃、家の近くに作家山本有三の洋館があり、その一室が有三文庫という私設図書館になっていた。小学校から戻ると有三文庫に行って「世界童話集」などに読みふけっていた。多分そのころから読書が好きだったのだろう。中学校では図書委員。自分の職責と嗜好が一致していたのは生涯でこの時だけではなかったか。
高校時代は片道1時間の電車通学だったから、1日に文庫本を1冊の目標で読んでいた。岩波文庫の星ひとつが30円だっただろうか。

大学生になったのだから、と小遣いをくれなくなった。その代わり母が毎朝、弁当を作ってくれた。弁当を家で食べると母が烈火のごとく怒るので、朝、弁当を持って大学に行く。授業に出ないので自然と足が図書館に向く。勉強はしなかったが、図書館の雰囲気が好きでよく閲覧室で時間を過ごしていた。
悪友は自分が図書館にいるのを知っていて、麻雀の面子が足りなくなると、「あー、いた、いた」と呼びにきたものだ。

金がない割には怠惰なせいでアルバイトはほとんどしない。あまりお金を使う方ではなかった。でも社会学タルコット・パーソンズの著書を何度も手にとって、本当は欲しかったのだが「図書館で読めるから・・」と自分に言い聞かせて大学生協の書棚に戻したことを今でも思い出す。

社会人になって、金回りがよくなった。今日は1万円分本を買おうと大型書店に通ったことは懐かしく、楽しい思い出だ。社会人後半になってくると家族も増え、お父ちゃんの小遣いは減ってくる。そのころから公立図書館にコンピュータが導入され、図書館が利用しやすく身近なものになってきた。自分はもちろん家族の利用カードまで使って本を借りまくった。

■読書をしていたのは何のため
一方で溜まり続ける本はいつも家人の苦情対象だった。10冊ずつ紐で縛り、「もし、1年間、読まなかったら処分していい」ということにした。その結果、結構な量の本が救世軍に寄付されてしまった。持っていても読まないのであれば場所ふさぎ以外の何物でもない。ウズベクから帰国した時、もう自分に読み返す時間は残されていない、と蔵書をすべて処分した。

それでもタイに来る前は枕元に常に10冊ほど本があった。半分は読みかけ、半分はこれから読む本。全部図書館から借りた本だ。あの頃、自分から本を取ったら何が残るか、というほど読書に時間を費やしていた。

それが今はどうか。チェンライでは殆ど本を読まない。読書をしなくなって何か不都合かというと何もない。タイに来て胃薬と本から手が切れた。

趣味、嗜好で「○○がないと生きていけない」などというが、麻薬は別にしてそのようなものはこの世の中にはないのではないだろうか。


写真はサンコンノイ通りで行われた歩行者天国での日本人のパフォーマンスの模様