チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(4)

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サルミッシュ渓谷の岩絵 その4

朝の散歩に出た。市の中心まで歩いてみる。ナボイホテルという大きなホテルがあった。ホテルの受付に行ってこの街の地図はないかと聞くとないという。このホテルの名刺は、と聞くとない、とそっけない。この近くに旅行代理店は、と聞くとそれもないという。そんなわけねーだろ、と押し問答していたら少し英語のわかる係員が出てきて、このホテルの2階に旅行代理店がある、9時に来て訪ねてみたら、という。

ホテル内にある旅行代理店は秘書とボスの2人でやっているらしいがボスが9時を過ぎてもやってこない。待つ時間を利用してホテルの受付に行き、サルミッシュ渓谷の行き方や情報を集める。受付以外に通りかかった人やよくわからない人が数人集まって喧々諤々の議論を始めた。往復2万スム、いいよ、そのくらいなら。いや片道2万で往復4万だ、だんだん収まりがつかなくなってきた。ここでタシケントのベクに電話して、ホテルの受付に代わってもらう。話は結局こういうことだった。このツアーには100ドルかかる、それよりもサルミッシュ渓谷は入山制限をしているので、政府の許可証がないと行けない・・・・・

ヒバの廃城めぐりではガイド付きで1日300キロを走って70ドルくらいだったから、ナボイから40キロのサルミッシュ往復で100ドルの値段は法外だ。これはウソだろう。しかし、政府の許可は本当かもしれない。報告によると心無い観光客が岩絵に落書きをしたり、鑿と金槌でもって貴重な岩絵を持ち去った例がいくつも報告されているからだ。言ってみれば高松塚古墳の壁画に落書きしたり、一部を持ち去るようなもので、そんなことをよくするよ、と思うが本当のことだ。政府が神経質になっているのも納得できる。
せっかくナボイまできたのに、岩絵を見ずに帰ることになるのかもしれないと気が滅入った。代理店でボスが来るのを待っていると、ホテルの従業員が手招きをして、1階にあるレストラン「サルミッシュ」に案内してくれた。レストランの大理石の壁にはレプリカの岩絵が彫られている。これだけ見てタシケントに戻るのか、と悲しい気持ちになったが、案内してくれたお姉さんには精一杯の笑顔を見せながらデジカメのシャッターを押し続けた。

代理店の秘書が渡してくれたトルコやラオスの旅行案内(それもロシア語)を眺めていたが、10時になってもボスは来ない。そこで秘書にナボイ市の博物館の場所を書いてもらってそこを訪ねることにした。本物の岩絵をそこで見ることができるだろう・・・

ナボイ歴史民族博物館は市の中心からタクシーで5分ほどのところにあった。中に入ってびっくりしたことは「ウズベキスタンの美術」という日本語パネル(写真)が数点、展示されていたことだ。これは後でわかったことだが北海道立函館美術館が昨年、開館20周年を記念して開催した「魅惑のシルクロード展」で使用した日本製パネルであった。シルクロードの精華、中央アジアに華開いた壮麗なイスラム美術、などと感心しながら読んでいたら、館長が現われ、日本人かと聞く。彼は館長室に案内してくれて、「魅惑のシルクロード展」を機会に訪問した日本で撮った写真のアルバムを見せてくれた。残念なことに館長エガモフ氏は英語がほとんどだめ、自分はロシア語がだめ、と交流はジェスチャーと指差しロシア語会話帳に頼るしかなかったが、彼が日本で如何に歓待を受けたか、それをいかに今でも感謝しているかはよくわかった。

この人ならサルミッシュ渓谷にいく方法を知っているに違いない。持ち合わせた資料からサルミッシュ渓谷の岩絵の写真を見せ、手真似、口真似でここに行きたいと一生懸命言ってみた。行き方は、許可証は要るのか・・・・

エガモフ館長は、ナボイ地方の文化遺産がびっしり書かれているA4で120ページの日本語資料にいたく感心したようだ。そして、心配するな、連れて行ってやる、と言ってあちこちに電話をかけ始めた。連れて行ってやる、は言葉がわからず、多分そう言ったのだろう、と信じる他なかったのだが、事態はまさにその直感どおりに動き始める。(続く)