チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

学校プロフ その2

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学校プロフその2

通訳のベク君から夕方電話がかかってきた。あした、土曜の午後に学校の食堂でナブルーズと婦人の日のお祝いがありますから来て下さい、とのこと。土曜日は授業がないので普通は学校には行かない。それにしても前日の夜に連絡とはウズベクらしい。


ナブルーズは3月21日、春分の日に当たり、国民の祝日となっている。祝日としてはかなりおめでたい部類に属すようで、そういえばナブルースの前日くらいに学長が自分の研究室に入ってきて、ナブルースおめでとうと言って、握手をしてくれた。
ナブルースは春の訪れ、農作業の開始を告げる中央アジア諸国共通の慣習的な祝日だ。トルコ、ロシア、スタンでもパキスタンではナブルースのお祝いはしない。なお、秋分の日は普通の日で祝日ではない。

一方、婦人の日は3月8日、文字通り女性の日である。日本の5月5日のこどもの日のように祝日となる。国際婦人デーと重なっている。この日、職場の女性には男性から花が贈られる。JOCVや専門家の女性たちも何かウ国男性からプレゼントをもらったことと思う。

学校として両日をお祝いすることになっていたが、学校行事や関係者の都合で、4月14日まで延びてしまったそうだ。

当日、学校の食堂に行ってみると、色とりどりの風船やナブルース何とかと書かれたカラーの垂れ幕が飾られ、10人から15人座れるテーブル席が10数箇所設けられていた。テーブルの上はご馳走でいっぱいだ。ナブルーズのときだけ作られるスマリャックという甘い麦焦がしペーストも出ている。会場中央は大きな絨毯が敷かれていて、ここは踊りの舞台になるらしい。

幹事のたっての勧めで垂れ幕近くのVIP席に座ることになった。もうすでにほとんどの教職員が着席している。学長、学部長など主だった学校幹部は玄関でVIPをお迎えするために、まだ着席していないが、各テーブル席では、鳥の燻製、ソーセージ、サラダなどを食べ始めている。日本のように主催者の挨拶のあと乾杯の唱和があって、一斉に飲食に取り掛かる、といったわけではなく、揃えば食べ始めていいじゃんというおおらかさが感じられる。
会場を眺めると、女性は女性、男性は男性でまとまって座っている。女性教師は既婚女性が多い。亭主もちが他の男性と同席し、言葉を交わすのははしたないとのこと。7割くらいが女性だろうか。

大きなスピーカーからこの日のために呼ばれたセミプロの歌手がガンガン歌を歌っている。この歌手はラマダン明けのお祝いの時にも歌っていた。学校専属歌手ではなく、多分宴会費用をすべて支弁する学長の知り合いなのだろう。

自分のテーブルに学長たちが座って、宴会が本格的に始まった。司会役を兼ねる、ナブルースの女王というウェディングドレスを着た女性職員がナブルースの詩を朗読したあと、学長の挨拶があった。女性テーブルにはワインのビンが並び、自分のテーブルではウオッカが湯飲みになみなみと注がれる。

会場中央では、綱引き、腕相撲などの余興が行われ、大いに盛り上がる。腕相撲に勝ち抜いた若手教師に酔った老学部長が挑戦した。結果はもちろん学部長の勝ち、勝つわけにはいかなかったマッチョの青年に大きな拍手が贈られる。

その内、お定まりの民族音楽が始まった。学長が率先して中央に出て踊り始める。一杯機嫌のおばさん先生が一緒に踊りましょうよ、いいえ、私などとても、とてもなどと譲り合って、結局は中央に出て、満面に笑みを浮かべて踊り始める。沖縄や八重山諸島の島民が蛇皮線が奏でられると踊りだすのと同じで、音楽がかかると自然にみな手足が動き出すといった風情だ。手足の動きもどことなく沖縄地方の踊り方と共通点がある。ウチナンチュー舞踊は中央アジアに起源があった、というレポートをどこかで読んだ・・・・ことはないけれど。

会場中央にオバサンパワーが炸裂する。ウズベクダンスと明らかに違う動きでロシア人の女性教師がスカーフを振り回しながらダイナミックな踊りを披露する。(このおばさんは後でナブルーズの女王から賞品をもらっていた)

自分はというと、みんなに引っ張り出されて、踊りの輪のなかに。本当はイヤで仕方ないのだが、日本を代表しているのだから仕方がない。代表にしてはまるでピノキオのようなギクシャクとした情けない踊りだがこれも日本国民の義務と、汗だくになって踊り続けた。