チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ウズ式勉強法

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ウズ式勉強法

こちらでテストをすると必ずカンニングをする。これはウ国で教職についた人が皆、失望、落胆とともに書き記していることである。したがって、入試や普通の進級試験ではカンニングをしても意味がないように、複数の試験問題を用意する。難易度を考え、複数の問題を考えるのは新米教師にとっては至難の業だ。試験は暗記力を試す部分が大きい。ベンチャー論の試験で、起業家の一生とか、誰がどんな事業を立ち上げたか、などを答えさせてもそれほど意味があるとは思えない。


そこで、9月の最初の授業で出席回数と宿題の提出回数によって1から5までの評点をつけると宣言した。評点3以上が合格で、1,2は落第である。落第点をとってもそれほど悲観する必要はない。1万スムから1万5千スムほど学部長のところにもっていけば合格点はもらえる。だから、学校にほとんど顔を出さず、また試験も受けずに進級、卒業する生徒もいないではない。

宿題はテーマを与えてレポートを書かせるのだが、授業内容に沿った題で書かせると大変困ったことが生じる。それは授業で配ったレジュメ、テキストをそのまま書き写してくるのである。手書きコピーばかり。
レポートの場合、日本であれば「先生の授業ではAという説明、解釈でしたが、Bという考え方も成り立つのではないでしょうか」といったユニークな意見を開陳する生徒がいて、教師もそれを面白がるという風潮がある。しかしウ国では先生のいうことは絶対であり、すべて正しいものとして受け取るという前提がある。
他の先生の講義を見学させてもらう機会があったが、先生がまず先週、書き取らせたことを生徒が暗唱できるかどうかを試す。次に、先生が自分のノートに書いてあることを読み上げて、それを生徒は一字一句たがわずにノートに書き写す。多少内容について講釈をして授業は終わり。次回はまた前回授業での筆記内容の暗唱から始まる。


こういった授業方法は語学にとっては有用だが、経営学のような経験科学にとってはあまり意味がない。ベンチャーに代表されるビジネスのフィールドは理論や空想の世界ではなく、現実の時間、空間における勝負の世界である。記憶力ではなく決断力、勇気、情熱、高い志が重要だ。

なぜ、このような暗唱を主とする授業がすべての科目で行われているのか?
それはイスラム世界の勉強の基礎がコーランの勉強にあるからではないだろうか。イスラム教の勉強とは114章あるコーラン預言者ムハンマドの言行録であるハディース(これは何百何千とある)をひたすら覚える。正確に覚えることが第一で、そこになぜという疑問をさしはさむ余地はない。イスラム教徒にとって暗記イコール学問であり、イコール信仰ということになる。

この勉強方法がイスラム世界を覆っていて、とにかく教わったことは疑問を持たずにそらんずる、という方式になっているのではないか。先生も自分のノートとおりに生徒が暗記し、暗記したとおりにテスト用紙に書けば高い評価を与える。

先生のいうことはすべて正しい、という生徒は先生を越えることはできず、独創性を発揮することはできない。ウズベク人はもとより、イスラム諸国の人たちが決して能力的に劣っているわけではない。先日会ったタシケント法科大学の学生などはこちらが舌を巻くくらいの頭脳の持ち主ばかりだった。

イスラム発の先端技術、有用な特許、発明をあまり聞いたことがないのは、この何故?を考えない教育システムにその原因があると思う。

実は、アラビア数字から始まる代数、三角関数の数学、時計、カメラ、石けん、万年筆、風車などはすべて7-10世紀のイスラム世界で発明されたものなのだが・・・

(画像は旧市街地)

Katsuraさんがウ国の写真を提供してくれました。いい写真が沢山ありますので是非ご覧下さい。
http://www.flickr.com/photos/kaymiz/