チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

弘法大師の霊跡(2)

 

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高松―高知の高速バス、座席を隔てるカーテン付き

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高知駅前、幕末の3傑

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土讃線、単線です

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高知、物部川飛鳥時代物部氏ゆかりの川

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先輩宅で

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庭で




弘法大師の霊跡(2)

 

スマホを失くした
成田発、高松行の機内はほぼ満席、3月の中旬だから卒業旅行や春分の里帰りが多いのだろうか。GoToの再開はなかったけれども、自粛疲れで人の移動が始まったのだろうか。

空港から高松駅まで連絡バスに乗った。バスの車内で肩下げバッグに入れてあったスマホがないことに気づいた。最後に取り出したのは成田空港の第3ターミナルだ。空港の無料WiFiに接続しようと思ったのだが、繋がらなかった。ラオスの片田舎のGHでも繋がるのにどうして国際空港で、とバッグにしまったつもりであったが、待合室のシートに置き忘れたのだろうか。
ホテルから成田空港第3ターミナル、遺失物係に連絡してみた。スマホの特徴やメーカーを聞かれた。韓国製のギャラクシーである。まだ届いていない、1日経って出てくることがあるからまた明日、連絡ください、でこの日は終わりになった。

なんで韓国製のスマホ使っているの?日頃の言動からしておかしいんじゃない、と度々揶揄われていた。携帯、スマホには全く縁がなく、2006年にウズベクでJICAから配布された携帯が我が情報機器事始めだった。タイでもガラケーの携帯を使っていた。デンマークに住むブアさんの友達が不要とスマホを送ってきた。そのスマホをブアさんがくれた。無料取得であるし、全部は使いこなせないけれどガラケーに比べれば機能が充実している。韓国製ということを別にすれば満足して使っていた。でも、もし紛失してしまったなら、これが買換え時かもしれない。言い訳をしなくて済む。

■前回訪問時は
高松から先輩宅のある土佐山田まで距離は144キロだが、JRの予讃線土讃線を乗り継ぐと5時間半かかる。特急利用で2時間半、でも電車代が成田―高松間の航空運賃とさほど変わらない。時間的には特急と同じで料金の安い高速バス(黒潮エキスプレス)を利用することにした。2時間に1本のバスであるが、乗客は12,3人、やはり旅行はまだ自粛か。

土佐山田駅で先輩、Aさんと5年ぶりに再会、80歳を越えられたというがお元気そうだ。先輩とはいえ会社も学校も違う。業界団体の委員会で自分を指導してくれた人だ。退職後は郷里に戻って農業、山林管理をしている。鹿、猪、猿が出没するところなので、農業は野生動物のエサづくりといった趣きがある。長年の会社勤めで培った事務能力を買われ、地域団体で管理業務のボランティアをされている。年齢を重ねても周りから必要とされる人にはそれなりの風格が漂う。

5年前、山下奉文陸軍大将の生誕地を一緒に訪ねた。大東亜戦争マレー半島シンガポール攻略の大戦果を挙げた軍人であるが、畦道の傍らにただ一つの石碑があるだけだった。
シンガポール陥落は英国軍のアメリカ独立戦争におけるヨークタウンの戦い以来の英国軍史上最大規模の敗北だった。「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」とチャーチル英国首相は自著に残している。
当時、自由フランス軍の指導者であったシャルル・ド・ゴールは、「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終わりを意味する」と述べた。
山下将軍は英国植民地支配の失墜をもたらし、アジアの人々に独立の勇気を与えた。その意味でもっと称揚されるべき人だと自分は考えている。

■Aさんにお世話になる
5年前は友人と書いているが、今回は先輩としたのは、始めてAさんの年齢を知ったからである。謙虚な人柄で、敬語で接して下さるものだから勝手に同年代と思っていた。物部川をはるか下に見下ろす旧家で、Aさんと歓談、独り暮らしで会話をする機会がなかったせいかいくらか饒舌になってしまい、ご迷惑をかけたのではないかと悔やまれる。

翌日、Aさんの車で、室戸岬へ向かった。高知県は横に長い県で、土佐山田から室戸まで80キロくらいあるのではないか。高齢のAさんに代わって自分が運転しなければならないのであるが、我が国際免許は2月に切れている。
道路はAさんも驚くくらい空いていた。四国は車社会ではあるが、まだ四国全体をぐるりと回る高速道路はない。片側1車線の国道を安全運転で走行する。やがて車は55号線に入り、室戸の御厨人窟(みくろど)の案内板が見えてきた。道路沿いにあるらしい。

御厨人窟室戸岬東側に位置する隆起海蝕洞で、平安時代初期に弘法大師が修行をしたといわれる。当時青年だった弘法大師はこの地で開眼し、洞窟の中から見えた風景が“空と海”だったので「空海」の法名を得たと言われている。大師巡り屈指のパワースポットだ。(続く)