チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

街路樹

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街路樹

タシケントを訪れた人は道路の広さにびっくりすることだろう。市内を走る主要な通りは、片側4車線はある。それほど車が多くないので、老人も子供も車の流れを見ながら好きなところで道路を横断していく。とりあえず半分渡って、道路中央で反対側から来る車の途切れるのを待っている人や、道路中央を歩いている人をよく見かける。
信号付きの横断歩道がないわけではないが、信号の表示にかかわらず、人は道路を渡っていく。ドライバーが信号を守り、車を停車させてくれることを期待するよりも、自分の判断で自分の安全を守るという考え方があるのだろうか。

道路ばかりでなく歩道もゆったりしている。余りにも幅が広いので、車が歩道を結構なスピードで走ってくることがある。前後左右に気を配っていると足元がおろそかになって、大きな穴に足を取られたり、道に突き出している鉄パイプにけつまづいてしまう。自分の住んでいる旧市街では歩道にロバや羊の糞がおっこちているので、さらに注意を払わなくてはいけない。

安全なのは上の方向だけということになるが、30度ほど顔を仰角にすれば大きな街路樹の見事な枝振りが見える。ついつい見とれて注意が上にいってしまう。場所にもよるが、街路樹といっても銀座の柳みたいな小ぶりのものではなく、日本であれば注連縄でもはって、思わず拝みたくなるような大木が続く。大木の下は花壇になっていて、暖かくなればバラやケイトウなどの花が咲き乱れる。ぼんやりと街路樹を見上げて歩いていると、クラクションを鳴らされてびっくりすることがある。歩道は歩行者のためだけにあるのではなく、またどこであろうと車が優先ということになっているようだ。

街路樹は同じ種類の木を植えてあるかというと、そうではない。篠懸(すずかけ)、ポプラ、エンジュ、松などさまざまな木が混栽されている。今は冬だから多くの街路樹は落葉しているのだが、篠懸の木にはまだ葉っぱがついているように見える。枯れた葉が落ちずに枝にくっついているのだ。(写真)

全く、ウズベクと来たら、篠懸の葉っぱまで往生際が悪い、潔く落葉樹は落葉樹らしく、冬は裸になれ、などと怒りまくっている人がいたが、これは篠懸にとって迷惑な話である。なぜ葉っぱが落ちないのか、それはこの国では冬になっても木枯らしが吹かないせいではないかということに気付いた。そういえば北風ぴゅーぴゅーなんて日は1日もない。雪でも粉雪舞い散る、といった感じはなく、ひたすら細かい雪が上から下へまっすぐ落ちていた。

日本の松にそっくりな松の木があるが、枝が素直に伸びていて、小学生が描く木の絵みたいにシンメトリーの二等辺三角形をしている。風雨に耐え、こっちの枝が曲がり、あっちの枝がねじれ、といった風情のある松は見たことがない。

ともかく、篠懸の木は栄養分を与えることをやめても、自分から葉っぱを切り離すことはしていないようだ。だから風が吹かないかぎり枯葉は枝にとどまる。それにしても枯葉をびっしりつけた篠懸の並木道は日本ではまず見られない風景であり、ああ、ここは外国なのだ、という気持ちを新たにしてくれる。それで、いつこの枯葉が落ちるのか、興味がわくところである。去年3月にウ国の地を踏み、新芽、若葉がタシケントを覆う時を過ごしたのに、篠懸の枯葉はどうなったかという記憶が全くない。やはり、気持ちに余裕がなかったのだろうか。

篠懸を見ると、安宅の「旅の衣は篠懸の露けき袖やしほるらん」の一節を思い出す。

時しも頃は3月の月の都を立ちいでて・・・・ これやこの、行くも帰るも別れては、知るも知らぬもウズベクの・・・・、などと皮のコートの襟をかきよせ、これまた皮製の防寒ハンチングをぐっと目深にかぶって、幸四郎のように六方を踏んだら・・・・ たちまち歩道の穴に足を取られて転んでしまうに違いない。